グリークラブアルバムの研究 各曲編 (22) 遥かな(る)友に | とのとののブログ

とのとののブログ

古代史,遺跡,SF,イスラム,男声合唱などの話題を備忘録かねて書いていきます。
男声合唱についてはホームページもあります。
メール頂く場合は,こちらにお願いします。
昔音源@gmail.com
(mukashiongenにしてください)
https://male-chorus-history.amebaownd.com/

グリークラブアルバムの研究 各曲編

22. 遥かな()友に

 

作詩 磯部俶

作曲 磯部俶

編曲 林雄一郎

 

 私が大学で合唱していた1970年代後半,アンコールやストームの最後にこの曲がよく唱われ,ハミングをBGMに幹事長など団の学生責任者がお客さんに御礼の言葉を述べる,というのがよくあった。今でもあるのかもしれないが,締めくくりとしてスタンダードナンバーだったこの曲,グリークラブアルバムでは少しややこしいことになってる。それは後述するとして,まず曲の成立経緯を作曲者の言葉を抜粋し説明する。

「昭和26年の早稲田大学グリークラブの合宿で,毎晩就寝のため寝床を取るとき,枕の数が足りないため取り合いの大騒動が起こる。磯部が静かな曲でも歌ったらと提案すると,そんな曲を作ってくださいと言われ,早々に作曲し4人のパートリーダーに唱わせると,とてもいいと喜んだ。内緒で練習し,翌夜にカルテットで歌って聞かせると大成功だった」

 

 これは「磯部俶『遥かな友に-我が音楽人生』音楽之友社(1991)」を参照したものだが,のちにカワイ楽譜からでた楽譜のあとがきや,「早稲田大学グリークラブ100年史 輝く太陽」でも同様に記されている。「輝く太陽」には「パートリーダーの音域・力量を踏まえた作曲で歌いやすかったこと」「磯部は,合宿に参加できなかったメンバーへの思いやり云々が作曲の動機とのちに語っている」「(コールフリューゲル)との分裂騒ぎから体制を立て直し,なんとか纏まってきたグリークラブのメンバーへの切々たる思いが込められていると思う」も紹介されている。

 楽これらの情報と,「いそべとし男声合唱団」のホームページにある「磯部俶の男声合唱曲解説*」を参照すると,この曲の基本データは次の通り。記述の裏付けとなる初期の楽譜も一部示した。当初の作詞ペンネーム「津久井青根」を変更したエピソードから,NHKなどで何度か放送演奏したようだ。

 

* https://docs.wixstatic.com/ugd/e5c5f8_70062de9590e410b849d554e178f3fc2.pdf

 

 

 ここからグリークラブアルバムの話になるが,アルバム中である意味最も問題ある掲載になっている。まず磯部俶ではなく,林雄一郎が編曲した版を載せていること。そして,初期の刷では「遥かなる友に」と文語のタイトルになっていること。

 

 まず「遥かなる友に」について。同時期に福永のカルテット編曲を集めた「クワルテットハンドブック」にもこのタイトルで収録されている。グリークラブアルバムのU Bojの注釈に「邦語訳(正確に云えば作詞)で二種類出版されておりますが」と記している「二種類」のうちの一つは,「男声合唱曲『U Boj!』の謎」に記したように「合唱アルバム9 磯部俶編」だから,福永は「遥かな友に」のオリジナルの譜面とタイトルを知っていた。にもかかわらず,「遥かなる友に」を採用したのは,福永の語感ではこちらが適切と考えたからだろう*。しかし,例えそうであっても,タイトルをいじるのは仁義に欠けるように思う。

 

* 余談だけど,北杜夫に「白きたおやかな峰」という山岳小説がある。中学生でこの本を見たとき,読み方がわからなかった。「白きた・・おやかな峰?」。北は,このタイトルは文語と口語の混在であり,三島由紀夫から「白き たおやかなる峰」か「白い たおやかな峰」とすべきと指摘された話をエッセイに書いている。北は「文語+口語」のタイトルがしっくり来るし,そのような使用例もあると説明していた。

 

 

 編曲については,グリークラブアルバムでは原曲(当時)A-dur3度上げたC-durになっている。これについて,福永はのちにグリークラブアルバムのLPで「ここでは男声合唱用としてより効果的な編曲を収録」と記しているが,タイトルに続き磯部の編曲に対し挑戦的。これについて磯部がどう思っていたか,「磯部俶の男声合唱曲解説」に説明がある。

「磯部先生のオリジナルではなく,林 雄一郎氏が勝手に関学グリーのために編曲し,関学グリーで歌われていたものを,作曲者の了解もとらずに『グリークラブ アルバム』に収録したもの。磯部先生が,「決してトップの張り上げた音色ではなく,優しく静かなハーモニーで」と意図して A-dur にしていたものを,3度も上げてC-dur にしてある。磯部先生は,合唱界の先達でもある林さんに遠慮して抗議はされなかったものの,編集者た ちには怒りを覚えていたという。」

 

 少し深読みすると,「クワルテットハンドブック」もまた挑戦的である。「この本の使い方」に「この本はクワルテットのために編曲されたものばかり集めてありますから,この本の曲をダブルクワルテット以上の合唱でうたっても,よい結果は得られません」と記し,第1曲に「遥かなる友に」を置いている。原曲は早稲田大学グリークラブのパートリーダーたちのカルテットとして初演され,のちに同じ楽譜で(ガリ版譜で)グリークラブ等で歌われたようなので,「カルテットと合唱で効果的な編曲は別」という福永の主張はもっともであるけれど*,これも挑戦的に映る(福永が初演のエピソードを知っていたのかは分からない)

 

*(2019/8/8追記)

福永は「合唱講座 1.理論編」(昭和33(1958)音楽之友社刊)の「男声合唱の編曲法」で次のように述べている。

「和声学的な言葉で言うと,合唱は開離位置で組んだほうがよいし,四重唱は密集位置で組まないと,散漫になってしまって,効果がないからです。四重唱の編曲は,進行が平行的ですが,合唱用には逆行的な方がよりよいのです」

 

 結果的に,タイトル(口語か文語か),合唱編曲(調の違い),カルテットは別編曲とすべし,の3点で福永が磯部を批判した形になる。なぜそうなのか,もう分からないけど,類推してみる。

 まず磯部の原曲は,あくまで早稲田大学グリークラブの「就寝の歌」であり,グリーの仲間たちに向け作られた歌である。 「トップの張り上げた音色ではない」A-dur とされたのも,当時のパートリーダーたちに歌いやすい音域を考慮されたのも,早稲田大学グリークラブという特定の組織のための歌だった。

 一方で,福永や林には当然そういう思いはないので,一般的な「遥かな友」に対する歌として捉え,調を変えたりカルテット向きに編曲することが合理的だったのだろう*。とはいえ,「作曲者に了解なく」は現在の視点からは不適切だった。

 

* 私は音響的な考察はできないので,誰かできるひとがおられたら研究してください。

 

 「遥かなる友に」のタイトルについては,深読みすると,戦争で死んでいった友たちへの思い,特にペンネーム安田二郎の由来となった最大の親友だった二人への思いを表すには,「遥かなる」という文語表現が適していると感じたのかもしれない。

 この表現はどこかの刷で修正された。遅くともカワイ出版から新刷がでた昭和49(1974)には「遥かな友に」とされた。

 

 磯部はのちに原曲をB-durに変更し,「いそべとし男声合唱団」や「グリークラブアルバム CLASSIC」にはこの調で収録されている。wikiによれば19601217日の早稲田大学グリークラブ第8回定期演奏会のアンコール」B-durらしい。グリークラブアルバム初版が出た少し後のことである。「グリークラブアルバム CLASSIC」の山脇卓也氏の解説には「作曲者が作曲当初に意図し,後年実際に演奏したB-durとある。そうだとすると,磯部も本当はもう少し高い調にしたかったらしい。昭和26年のパートリーダーたちの音域を考慮した,当時の早稲田大学グリークラブへのエールとも言えるものだった。

 

(以上)