下降線上のトレーニング | トナカイの独り言

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 あと半年で70歳になる。

 20代後半のわたしは、正直70歳までスキーを滑れるとは思っていなかった。それどころか30代でも難しいと感じていた。後遺症の残るヒザの怪我で、そこまで体が持つとは信じられなかったからである。

 そんな中、気付くと50代になり、今70になろうとしている。

 

 スキーを始める前、わたしはかなり真剣に水泳をしていた。小学校の頃はただ泳いでいただけだったけれど、中学も3年になると、いろいろ自分なりに研究を始めた。そして高校生になると「なんと自分に合わないスポーツを選んでしまったのだろう」という事実に気付いてしまった。なぜなら、手足が小さく身長もないわたしは、水泳でとても不利だとわかったからである。

 しかし、そんな水泳理論はまたの機会にしよう。

 

 とにかく水泳を続けてきたわたしは、小学校5年から昨日までの記録を残してきた。

 昨日出場した長野県選手権での29.51という記録は、中学3年の市民大会29.5とほぼ同じ。高校1年の時なら28秒台で泳ぎ、高3なら27秒台で泳いでいる。自己ベストは54歳の26.85である。

 自分で感じた水泳のピークは57歳で、この年25m自由形を12.19で泳いでいる。

 

 

 57歳をピークに、わたしは後縦靱帯骨化症という難病に罹ったり、肩の極度の拘縮に襲われたりしながら、徐々に水泳のタイムを落としてきた。そしてコロナ禍となり、3年間水泳競技会から離れてしまった。その間「もう泳ぎたくない」とは思わなかったけれど、やはりタイムが落ちていくのは淋しく、悲しいものと感じていた。

 

 そんな下降線上のトレーニングを考える時、わたしの周りにはお二人、素晴らしい見本がいらっしゃる。

 お一人はパワーリフティングの世界チャンピオン・沖浦克治さんである。
 彼はわたしより約10歳年上でありながら、階級を変え、今でも進化を見せてくださっている。

 もうお一人は水泳の世界チャンピオン・松本弘さんである。

 わたしより約15歳年上であり、水泳人生のピークが73歳という偉人である。それだけでなく今でも常に練習を重ね、下降線を少しでも上向けようと努力を続けられている。

 お二人に共通して言えることは、人格の素晴らしさ、それに加えて年齢に合致しない優れた認知能力である。

 自分や自分の両親を持ち出すまでもなく、誰しも年齢が上がると、忘れっぽくなったり、短気になったり、自分勝手になったりする。わたしの尊敬するお二人に、そんな徴候はまったく感じられない。加えて若者の話をじっくりと聴く姿勢を、今でもお持ちである。

 

 ここ十年くらいでスポーツ科学やスポーツ医学は飛躍的に伸び、さまざまなことが解明されつつある。そこで「脳の活性化」は「身体トレーニング」と緊密な関係にあること、脳をフルに使うためには肉体の使用が欠かせないことなどが分かっている。

 お二人を見ていると「まさにそのとおり」と思わざるを得ない。

 

 今年、わたしはスキーシーズン中に体調を崩した。不調は一か月以上に渡り、高熱も出た。忙しかったこともあるけれど、それ以上に冬場、スキーで一杯いっぱいになってしまう自分の人生設計を、心から反省した。そんな人生をもう40年近く続けて来たことも、見直そうと思った。

 沖浦さんは「歯を磨いたり、顔を洗ったりする感覚でトレーニングしましょう」と言う。

 200キロ近い重量を持ち上げる彼を見て、それが「顔を洗う」のと同じだとわたしには思えないが、きっと彼は「トレーニングをできるだけ日常的なものにしたい」のだろう。

 また沖浦さんは、「追い込みすぎない」ことが大切だとも言う。

 こちらは近頃、わたしが感じていることでもある。伸ばそうと思って頑張っている種目ほど数値が伸びず、維持しようと軽くやっているところが伸びてくるような現実を、しばしば体験しているからである。
 やはりトレーニングも「頑張りすぎず、諦めず」が大切だと、ようやく理解するようになってきた。

 

 現在、オリンピックが開幕し、肉体性能の頂点で活躍するアスリートの姿を見ることができる。20代のわたしもそうだったのだが、最高の状態でより高みをめざす姿は感動的だ。

 上り坂にあるアスリートの姿は紛れもなく素晴らしい。が、下り坂で頑張るアスリートこそ、今のわたしにとって、より感動的に感じられる。

 どんなスポーツにも、マスターズにはそうした感動的な人生を見せてくれるアスリートがいらっしゃる。

 わたしも「頑張りすぎず、諦めず」少しずつ、努力を積み重ねていきたいものだ。