大阪住吉放火殺人事件、自白の強要について | とんきちのブログ

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昨日刑の執行停止でそれぞれ別の刑務所に服役していた父親と母親が釈放された。


この事件が冤罪なのか実際に犯罪を犯していたのかはわからない。


無期懲役が確定した決定的要素は本人たちの自白だ。


客観的に見れば被疑者本人が自白したのなら有罪だとするのが普通だ。

犯罪を犯していない人が自白するわけがないということが前提にある。

しかし、今回の裁判でも問題になっていた自白の強要というものが存在する。



私自身も調書をとられた経験があるが、(自分が悪いことをしたわけでな近所で起きたく空き巣の不審車両目撃情報の協力www)

警察の取り調べ、調書の作成の仕方に少なからず違和感を覚えた。


どんな違和感かというと、

会議の議事録のように事実を淡々と綴るのではなく、取り調べ官の描いたストーリーどおりに質疑が誘導され記述されていく。

事実の記録というよりも調書を形式どおりに作成するということの方が優先順位が高いという印象を受けたのだ。


内容についても、そんなニュアンスで言っていないぞということを否定するということが、自分が帰宅しその車を目撃するまでの間だけで何か所もあった。

また、同じことを何度も繰り返し聞いてくる。この時は自分が被疑者ではなかったので、心が折れるようなことはなかったが、これが被疑者で精神的に追い詰められて、自白と引き換えに刑の軽減などのエサをちらつかせれば本人の本意でない自白というものもありうるだろうなと感じた。


警察と検察では違いがあるのかもわからないが、ぼうっとしていると取り調べ官の描いたストーリーどおりの調書が出来上がってしまう。

そういう危険性をはらんでいるからこそ、自白は本当の自白でなければならない。

強要となると証拠能力そのものが否定されてしまう。


そうなれば、本当に犯罪を犯している奴が冤罪として無罪放免されかねない。

そういうことは絶対に避けてほしいものだ。