臓器移植研修会にて | いきょくのまねーじゃーのブログ

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市立砺波総合病院の整形外科医です

「シミュレーション」

 手術の前に、必ずといっていいほどシュミレーションをしている。イメージトレーニングといも言い換えられる。手術の流れを頭の中でえがくのである。手術中におこりうるトラブルが頭をよぎることもある。それでもシュミレーションは精神安定剤となりうる。

 昨日、臓器移植に関する研修会が開かれた。脳死下臓器移植の流れをシュミレーションで学ぶ。患者発生から、適応の判断、オプション提示、家族への説明、同意取得、委員会での議論、承認、脳死判定、移植チームの手術、患者さんのお見送りといったような流れである。シナリオの棒読みが続く中、患者父役のH先生は、アドリブ入りの感情こめた演技で楽しませてくれる。

 私は以前に、心停止後の腎移植のドナーの主治医をした経験がある。そのときのストレスが半端なかったことを今でも覚えている。そのストレスの理由は、通常、目の前の患者さんの治療だけに専念していた医師が、移植が決まったあとは、純粋に治療を継続できないように感じるのである。本当にこれでよかったのかという疑問が私を苦しめる。

 研究会のあと、当院のある看護師Aさんが、声をかけてくれた。Aさんのご家族が最近亡くなられた。臓器移植を待ちながらドナーが見つからなかったと教えてくれる。「実際になると、臓器移植をまつほうでさえ、冷静でいられない。ましてや提供となると…」という。シュミレーションは確かに大事だが、実際の場面では、感情的な要素が大きい。つまり冷静でいられないのである。棒読みの台詞のようにことはすすまない。

 患者さん自身が、臓器提供者に望んでいてもご家族の同意がなければ、提供には至らない。実際の場面では、家族が最終的な決定権を持つ場面も存在する。そんなとき、フラットな立場、つまりは、移植をすすめるでもなく、断るでもない状態で説明できるか不安になる。

 少しでもうまくやるには、必要以上の感情的要素を除外する必要がある。感情的要素をすべて排除することもいいことではない。冒頭に紹介した手術においても気持ちが入らなければいい手術にならないことを経験する。移植医療においても、シュミレーションは助けになる。