【トの教え】 伊勢神宮総集編!~☆夜配信6月20日(木)21時半~ゲスト優花さん☆ | トの教えのエバンジェリスト 公式ブログ

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※6月3日配信”伊勢神宮 総集編!”の抜粋をざっくり文字起こししてます。🔻

 

 

本日は、伊勢神宮総集編です!

 

 

いやー、またディープですね!

 

 

 

 

はいはいはいはいはい。

 

伊勢は、元々妹背(いもせ)という意味です。

 

妹・背(いも・おせ)は、夫婦ということです。

 

夫婦の道、を学ぶ場所が、伊勢神宮ですね。

 

今回は、まずは倭姫(やまとひめ)さまのお話からです。

 

倭姫が運ばれていた御霊代は天照大神の御神鏡だけではなかった!!

 

ということも、お伝えしたいと思います。

 

伊勢神宮を創建した垂仁天皇の皇女、

 

倭姫(やまとひめ)は別に2か所、陰陽のお社を創建した。

 

お鏡を背負って、いろいろ歩かれた方ですね。

 

お天照大神のお鏡を背負って、ぐるぐる巡られて、どこに神社建てるかなーと。

 

そして、最終的に、いまの伊勢神宮の場所を選ばれたのだということですね。

 

はいはいはいはいはい。

 

20数か所巡られたそうですね。

 

そして、倭姫が運んでおられた御霊代(みたましろ)は天照大神だけではなかった!
※御霊代・・・神社のにお祀りする、礼拝の目標となる大切なもの。その神様のよりしろ)

 

ということですね。

 

はいはいはいはいはい。


伊勢神宮別宮の瀧原宮・瀧原竝宮(たきはらのみや・たきはらのならびみや)があります。

↑いも・おせ 陰陽で2社並んで建っています。

伊勢神宮に先立って創建されたとされています。

 

いまの伊勢神宮は、正宮1社(天照大神)しかないですけど、

 

こちらが本来のカタチなんですよね!

 

はいはいはいはいはい。

 

ホツマを読みますと、外宮と内宮は倭姫によって同時に創建された、と考えられます。

 

内宮と外宮の設立には500年ほど差がある・・・とされていますが

 

本来は同時に建っていたと思われます。

 

しかしながら、残念なことに、設立から数百年で改変されてしまいます。

 

ショッキングですね!

 

内宮設立500年ほどして天照大神がさみしいので、

 

雄略天皇にお願いされて、丹後から豊受大神をお招きした・・・

 

ということになっています。

 

しかしながら、雄略22年(478年)7月7日、

 

丹後、天橋立より20キロ西の内陸部の比沼麻奈為神社より遷宮。

 

と、ホツマには記してあります。

 

つまり、これは伊勢神宮の下宮の復興を意味するのではないでしょうか?

 

日本書記には、雄略22年7月7日浦島太郎の常世国出発の記事があります。

 

外宮遷宮の記述は全くありません。

 

 


825年、常世国から、帰還し、そのとき浦嶋神社創建とあります。

 

↑今でも丹後にあります、浦島太郎伝説ゆかりの神社、浦嶋神社です。
 

歴史の闇なかんじですね!

 

はいはいはいはいはい。

 

外宮の渡会(わたらい)氏と内宮の荒木田(あらきだ)氏ですが、

 

中世には壮絶な戦いがありました。


藤原不比等が、元々は伊勢両宮を管掌していた渡会氏を追放。

 

渡会氏は外宮のみを担当することになりました。


渡会氏にとって代わった荒木田氏(不比等)による内宮のさらなる改変の可能性もあります。

 

ざっくりまとめますと、いまの伊勢神宮は内宮に天照大神が一柱。

 

そして、約500年あとに、豊受さまの外宮が建ったとされていますが・・・

 

本当は、もともと二社並んで(瀬織津姫さまも)いたし、

 

豊受さまの外宮も、内宮と同時期に建っていたはずですよ!

 

という、お話でした。

 

 

 

 

一同:さて、次回の配信ですが・・・

 

 

Youtube第67回LIVE配信

 

 

6月20日(木) 今回は

 

夜21:30からです。

(夜配信に少しずつなれてきました!)

 

そして、スペシャルゲスト優花さんです!  

 

 

 

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