こんにちは、静岡の心屋認定カウンセラー、
前者後者論の参考書・とんちゃん、後者です(*´ω`*)
(前者後者論ユニバーシティ仕事編講師・心屋塾マスターコース68期卒)
「後者のしごと術(仮)」、noteにて販売中です。
年始あたりに「前者後者論のカルタ作りたい」と言ったような気がするのですが、
少しずつ作っていこうかなーと思いまして。
全部できたら企業とかで使ってもらえたら…と思っています。
前者と後者では「意識」が違います。
意識が違うということは、「認知」が違うということです。
そうすると、単語・言葉・文脈にも違いが出てきます。
まずは「みんな」という単語の違い。
後者から。
後者は「意識したものが全て」です。
意識したものが全てなので、認識していない人は、
いない人にも等しいです。
なので、7人中2人しか言っていなくても、
「みんなが言っていた」となったりします。
残り5人が言っていたかどうかは、
その時認知していませんし、
意識していない人は、その時存在していません。
また、別に嘘を言っているわけではありませんよね?
「意識したものが全て」ですから、
その人が意識した中では「正しい」のです。
「意識したみんなが言っていた」のですから。
続いて前者。
前者は「その場にいる何人が言ったかどうか」になるので、
平均より上か下かで見ています。
平均より上になれば「みんなが言った」になりますが、
平均より少し上くらいなら「言ったと思う」とか「過半数が…」とか、
消極的な表現になります。
また、「認識できていない人がいるかもしれない」ので、
「みんなが言ってる…と思うんだよね」くらいの表現になり、
断定的な表現をしません。
なので後者が「みんなが言ってる」と言うと、
「え!?」となります。
「自分が認識していない人たち、みんなが言ってるってこと!?」
「いや…言ってないと思うんだけど、自分がいない場で言ったのかな」
と、事実の把握に勤しみます。
前者にとって「みんな」って重いんですよね。
上記は「基本的には」「基礎として」こうなので、
経験や生き方によって個人差はあります。