※6月3日配信”伊勢神宮 総集編!”の抜粋をざっくり文字起こししてます。🔻
時:本日は、伊勢神宮総集編です!
み:いやー、またディープですね!
林:はいはいはいはいはい。
伊勢は、元々妹背(いもせ)という意味です。
妹・背(いも・おせ)は、夫婦ということです。
夫婦の道、を学ぶ場所が、伊勢神宮ですね。
今回は、まずは倭姫(やまとひめ)さまのお話からです。
倭姫が運ばれていた御霊代は天照大神の御神鏡だけではなかった!!
ということも、お伝えしたいと思います。
伊勢神宮を創建した垂仁天皇の皇女、
倭姫(やまとひめ)は別に2か所、陰陽のお社を創建した。
み:お鏡を背負って、いろいろ歩かれた方ですね。
お天照大神のお鏡を背負って、ぐるぐる巡られて、どこに神社建てるかなーと。
そして、最終的に、いまの伊勢神宮の場所を選ばれたのだということですね。
林:はいはいはいはいはい。
20数か所巡られたそうですね。
み:そして、倭姫が運んでおられた御霊代(みたましろ)は天照大神だけではなかった!
※御霊代・・・神社のにお祀りする、礼拝の目標となる大切なもの。その神様のよりしろ)
ということですね。
林:はいはいはいはいはい。
伊勢神宮別宮の瀧原宮・瀧原竝宮(たきはらのみや・たきはらのならびみや)があります。
↑いも・おせ 陰陽で2社並んで建っています。
伊勢神宮に先立って創建されたとされています。
み:いまの伊勢神宮は、正宮1社(天照大神)しかないですけど、
こちらが本来のカタチなんですよね!
林:はいはいはいはいはい。
ホツマを読みますと、外宮と内宮は倭姫によって同時に創建された、と考えられます。
内宮と外宮の設立には500年ほど差がある・・・とされていますが
本来は同時に建っていたと思われます。
しかしながら、残念なことに、設立から数百年で改変されてしまいます。
み:ショッキングですね!
林:内宮設立500年ほどして天照大神がさみしいので、
雄略天皇にお願いされて、丹後から豊受大神をお招きした・・・
ということになっています。
しかしながら、雄略22年(478年)7月7日、
丹後、天橋立より20キロ西の内陸部の比沼麻奈為神社より遷宮。
と、ホツマには記してあります。
つまり、これは伊勢神宮の下宮の復興を意味するのではないでしょうか?
日本書記には、雄略22年7月7日浦島太郎の常世国出発の記事があります。
外宮遷宮の記述は全くありません。
825年、常世国から、帰還し、そのとき浦嶋神社創建とあります。
↑今でも丹後にあります、浦島太郎伝説ゆかりの神社、浦嶋神社です。
み:歴史の闇なかんじですね!
林:はいはいはいはいはい。
外宮の渡会(わたらい)氏と内宮の荒木田(あらきだ)氏ですが、
中世には壮絶な戦いがありました。
藤原不比等が、元々は伊勢両宮を管掌していた渡会氏を追放。
渡会氏は外宮のみを担当することになりました。
渡会氏にとって代わった荒木田氏(不比等)による内宮のさらなる改変の可能性もあります。
み:ざっくりまとめますと、いまの伊勢神宮は内宮に天照大神が一柱。
そして、約500年あとに、豊受さまの外宮が建ったとされていますが・・・
本当は、もともと二社並んで(瀬織津姫さまも)いたし、
豊受さまの外宮も、内宮と同時期に建っていたはずですよ!
という、お話でした。
一同:さて、次回の配信ですが・・・
Youtube第67回LIVE配信
6月20日(木) 今回は
夜21:30からです。
(夜配信に少しずつなれてきました!)
そして、スペシャルゲスト優花さんです!
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