トナカイの独り言

トナカイの独り言

独り言です。トナカイの…。

 わたしがマーラーに出会ったのは十五才の時でした。

 それは『大地の歌』で、初めて聴いた時の衝撃を、今でもまざまざと思い出します。

 第一楽章の『生は暗く、死もまた暗し』という繰り返しに、魂を掴まれ、大きく揺さぶられました。そしてあの『告別』で、音楽という言葉の定義を書き換えられました。音楽は芸術という枠を超え、哲学や倫理や法則という世界にまで入り込んだように感じました。それまでにベートーヴェンやモーツァルトをたくさん聴いていたのもかかわらず、マーラーはそれまでの音楽という世界を打ち破って、より大きな世界へと連れて行ってくれたのです。


 1970年当時、まだまだマーラーはマイナーでした。

 マーラーを好きになるのは異常者であるとか、マーラー自身が躁鬱病患者だったとかという噂が、あたかも真実であるかのように堂々と歩いていた時代です。

 

 『大地の歌(ワルター)』に続いて交響曲一番、二番と聴きましたが、その時は大地の歌ほど心を捉えられませんでした。

 マーラーをもっともっと聴きたかったのですが、大きなレコード店に行っても、まずマーラーのレコードはなかった時代です。

 わたしは知り合いのレコード店に行って、店頭でどんな曲が買えるか調べてもらいました。

 そしてバーンスタインの六番なら手に入ることを知り、注文しました。

 ずいぶん待った記憶があります。忘れた頃、六番が届きました。ニューヨークフィルハーモニーの六番です。

 

 当時、クラシックファンの間では「フルトヴェングラーかカラヤンか」とか「カラヤンかベームか」という話題がピークで、演奏スタイルについての会話が多く聞かれました。そんな点からバーンスタインの六番を聴いたのですが、演奏内容については決して「そうだ!」とは感じませんでした。同時にバーンスタインの『大地の歌』も聴きましたが、こちらもわたしにはワルター盤の方が心に染みました。
 しかし六番という交響曲にはなぜか惹きつけられ、何度も聴くことになります。高校時代はバーンスタイン盤しか持っていなかったにもかかわらず・・・・。

 大学時代にクーベリックやショルティで聴き、いっそう惹きつけられるようになりました。

 

 プロスキーヤーとなってからもシノーポリ、テンシュタット、ベルティーニ、インバル、ハイティンク、ラトル、そしてティルソン-トーマスなどとマーラーを聴き続け、六番の世界も大きく広がっていきました。

 

 交響曲六番は『悲劇的』と呼ばれています。
 一般的解釈としては、主人公が人生のさまざまな葛藤と闘争の中で、三回の大きな打撃を受け、三度目の打撃でその命を失うというものです。そのため、ふつうは楽器として使われない巨大なハンマーが用意され、三回の致命的打撃として打ち鳴らされることになります。
 マーラーは当初、そのように考えていたのかもしれません。しかし初演の後、三度目の決定的な打撃シーンからハンマーを除いているのです。
 そしてわたしが感じている六番では、三度目の打撃の後、この主人公はふたたび立ち上がるのです。ボロボロのなりながらも・・・・。

 

 映画ロッキーシリーズを自作自演したスタローンはことあるたびに、「大切なのは、何度勝ったかではなく、何度立ち上がったかである」と言い、あのロッキーシリーズを創り上げました。その中で、勝つことよりも、諦めず立ち向かい続けることの意味を問い続けました。

 

 六番にこれほどわたしが惹かれたのは、ハンマーの打撃にも負けず、立ち上がり続ける主人公を感じられたからなのです。


 

  本番の二日前、三澤君はわたしにこんなメッセージを送ってきました。

「六番は自分の体力の限界に挑戦して、怪我や故障もなんのその、という曲なので、この演奏は角皆君に捧げるつもりです」

 

 期せずして、彼の理解がわたしと同じところに辿り着くという不思議なことが起こりました。そして彼は、この六番は「まさに角皆君そのものだ!」とも書いてくれました。

 

 この曲がわたしそのものというのは恐れ多いことですが、期せずして生き方のどこかが、この曲に導かれたところはあるように思います。

 膝の大怪我から眼球破裂、手首の神経断裂からついに難病まで、何度ものハンマーの打撃を受けてきたのですから。

 今回の演奏会が近づくにつれ、何度もの人生の危機にあって、これまでなぜ乗り越えられたのかを考えさせられました。その時、気付いたことがあります。それはわたしの後にはマーラーやベートーヴェンや、三澤洋史がついていてくれるということ。
 もっと言えば、ヘルマン・ヘッセや河合隼雄もついていてくれるということです。

 

 かつて植芝盛平はこんなことを言いました。

「わたしを倒すには、宇宙を破壊しなければならない」

 これまで倒れなかったのは、わたしが信じる偉人たちの力に違いありません。そして、これからもそうでありますように!

 

 

 実際の演奏では、この長大な曲が、まるで時間を感じさせないものとなりました。あっという間でした。
 第一楽章のマーチが、これほど力強く響いた演奏がこれまであったでしょうか。

 そして終楽章のハンマーが、致命的でありながらも、主人公の息の根を止められない演奏が、これまであったでしょうか。

 最後まで自分を貫いて生き続けたマーラーの姿すら見えた演奏でした。

 人生で忘れられない演奏会となりました。
 親友からの最高のプレゼントとなりました。

 

 愛知MFオーケストラのみなさま、素晴らしい演奏と体験を、ありがとうございました。

 一生忘れられない音楽会でした。

 

 演奏会場では世界一のマーラー研究家、前島良雄先生のとなりだったこともあり、いろいろな音楽的情報を教えていただきました。
 前島先生、ありがとうございました。

 

 

 演奏後の楽屋にて親しいみなさまと。
 

 

 わたしは三十才代のおよそ十年間、猪苗代町に住んでいました。
 大好きな景色と自然と人に囲まれ、ほんとうに住みやすいところでした。
 半分くらいは株式会社リステルの社員として、半分くらいは独立した個人事業主として暮らしていました。どちらの立場でもたくさんの忘れられない思い出があります。
 

 

 

 猪苗代の家ですが、よく見ると雪のなかをミー太郎が歩いています。

 そんな猪苗代から白馬に引っ越してきたとき、猪苗代の庭に咲いていた松葉菊を持ってきました。当時の写真はないのですが、三十センチ四方くらいの松葉菊を、白馬の庭に植えました。
 

 毎年、そんな松葉菊は少しずつ小さくなり、元気がなくなっていきました。
 三十二年経った今年の雪解けに見ると、もう二センチ四方で合計五本くらいしか残っておらず、小さくて、もう消えてしまったかのようでした。


 そこで思い切って小さな鉢に植え替え、家のなかで育ててみました。
 

 

 

 すると、みるみる元気になり、こんなふうになりました。
 はみだしそうになったので元気のよい数本を切り離し、庭にも植えてみました。土が大事と考え、少し栄養のある状態にして植えてみました。
 すると、こちらもみるみる元気になり、こんなふうに・・・・・・。

 

 なんとか猪苗代から来た小さな命を繋げることができたようで安心しました。
 もっともっと元気になって、大きな猪苗代の思い出のようにふくらんでください。
 

 前回に続いて、ベートーヴェンのピアノソナタについてです。

 みなさまもご存じのように、ベートーヴェンのピアノソナタには三大ソナタと呼ばれる作品があります。ふつうは8番『悲愴』、14番『月光』、そして23番『熱情』の三曲を指します。

 

 8番『悲愴』は1797年から98年に作曲されたので、ベートーヴェン20代後半の作品。14番は1801年でベートーヴェン30才。23番は1804年から05年なので、34才の時の作品になります。

 耳の異常に気づき、大きな不安に襲われるようになった頃から、巨大な運命の悲劇と闘い続けた時代の作品です。聴力という音楽家にとって致命的な機能を失いつつあるなかで、彼が繰り広げた壮絶な戦い。運命を組み伏せてまで道を切り開こうとした強烈な意志とエネルギーの中身を教えてくれます。
 三大ソナタはどれも音楽史に燦然と輝く素晴らしい作品で、心と魂を強く鼓舞する力があります。わたしもこれらの作品に勇気をもらって生きてきました。しかしもしベートーヴェンの耳に異常がなかったら、こうした心の深淵に触れる作品は生まれていなかったのかもしれません。 

 わたしは20代半ばに大きな怪我をして、スポーツ選手としての可能性を狭められてしまいました。そんな体験からこれら三大ソナタに、特別惹かれるのかもしれません。


 50才を超えたあたりから、上記の有名な三大ソナタではなく、新しい三大ソナタとでも呼べる作品を聴く時間が増えました。それらは30番、31番、そして32番という最後の三曲です。ベートーヴェンの後期を代表するピアノソナタ群となります。もっと正直に書くなら、28番から32番までを五大ソナタとしてまとめても良いのではないかとも思っています。
 

 30番は1820年に作曲され、マクシミリアーネ・ブレンターノに献呈されています。マクシミリアーネはベートーヴェン不滅の恋人候補の一人アントーニアの娘です。マクセと呼ばれ、九才からベートーヴェンのピアノレッスンを受け可愛がられていました。この曲を贈られた時は10代後半になっていたはずです。

 31番は30番の一年後、51才の作品になります。本来アントーニアに贈られるはずでしたが、いろいろな事情から誰にも献呈されていません。イギリスで出版されたものにはアントーニアと書かれたものもあるそうですが。

 ベートーヴェン最後のピアノソナタとなる32番は31番と同じ時期に作曲され、長い間ベートーヴェンの後援者であり、素晴らしいピアニストでもあったルドルフ大公に献呈されています。

 

 有名な『不滅の恋人』への手紙が1812年であり、翌13年に甥カールの問題が起こり、しばらく創作できない時期が続くベートーヴェンですが、45才あたりから明らかに作風が変化しています。連作歌曲という歴史を生んだとも言える傑作『遥かな恋人に寄せて』やピアノソナタ28番に聴かれるように、闘争や他者との比較という世界から、競争原理を超えた世界への推移が感じられます。

 

 ベートーヴェンには1820年(49才)と1822年(51才)、浮浪者と間違われて警察に逮捕された事実があります。ユング派の心理学者、河合隼雄さんはこのできごとを使って、創作の秘密の核とも言えるものをみごとに解き明かされています。

 河合さんは京都大学で臨床心理学を学ぶ学生たちに、こんな話をしたそうです。

 「みなさんは臨床心理学をやられて、人のためになりたい、苦しんでいる人を救いたい、と願っていらっしゃるでしょう。
 しかし、物事はそんなに簡単ではないのですよ。
 たとえば、一人の四五才くらいの男が警察官に連れて来られて、『先生、この人を何とかしてやってください』と頼まれたら、どうされますか?
 男に聞いたら、住んでいる場所がわからない。名前もはっきりしない。よほど錯乱したような状態になっている。それどころか、話をすると、どうも耳が聞こえないようだ。だから筆談で尋ねてみると、自殺をやりかけて、遺書まで書きましたけれど、結局自殺未遂に終わった、という。
 一人で住んでいるのかと尋ねると、失恋ばかりして、自殺しかかったので、もちろん結婚はしていない。じつは養子が一人いるのだけれど、その母親が悪い奴で、とんでもなく喧嘩ばかりしているという。
 尋ねれば尋ねるほど、悪い返事ばかりが返ってくる。
 よく見ると服もむちゃくちゃで、もう不潔と言って良いくらいの状態だ。
 もしみなさんが、こんな患者に出会ったら、どうしますか?
 『もう少し良い服を着て、ちゃんと恋愛でもして、結婚して子どもを作って、家庭でも持ったらどうですか?』などとアドヴァイスしますか?
 じつはわたしは、そう簡単に思えないのです。なぜかというと、その人の名前を聞いたらわかります。みなさん、彼の名前がわかりますか?
 彼の名は、ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンというのです。

 彼は四一才くらいから錯乱したような状態になり、警察官に捕まったりしているのです。ぜひ、彼の伝記を読んで下さい。
 彼の伝記を読んで感激するのは、なんにも、そんな無理に、アホなことせんでもいいじゃないかと思うことばかりやっているのです。養子をもらったら、もう少し仲良くやればいいのに、すぐ喧嘩したり、養子のお母さんにも、もう少しいいこと言ったらいいのに、悪口ばかり言って、ここでも大喧嘩を繰り返したり、伝記を読んでいると、このおっちゃんはまるで不幸を引き受けるために生きてきたんじゃないだろうか、と思えるくらいです。
 こうしたことを感じていて、ハッとわかったことがあります。
 それは、『八方塞がり』という言葉がありますね。このおっちゃんは『七方塞がり』の人やなあ、と。つまり、七方を全部塞いで、ひとつだけ開いているところがあるんですね。
 なんですか?
 『音楽』ですよ。
 七方を塞がれて彼が経験したすべてのとんでもない苦しみが、開いている音楽から、バーッと迸ってきたら、僕等はもの凄く感激するのです。そんな感動的な音楽が創れるのです。
 ですから音楽のために、ベートーヴェンは自らバカなことをしたんじゃないかと、そう思えるくらいの生き方をしているのです。そう簡単には言えませんけれど・・・・。
 だから、このもの凄い苦しみを生きることで生まれてくる音楽ですから、聴くものが癒される力を持っているのです。
 すると、もしベートーヴェンさんが来られて、うっかり僕が頑張って全部癒したら、もう交響楽は五番で終わりでした、ということになるんじゃないでしょうか?
 あとは幸福に暮らされました、ということに。
 みなさん笑われますが、物事を創造するということは、それほど凄いことなのです」

 

 河合さんの「このもの凄い苦しみを生きることで生まれてくる音楽ですから、聴くものが癒される力を持っている」という言葉は、わたしの胸に刺さるものがあります。そして、運命を組み伏せた中期の傑作群と、もの凄い苦しみを生き抜いて、新しい地平に出たベートーヴェンには大きな違いがあります。

 

 演奏記録の話に変えましょう。

 後期の三大ソナタも、自分には刷り込まれた演奏があります。それはヴィルヘルム・ケンプとルドルフ・ゼルキンです。どちらもレコードが擦り切れるほど聴き、後にCDでも聴き続け、今でも聴いている演奏です。

 

 現在、わたしがもっとも愛している音楽はベートーヴェンの31番ソナタです。

 ほんとうは30番を愛する自分でいたいのですが、どうしても31番の3楽章「アダージョ・マノン・トロッポ」に惹かれる自分を薄めることができません。ここをどのように弾くかで、ピアニストを判断してしまうところが、自分にはあります。

 たぶんわたしの心のなかでケンプとゼルキンが試金石となり、数々の演奏をくらべてしまうのでしょう。

 ゼルキンは聴き手を、いともあっさり深淵につれていってしまいます。

 ゼルキンにくらべると、ケンプの演奏には感情が入り込んでいます。

 

 数日前、鐵百合奈さんのCDを聴きました。
 まだまだお若く、美しく、伸び盛りなピアニストにもかかわらず、地獄を見たベートーヴェンの魂にぴったりと寄り添った演奏が、深く心を打ちました。

 

 


 もう少しで ・・・ 手の届くところで ・・・ アントーニアと幸せな家庭を築けたベートーヴェン。
 ところが想像もできないどんでん返しの連続で、すべてを失ってしまいます。

 しかしだからこそ、あの素晴らしい後期の作風が生まれ、28番以降のピアノソナタと12番以降の弦楽四重奏が生まれたとも言えます。
 だからこそ、わたしはベートーヴェンの背負った莫大な不幸を、心の底から讃えます。

 

 中学三年から高校三年までの四年間、いちばん真剣になった時間は、ベートーヴェンのピアノソナタを聴いていた時かもしれない。もちろんピアノを弾く時も真剣だったし、水泳も真剣にやっていたけれど、しっかり心を入れてすごしたのは、ソナタを聴いている時だったように思う。

 ピアニストを夢見たこともある。しかし、親友のピアノを聴いて、「ピアノは彼に任せた方が良い」と妙に納得してしまったことも懐かしい思い出のひとつである。

 

 高校時代、本気でベートーヴェンの三十二曲のピアノソナタについて書いてみたいと思った。じっさい書き始めてもいた。そんな思いは六十代の終わりになって形を代え、十六曲の弦楽四重奏曲で実現したけれど、やはり今でもピアノソナタについて書いてみたい気持ちが残っている。

 それくらいこれらの曲から、わたしは影響を受けて来た。

 

 

 

 

 七十才になって昔気付かなかったことが、いくつか分かるようになった。

 たとえば、音楽には刷り込み現象があって、たとえばわたしにとってのヴィルヘルム・ケンプのベートーヴェンだったり、カール・ベームのモーツァルトは確実に心の深いところに刷り込まれているということ。だから新しい演奏を聴くと、いろいろなところで刷り込みが試金石的に働き、好き嫌いが分かれることに気づくのである。

 

 高校時代はケンプとバックハウスのレコードしか持っていなかった。自宅に母が集めたと思われるベートーヴェンのSPレコードがたくさんあって、たまには聴いたけれど、やはり音が悪くてあまり興味を引かれなかった。

 ケンプとルプーの実演に行き、そこで神秘体験に近い経験をしたことも自分の人生を変える力の一つになったように思う。

 

 大学時代になると、ロシアのピアニスト二人に心を奪われた。もちろんリヒテルとギレリスである。この二人の作品13『悲愴』と作品57『熱情』に圧倒された。素晴らしい演奏だった。まさにベートーヴェンが言った「音楽は魂から炎を打ち出さなければならない」を実現する演奏だと思った。
 鉄血宰相としてドイツの統一を成し遂げたビスマルクも、『熱情』に勇気をもらっていたと伝えられるが、わたしもこの二人の演奏に何度も魂を鼓舞されてきた。

 

 もちろん今聴いても、素晴らしい演奏である。 

 

 

 近頃はあまり知られていないソナタや後期の作品を聴くことが多いのだが、七十一才になっても、時々リヒテルとギレリスから勇気をいただいている。
 

 これまで聴いてきたなかで、とても記憶に残っている演奏記録に児玉麻里さんの全集がある。こんなバランスの良い全集はないだろうし、どの曲も心の深いところに自然に響いてくる。
 

 他にも好きな演奏に、全曲は揃っていないのだけれどルドルフ・ゼルキンもある。ベートーヴェン後期の演奏にかんしてなら、ゼルキンの演奏がわたしの心に刷り込まれている。

 

 新しいところでは何といってもメロディ・チャオだろうか。まるで音そのものが生きて、弾んで、こちらの心に飛んでくるような演奏だと思う。

 

 しかし近頃いちばん感激したのは、リーリャ・ジルベルシュテインの『熱情』である。彼女の素晴らしさはピアノ2台によるブラームスの協奏曲1番やラフマニノフで書いたけれど、もっともっと取り上げられるべきピアニストだろう。ベートーヴェンの録音が少なくて残念だが、彼女の23番は必聴だと思う。

 女性の炎は、時として男性以上に凄まじい。

 考えてみれば彼女もロシアのピアニストで、モスクワ生まれ。どこかリヒテルやギレリスと共通した熱や炎があるように感じられる。

 

 23番(作品57)はベートーヴェンの恋人だったヨゼフィーヌの兄に献呈されている。いかにもベートーヴェンらしい、はぐらかし方だ。ほんとうはヨゼフィーヌに捧げたいのだが、それでは二人の秘密がバレてしまう。だから、あえて女嫌いで冷静なフランツに捧げたという訳だ。

 ベートーヴェンのヨゼフィーヌへの狂おしいまでの思いが『熱情』には込められている。

 なぜヨゼフィーヌがベートーヴェンと結婚しなかったかについて、わたしには新説がある。

 それは彼女の姉テレーゼがベートーヴェンを深く愛していることを、ヨゼフィーヌが知っていたから・・・というものだ。もし妹の自分がベートーヴェンと結婚したなら、姉のテレーゼを深く傷つけてしまう。それをわかって、優しいヨゼフィーヌは心のどこかで「テレーゼとベートーヴェンが結婚することを望んでいた」のではなかっただろうか。
 姉を想いヨゼフィーヌはベートーヴェンと結婚しなかった。しかし現実にヨゼフィーヌとベートーヴェンは数年間、裏口が隣り合った家に住み、まるで夫婦のように生活していたことも事実である。そしてテレーゼは晩年「なぜヨゼフィーヌはベートーヴェンと結婚しなかったのだろう。夫婦同然だったのに」と悔やんでいる。


 もし勇気が必要になったら、ぜひここに上げた『熱情』ソナタを聴いてみてください。

 

<写真はヨゼフィーヌ>

<写真下は姉のテレーゼ>

 

*このブログを書いた直後に Jonathan Biss を聴きました。こちらも素晴らしい演奏です。
 

 2022年、ロシアがウクライナに侵攻した時、わたしは大きなショックを受けました。人間は何と学ばない動物なのだろうとも感じました。

 ウクライナ戦争が始まってしばらくすると、これは巨大なビジネスをしている方々が、コロナ禍で受けた大きな傷を取り返すための戦争なのではないかと思うようになりました。ウクライナ戦争は舞台こそウクライナですが、内実はアメリカの軍産複合体がロシアを駒にして巨大なビジネスをおこなっているように感じられたのです。

 

 興味を持っていろいろ調べていると、じつはプーチン大統領の言っていることや、やっていることは非常に首尾一貫し、筋が通っているということに気付きました。エマニュエル・トッド氏の書かれていることが、正しいと思いはじめたのです。

 トッド氏は著作にこう書いています。

「国際関係の中で、より狂っていないのは最も権威主義的な国々だ」

 彼がまともだと言っているのはロシアと中国です。


 

 

 いちばん驚いたのは、ウクライナ戦争を続ける中で、いかにロシアの実体経済が強く、アメリカのそれが弱いのか、世界中に知れてしまったことです。すでにアメリカは負けているとも思えます。

 

 そんな2026年2月の終わり、イランとアメリカ&イスラエルの戦争が起こりました。

 

 イランとイスラエルの長きに渡る軋轢を、わたしはしっかり理解しているわけではありません。ただ歴史的にねじれにねじれ、もっとも怨念と因縁の蓄積された地域のひとつだという自覚はあります。

 

 戦争によりホルムズ海峡が封鎖され、世界経済がその影響を受けています。

 三週間ほど前の四月初旬、東南アジアから来られた VIP のスキーレッスンがありました。彼は東南アジアを代表する企業のCEOで、彼の動かしているタンカーがホルムズ海峡に留まっていたのです。自国のエネルギー事情について、ほんとうに心配されていました。彼の国で、現在極端なガソリン高騰が続いています。

 ガソリン代が上がる以上に、経済のさまざまな部分に支障が起き、未来の経済危機の原因になることが予想されます。

 

 VIP の方との会話もあり、イラン戦争の原因について興味を持ちました。
 そして今回の戦争で、じつはとんでもないことが進んでいることに気付いたのです。
 それこそが戦争の真の原因ではないかとも思うようになりました。


 それはペトロダラーが崩壊するかもしれないということです。

 ペトロダラーシムテムは「ドル以外の通貨で石油取引はできない」とするルールです。アメリカが金本位制を廃止する際、金に代わって石油を価値基準にしたことからスタートしました。もっと昔(1944年)のブレトンウッドにスタートを求めることもできますが、ドルが世界の基軸通貨と呼ばれるゆえんです。

 

 経済の血液と言われる石油を安全に売買するため、世界中の国々がアメリカからドルを買わなければなりません。
 どのような形でドルを手に入れるにしても、それはアメリカの利益となります。石油は取引量が莫大であるため、アメリカの利益も想像を絶する額になります。アメリカ経済は破綻していますが、ドルが基軸通貨である限り、アメリカは倒れることがないとも考えられます。
 しかし、イランが石油の売買に中国人民元を使用しはじめたのです。
 これによって、人民元建ての石油売買が急増。つまり、アメリカにとって歴史上最大の危機を迎えたこととなります。

 

 すでに実体経済が破綻しているアメリカはペトロダラーを失えば、即国家破綻となる危機すらあるのでは・・・とも考えられます。
 かつてイラクが石油取引にユーロを使おうとしたり、リビアが金(ゴールド)を使おうとしたりしてきました。そのたびアメリカは徹底した武力攻撃で制圧してきました。一月におこなわれたベネズエラへの侵攻も、石油利権だと考えられます。

 

 もう二十年以上も前のことですが、『テロリストは誰?』という映画を観たことを思い出します。

 

 かつて日本の政治家で、「アメリカ国債を売りたい」と発言した方々がいらっしゃいました。それらのみなさまは非常に不幸な形で死を迎えられたり、政治生命を絶たれたりしました。


 イランはそうした歴史に繰り返された御法度を、今回おこなったのです。
 とうぜんアメリカの逆鱗に触れ、戦争となりました。

 

 しかし問題は次の一点にあります。

 果たしてアメリカは勝てるのでしょうか?
 

 9.11の前後から、世界の多極化が言われていますが、この戦争こそ多極化を完成させるきっかけになるのではないでしょうか?

 すでに第三次世界大戦ははじまっていると言えます。

 第二次大戦以来81年間続いたアメリカの支配が、いよいよ終わろうとしているように感じられてなりません。

 

 アメリカの属国とも言える日本はどうすべきなのでしょう。

 今こそ真の独立を考えるべきではないでしょうか?

 これは最大のチャンスとも捉えられます。

 

 こんな嬉しい予測をされる方もいらっしゃいますから。

 

 

 このブログを書いた二日後に以下の本を読み始めました。
 とても興味深いです。