日本の古墳時代は、墓碑・個人名の表出を嫌う | 東之宮古墳 発掘写真集

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犬山市 白山平 東之宮古墳 覚え書 (前方後方墳)

 日本の古墳という墳墓は、他国と違い、個人名の表出を嫌う。

律令期以前の墳墓では墓碑が見つかっておらず、個人名の判る墓は、間接に後世の文献から部分的に判明できるのみ。 

 なぜ 約400年ほどの古墳時代 墓からの情報、個人名が伏せられるのか?  

   それ以前の弥生時代から(中国という文字を有する国と交流していても)日本の墓では個人名 無記載。

 

たぶん倭という部族の体質が個人名の表出を嫌う そうした体質。

 

 これは 中国朝貢を果たした 倭人の名前も同様と考えてもいいのでは?    帥升 ヒミコ  どうも役職名。

 例外は台与。何らかの特殊事例。

 

 倭の五王の時期 ようやく倭国側の個人名が 中国文献で判明するが、関東・稲荷山古墳にせよ江田船山古墳の鉄刀にせよ、 移動可能な鉄剣刀の銘文でようやく個人名が判明。 

七枝刀と同様に間接情報。 墓碑と異なり 直接情報ではない。

 

 日本書記では 物部氏やワニ氏や葛城氏等々 氏族名称が 名目 律令期以前とされる時期の文面に記されているが、この名称も 古代の戸籍管理での氏族名とは異なり、地名を氏族名称と勘違いした 天武期、記紀編纂者の状況が読み取れるようです。

 

参考文献

中村修也 歴史人 2024年7月号 「物部」と冠している人物を物部氏として理解するのが正しいのか?    

    ㈱ABCアーク/朝日放送グループ