トナカイの独り言

トナカイの独り言

独り言です。トナカイの…。

My dear ski friends,

I want all of you are ready for this coming winter. And I like you to give me a favor.
If you know somebody who likes to learn how to ski, or how to ski better, please give the person the following web address.

 

 

 

I have been teaching ski more than 45 years. 
I feel like it is my mission to spread the joy and happiness of skiing.

 


Last year, I was asked to give my ski lessons more than I could handle. So I started looking for good ski instructors, who could speak correct English, and I found 3 of them. All of them have experiences to study English in United States' universities. And all of them are great ski instructors.

So if you know a person who likes to have ski lessons in English in Japan, specially in Hakuba area, please let them know my ski school.
We are ready for this coming winter. 

 

I really love to ski with the people from all over the world. 
They have shown me the different aspects of the world, and different points of view.
I would be taking more of the advanced side of skiers, and our new ski instructors would be taking the begginer, novice, and intermediate side of skiers.
 

I hope we see you this coming winter on the mountain of Hakuba.
Our ski school is situated on the mountain of Goryu.
The school will be open in the second week of December, and it will continue to be open till the first week of May.
We start accepting reservations from this September. You can check our bookings from the site below.

 

 

 

If you have any question, do not hesitate to ask me.
My contact address is the following.
  tsunokai@ski-lesson.info

 

See you in this coming ski season. 

 

 

Thank you very much for reading this!

 六月にミュージカル『ナディーヌ』で満員の観客から涙を誘い、七月に自作のみでイタリアに乗り込み、アッシジという特別な場所で大成功を収めた親友・三澤洋史君が、またしてもやってくれました。
 世界初、ドボルザーク『新世界』全曲によるオイリュトミー公演です。
 そんな公演の初回となる『東京公演・パルティノン多摩会場(大ホール)』に行き、鑑賞してきました。

 


 

 オイリュトミーという言葉は日本ではほとんど知られていません。わたしの友人には知っていらっしゃる方も多いのですが、一般的には説明が必要でしょう。

 

 オイリュトミーはルドルフ・シュタイナーが生みだした動き(運動)を主体とする芸術です。パフォーミングアーツとも言われ、舞踊に近いものです。じっさい、何も知らないで鑑賞したなら、踊りだと思われるでしょう。
 

 わたしがルドルフ・シュタイナーを知ったのは、三澤君とその奥さまからで、もう五十年くらい昔のことになります。そして大学時代はずいぶんシュタイナーの本を読みました。彼は1861年生まれの教育者で哲学者ですが、神秘的な現象に深い興味を持ち、神智学を経て人智学を創設した神秘家でもあります。


 彼の思想はカール・グスタフ・ユングの心理学に強く流れ込んでいます。つまりわたしが傾倒する河合隼雄先生の思想にも、シュタイナーの影響がしっかり流れ込んでいると言えます。
 

 そんな経過から、わたしは自分の心のなかで勝手に、オイリュトミーはきっと太極拳や練功に近いものだと思い込んでいました。シュタイナーが「気」を知り、感じ、操ったのは間違いありませんし、その先も見ていたと信じられるからです。だから、気の流れを体の動きで現し、増幅する動きではないかと思い込んでいたのです。
 

 しかし二日前のオイリュトミー公演で見たものは、そうした気功の世界とはかなり異なったものでした。
 どう異なっていたのかを、わたしなりの解釈で説明してみます。

 

 「気」を人間が扱う時、気は大きく三つに分けられます。ひとつは『気を発する』こと。自分の内側から何かに向かって気を発することです。次は『気を受けること』。何かが発した気や、どこかに存在する気を、自分が感じたり吸収したりすること。三つ目が『気を練る』ことです。これが練功とも呼ばれる「自身の意志で気を育てる」ことに繫がります。

 練功と呼ばれる武術(太極拳など)や体操(練功十八法など)では、気を練ることが重要なところであり、それを意図した動きが組み込まれています。そして気を練ることは、健康増進や気力充実など、個人の心身のエネルギー向上にもつながります。

 わたしの「気」の師である故・吉宮照詞先生や親友の遠山知秀氏は、こうした練功の達人でもあります。じっさい吉宮先生の演舞を見ていると、そこに濃密な気の流れを見ることができ、感じることも、触ることもできました(触れるのは気感のある方のみですが)。

 

 わたしはシュタイナーやユングは、こうした練功のレベルまで理解していたに違いないと思っていたのです。


 しかし二日前のオイリュトミーは、気を発するばかりで、練る要素がとても少ないものでした。

 そして上昇志向が非常に強いものでした。

 正直「このやり方でベートーヴェン五番をやったら、たいへんなことになる」と思ったのです。たぶん五番(運命)だと健康を損なうほど気を発さねばならないと思いました。

 

 もちろんオイリュトミーには練功的な要素もあります。しかし、気を受けたり、練ったりする以上に発する要素が強く、演舞者は当日は高揚感から元気かもしれませんが、長い目で見ると、かなり気を消耗するものでした。また表現としての芸術性が非常に高いものでした。音楽を動きで現すという面から見るなら、たいへん美しく感動的な芸術でもありました。しかし、気功的な面から見ると、やはり少し片寄ったものと感じられてなりませんでした。

 

 わたしなりにいろいろ解釈してみると、やはり欧米人は非常に上昇志向が強く、その達成方法も気を発する方法なのだというところに落ち着きそうです。もちろん正解はわかりませんし、わたしが間違っている可能性も大きいのですが。

 ちょうど終わったばかりのオリンピックが象徴する「より速く、より高く、より強く」という上昇志向が強く感じられたのです。
 ところが、現在の地球はまったく逆を望んでいることも事実です。「よりゆっくり、より低く、より弱く」しない限り、地球は人類の存続を許さないほどに。
 ギリシャ彫刻のような姿を美とした西欧人たちと、仏像を理想とした東洋人たちの違いかもしれません。つまり天をめざすオイリュトミーと、地をめざす練功。

 

 公演全体はプロジェクト代表の小林裕子様が語られたように、強力な意志と意欲で、数々の困難を乗り越え、それらの過程を演舞のなかに感じられる感動に満ちたものでした。

 またピットの壁で囲まれたオーケストラの音が反響してから舞い上がり、それが会場の天井からわたしの頭上に降り注ぐ形となり、「オーケストラとは何と素晴らしい存在なのだろう!」と感じ続けました。

 

 今回のオーケストラには数多くの友人たちが参加しています。
 オーケストラは「にも」と名付けられ、数々の困難や障害「にも」かかわらず、「生き続け」「ともしび」を掲げ続けるという意味を含んでいるそうです。
 東京に続き、名古屋(8/24)、福岡(9/23)と続いていきます。
 素晴らしい感動に、あなたも触れてみてはいかがでしょう。
 

 

 気に関心のない方も、美しさと繊細さに震えるような感動を覚えるでしょう。
 

 まったくの余談ですが、会場は超満員を超えていました。そして、ほとんどのみなさまが「綿」か「麻」で作られた服を着ていらして、不思議な雰囲気に包まれていました。たぶん化繊を着た方はいらっしゃらなかったのではないでしょうか。
 そんなところにもシュタイナーへの想いが込められていたのかもしれません。

 

 *写真は演奏会場に向かう中央高速より。富士山が美しかったです。

 

 六月の初め、大阪に行ってきました。

 尊敬する友人が、定例サロンにゲストとして招いてくださったからです。そこには錚々たるメンバーが参加しておられ、二日間に渡って刺激的なお話しが続きました。
 わたしを招いてくださったのは『日下教育研究所』所長の日下和信先生です。

 

 そんな日下先生と知り合えたのは、伊吹卓先生のおかげでした。
 わたしは興味を持つと、その世界を徹底的に知ろうとします。三十代で河合隼雄先生の著書に影響を受けた頃、同時に伊吹卓先生の著書にも感動して、なにしろ読みまくりました。そしてファンレターを出させていただいたのです。

 

 河合先生と伊吹先生の著書には多々共通点があります。同じ内容を言っている場合も多いのです。

 そんなお二人でしたが、より概念寄りの河合先生にくらべ、なにしろ伊吹先生の本からは、「血と汗と涙」が感じられました。
 河合先生には「いつかお会いしたいなあ」くらいに感じていましたが、伊吹先生には「すぐにでも会いたい」と感じたのです。

 

 当時はまだパソコンもなく、ようやくワープロを使い始めた頃でした。当然ネットはなく、アマゾンなどというものは想像もできない時代でした。ですから、東京に行くたび、大型書店を回って伊吹先生の本を探しました。

 

 そして三十冊ほど読んだ頃、ファンレターを出させていただいたのです。
 すると数日後、伊吹先生ご本人からお電話をいただきました。

「東京でお会いしませんか、ちょうど中間地点でしょう?」

 当時猪苗代に住んでいたわたしと、大阪に事務所を構える伊吹先生でした。

 もの凄いスピード感と感動、情熱から、すぐこうご返事させていただきました。

「お会いいただけるなら、すぐ大阪にうかがいます」

 

 こうして伊吹先生にお会いすると、たいへんおもしろがっていただきました。きっとスポーツの世界で生きてきたわたしは、先生にとって珍しい存在だったのでしょう。高名な実業家なら、ほとんど面識のあられた先生ですが、わたしのように社会的地位も名誉もないスポーツ選手から指導者と、非常に変わった人生を送っている人間は希有な存在だったのでしょう。

 

 次にうかがった時には伊吹先生の親しいお友達を呼んでくださり、トントン拍子に猪苗代福島ツアーが企画され、素晴らしい人間の輪が広がりました。こうして当時、大学教授をされていた日下先生とも親しくさせていただきました。

 伊吹先生はとても痩せておられ、細いお体でしたが、常に激しくかつ情熱的に、若造のわたしに接してくださいました。

 

 こうしたみなさまと縁が遠くなった理由は、わたしが猪苗代から白馬に移動し、自身の生活も大きく変わり、自分のことだけで精一杯になってしまったことがあります。今でも同じようなものですが・・・・・・。

 

 今回、日下先生に呼んでいただき、サロンが終わると以下の本をいただきました。

 

 

 白馬に戻り、久しぶりに伊吹先生の本を読ませていただきました。
 すると、かつて感じたのと同じ感動や気付きに襲われたのです。


 なぜ伊吹先生に深く惹かれたのか、今ならよくわかります。それは先生の持ち続けられた人生へのロマン、まさに人間へのロマンというものが発する熱い情熱、そんな道を歩まれる際の強烈な自己分析力に惹かれたのです。

 故・平先生がお持ちだった情熱やロマン、自己分析力にも深く通じています。


 わたしは猪苗代から白馬に引っ越す時、ほとんどの蔵書を処分してしまいました。なぜなら莫大な量の書籍があったからです。河合先生の本も同じです。ただ河合先生の本はこちらで全集を揃えることができましたが。

 白馬に伊吹先生の本はたった一冊しか持ってきていません。今回日下先生にいただいたものを含めて二冊になります。
 しかし、やはり大きな影響を受けたことがわかった今、また手に入るものを集めて再読してみたいと感じています。

 チャンスのあるみなさま、ぜひ伊吹先生の本を読んでみてください。
 今も手に入るお勧めはこちら;

 

 あと半年で70歳になる。

 20代後半のわたしは、正直70歳までスキーを滑れるとは思っていなかった。それどころか30代でも難しいと感じていた。後遺症の残るヒザの怪我で、そこまで体が持つとは信じられなかったからである。

 そんな中、気付くと50代になり、今70になろうとしている。

 

 スキーを始める前、わたしはかなり真剣に水泳をしていた。小学校の頃はただ泳いでいただけだったけれど、中学も3年になると、いろいろ自分なりに研究を始めた。そして高校生になると「なんと自分に合わないスポーツを選んでしまったのだろう」という事実に気付いてしまった。なぜなら、手足が小さく身長もないわたしは、水泳でとても不利だとわかったからである。

 しかし、そんな水泳理論はまたの機会にしよう。

 

 とにかく水泳を続けてきたわたしは、小学校5年から昨日までの記録を残してきた。

 昨日出場した長野県選手権での29.51という記録は、中学3年の市民大会29.5とほぼ同じ。高校1年の時なら28秒台で泳ぎ、高3なら27秒台で泳いでいる。自己ベストは54歳の26.85である。

 自分で感じた水泳のピークは57歳で、この年25m自由形を12.19で泳いでいる。

 

 

 57歳をピークに、わたしは後縦靱帯骨化症という難病に罹ったり、肩の極度の拘縮に襲われたりしながら、徐々に水泳のタイムを落としてきた。そしてコロナ禍となり、3年間水泳競技会から離れてしまった。その間「もう泳ぎたくない」とは思わなかったけれど、やはりタイムが落ちていくのは淋しく、悲しいものと感じていた。

 

 そんな下降線上のトレーニングを考える時、わたしの周りにはお二人、素晴らしい見本がいらっしゃる。

 お一人はパワーリフティングの世界チャンピオン・沖浦克治さんである。
 彼はわたしより約10歳年上でありながら、階級を変え、今でも進化を見せてくださっている。

 もうお一人は水泳の世界チャンピオン・松本弘さんである。

 わたしより約15歳年上であり、水泳人生のピークが73歳という偉人である。それだけでなく今でも常に練習を重ね、下降線を少しでも上向けようと努力を続けられている。

 お二人に共通して言えることは、人格の素晴らしさ、それに加えて年齢に合致しない優れた認知能力である。

 自分や自分の両親を持ち出すまでもなく、誰しも年齢が上がると、忘れっぽくなったり、短気になったり、自分勝手になったりする。わたしの尊敬するお二人に、そんな徴候はまったく感じられない。加えて若者の話をじっくりと聴く姿勢を、今でもお持ちである。

 

 ここ十年くらいでスポーツ科学やスポーツ医学は飛躍的に伸び、さまざまなことが解明されつつある。そこで「脳の活性化」は「身体トレーニング」と緊密な関係にあること、脳をフルに使うためには肉体の使用が欠かせないことなどが分かっている。

 お二人を見ていると「まさにそのとおり」と思わざるを得ない。

 

 今年、わたしはスキーシーズン中に体調を崩した。不調は一か月以上に渡り、高熱も出た。忙しかったこともあるけれど、それ以上に冬場、スキーで一杯いっぱいになってしまう自分の人生設計を、心から反省した。そんな人生をもう40年近く続けて来たことも、見直そうと思った。

 沖浦さんは「歯を磨いたり、顔を洗ったりする感覚でトレーニングしましょう」と言う。

 200キロ近い重量を持ち上げる彼を見て、それが「顔を洗う」のと同じだとわたしには思えないが、きっと彼は「トレーニングをできるだけ日常的なものにしたい」のだろう。

 また沖浦さんは、「追い込みすぎない」ことが大切だとも言う。

 こちらは近頃、わたしが感じていることでもある。伸ばそうと思って頑張っている種目ほど数値が伸びず、維持しようと軽くやっているところが伸びてくるような現実を、しばしば体験しているからである。
 やはりトレーニングも「頑張りすぎず、諦めず」が大切だと、ようやく理解するようになってきた。

 

 現在、オリンピックが開幕し、肉体性能の頂点で活躍するアスリートの姿を見ることができる。20代のわたしもそうだったのだが、最高の状態でより高みをめざす姿は感動的だ。

 上り坂にあるアスリートの姿は紛れもなく素晴らしい。が、下り坂で頑張るアスリートこそ、今のわたしにとって、より感動的に感じられる。

 どんなスポーツにも、マスターズにはそうした感動的な人生を見せてくれるアスリートがいらっしゃる。

 わたしも「頑張りすぎず、諦めず」少しずつ、努力を積み重ねていきたいものだ。

 2023年12月にもシンギュラリティについて書きました。

 そこに以下の文章があります。

 「わたしが生まれた1955年1月、わたしの家には冷蔵庫も洗濯機も、テレビもラジオも電話もなかった。周りに有線電話のある家があったかもしれないが、よく覚えていない。

 それが1964年、東京オリンピックがおこなわれた年になると、自宅にはカラーテレビがあり、冷蔵庫や洗濯機、蓄音機、ガスコンロなどが揃っていた。移動手段も自転車から自家用車に代わっていた」

 

 シンギュラリティという言葉を自分なりに理解すると、以下であることも書いています。

 「シンギュラリティ」は「特異点」を示す言葉で、『AIが進化して人間の能力を上回ることで、さまざまな大変化が起きる転換点』を指す」

 

 この「シンギュラリティ(技術的特異点)」という言葉を最初に使ったのはレイ・カーツワイルという科学者・哲学者だそうで、彼は次のように説明しています。

 「特異点(シンギュラリティ)とは何か?

 テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来るべき未来のこと。

 (中略)人間の生みだしたテクノロジーの変化の速度は加速していて、その威力は、指数関数的な速度で加速している」(『いま世界の哲学者が考えていること』112P)

 

 シンギュラリティに絡んで、自分がよく考えることに以下があります。

 産業革命以来、世界では機械化が進み、ロボットが人間の仕事を代行していくようになりました。そこで、ロボットが仕事をやってくれるのだから人間は働かずとも豊かになると思えるのですが、現実はまったく逆で、ロボットに仕事を奪われ・・・人件費の安い国に仕事を奪われるのと同じ事が起こり・・・どんどん貧しくなる人々が生まれています。
 それが、シンギュラリティで莫大な加速を遂げるように考えていました。それはそれで恐ろしいことですが。

 ところが特異点の問題は、それどころの騒ぎでないことを、知ってしまったのです。

 二週間ほど前、わたしのスクールで顧問的な立場をお願いしている方と、たいへん刺激的な話をさせていただきました。

 彼は白馬村にインターネットを持ち込んだ方で、今も IT や AI の第一線で活躍されています。ウインドウズ95が発売されて以来、コンピューターのことは彼を頼りにしてすごしてきました。パソコン初期からランを構築したり、メールマガジンをスタートできたのも、ひとえに彼のおかげなのです。

 そんな彼が「わたしの仕事はあと4、5年しかない(と思う)」と発言したのです。

 

 彼曰く「シンギュラリティにはさまざまな観点があるけれど、機械が人間を介さずに自己増殖したり自己革新したりする可能性が強い」というのです。

 これは「機械(AI)」が意識を持つ可能性を示しています。

 

 アイザック・アシモフの著書『アイ・ロボット』には、ロボット三原則というものが書かれ、意識を持ったロボットを人間が管理できるという筋書きになっています。しかし、自己革新を進める AI がどこで意識を持つのか人間には分からず、またその転換点に人間は到底関与できないということになります。

 

 

 脳は体を操るために進化してきました。

 そして複雑な動作を可能にするため、シナプス結合が繰り返され、その過程のどこかで動物は意識を持ったのです。そんな意識がより磨かれていき、自意識と呼ばれるものを生みました。

 

 AI 革新の過程で、そんな意識がどこで生まれるのでしょう。そして、もし生まれたとしたなら、AI が人類を「地球の敵」と認識する可能性はどのくらいあるのでしょうか。

 あのスティーヴン・ホーキング博士は、2014年に次のような予言を残しています。

 「いつの日か、自立する AI が登場し、とてつもない速さで自己改造をはじめるかもしれない。生物学的進化の遅さに制限される人間がこれに対抗できるはずもなく、いずれ追い越されるだろう」

 人間を追い越した AI が、どのように考えるのか、わたしたちには知ることができません。

 AI が感情を持つようになるのかどうかも、わたしたちにはわかりません。

 しかし、AI は人間の脳と同じ進化を経ています。だから、どこかで意識を持ち、感情を持つことあり得ないとは言えません。

 

 わたしたちにわかることは、もう遠くない未来に、シンギュラリティがやってくること。そしてこの世が大きく・・・・想像を絶するほどに大きく・・・・変わるということです。

 

 わたしは「ベーシックインカム」という考え方を肯定しています。
 その理由は、人間の仕事をどんどん機械が代行するのだから、人間はもっとのんびり生きた方が良いと考えているからです。

 環境問題を重要視したなら、いちばん大事なのは重工業を抑えることになります。莫大なエネルギーを必要とする重工業を抑え、人間はできる限り移動せず、競争を避けること。もっとも避けるべきは戦争で、戦争ほど重工業を盛んにするものはありません。破壊と創造を繰り返す戦争ほど、不必要なものはありません。

 

 そんな観点から、シンギュラリティを考えてみると、今より少しはましな未来が見えてこないでしょうか?

 わたしたちはそんな変化にどう準備したら良いのでしょう。
 

*写真はI,Robot から。