トナカイの独り言

トナカイの独り言

独り言です。トナカイの…。

 わたしが尊敬する作家にアルフィ・コーンがいる。彼の名著 『競争社会を超えて』 に、こんな言葉が書かれている。

 「(わたしは)いわゆる構造的な競争と意図的な競争を区別したほうがいいと思う。前者は状況について語ったものであり、後者は態度について語ったものである。構造的な競争は、勝利/敗北の枠組みをとりあつかうもので、外在的なものである。それにたいして、意図的な競争は、内在的なもので、ナンバー・ワンになりたいと思う個人の側の願望にかんするものである」

 

 

 ベートーヴェンはボンからウィーンに移って以来、ずっとナンバー・ワンになるために努力してきた。その願望は純粋に内在的なものだった。ところがその願望は自然に、彼を構造としての競争世界にも投げ入れることになる。

 すなわちピアニストとしてのライバルたちとの競争である。彼はそんな他者との競争を繰り返して、音楽家としてのし上がった。それは武士の一騎打ちにも等しい真剣な対決だった。

 対決した相手は、当時世界最高のピアニストと呼ばれた数々の名演奏家である。ベルリン生まれのシュタイベルトや、後にベートーヴェンの伝道者となるフンメル、 「あいつ(ベートーヴェン)には悪魔が付いている」 という言葉で今に到るまで知られるゲネリク、そしてベートーヴェンに負かされるなど誰も想像できなかった当時最高の名手と言われたモシェレスなどである。
 ベートーヴェンの即興演奏がいかに素晴らしかったかを、たくさんの人たちが語っている。その誰もが、あたかも彼を絶頂期のロックスターであるかのように表現している。こうした方向性はそのままフランツ・リストのスター性へと引き継がれていく。

 

 ベートーヴェンは日々、他の素晴らしいピアニストと比較されて青年期をすごしたのである。

 そんな経験から、彼の心には他者との対立や競争と言った世界が育まれた。それだけでなく、聴覚の異常から生じた運命の不条理に対する不満や憤りも強く育まれたに違いない。

 彼の音楽には、しばしば怒りの感情が爆発する。それは彼の運命に対するやり場のない怒りであったのかもしれない。

 

 彼が経験した 『対立』 や 『比較』 という世界を描き出すという点で、弦楽四重奏なら第7番から9番までのラズモフスキー全3曲が傑出している。ここには彼のナンバー・ワンを目指す気持ちや負けたくない気持ち、苦しみを乗り越えようという意志が、明確に表現されている。

 もちろんこの前年に発表されたピアノソナタ第23番 『熱情』 には、ラズモフスキー以上に燃えさかる炎が描かれているし、この二年後に書かれる交響曲第5番には、究極とも言えるほど、対立して葛藤する世界が描かれている。

 こうした競争の世界は、アスリートの世界に酷似している。

 他人と競って、ナンバー・ワンになることに価値を置く世界である。

 ベートーヴェンのように野心に満ち、同時に自信に満ちて世界に飛び込んだ若者なら、誰もが避けて通れない道だとも言える。ちょうど心理的なドラゴンクエストとなる道程である。

 

 加えて、上記のような比較競争の世界は彼の時代、現代とは違う特別な意味を持っていたことも考えてみたい。それには、時代背景を理解することが糸口となる。

 ベートーヴェンは1770年に生まれた。それはちょうど、イギリスに産業革命が進行した時代である。

 青年期から経験したフランス革命に掲げられた 『自由・平等・友愛』 という精神のバックボーンは、この産業革命から生まれたと考えられる。

 産業革命によって、商人(ビジネスマン)や銀行家(金融業者)が力を持ちはじめた。つまり彼らの方が貴族より金持ちになりつつあったのだ。そんな裕福な平民の台頭が、それまでの封建社会(貴族社会)を変革していった時代である。

 つまり、人間は自由で平等であるという思想の背景には、「誰でも競争して勝ちさえすれば、裕福になれる」 とか 「競争して勝利すれば幸せになれる」 という可能性が見え始めた事実がある。
 いっぽうベートーヴェンを支援した貴族たちは啓蒙的な貴族たちで、こうした時代の変化を感じていた。だからこそベートーヴェンを彼らと平等に扱い、彼を尊重したのである。

 少しベートーヴェンから離れて、時代を俯瞰してみたい。
 産業革命で化石エネルギーが使用され、時代は大量生産を可能にした。それによって多くの労働階級が必要とされ、資本家と労働者という階級の分離が起こった。そして資本(金)は、経営者の側に蓄積されていった。
 蓄積された資本は金融業を生み、銀行が社会の重要な仕組みとなっていく。


 それまでの社会は、土地を支配する貴族が小作人を管理する封建制だった。しかし産業革命によって、土地が生み出す農産物より、工場が生み出す工業製品の方がより価値を持つ時代が始まったのである。それによって、産業革命の恩恵を受ける工場主や銀行家に富が集まりつつあった時代に、ベートーヴェンは生きた。

 政治だけでなく、経済構造も大きく変わった時代である。

 現代に続くナンバー・ワンへの信仰は、この時代に始まったと言ってもいい。
 彼自身、音楽家として世界初のナンバー・ワンであり、世界初のフリーランサーとも考えられる。


 もう一歩脱線すると、産業革命とは化石燃料を使用する革命でもある。だから、地球温暖化の起源は、この産業革命とフランス革命の時代にある。莫大なエネルギーを生む化石燃料が、産業革命を実行し、資本家を生み、資本の蓄積と資本主義を生んだと理解できる。

 そんな世界が競争を始める時代に、ベートーヴェンの音楽は発表されたのである。だから、彼の曲が、18世紀から20世紀へと高く評価されたのは、当然だと考えられる。なぜなら彼の中期は、そうした競争の世界を顕しているのだから。

 

 そして、こうした世界をもっとも反映する弦楽四重奏曲は、ラズモフスキーと呼ばれる三曲であろう。

 これら三曲はラズモフスキー伯爵からの注文で創られたもので、そのためにラズモフスキーと呼ばれている。
 たぶん世界の弦楽四重奏曲のなかでも、もっとも人気のある曲のひとつだろう。だから日本でも演奏される機会は圧倒的に多い。

 


 <写真はラズモフスキー伯爵>

 

 ここで取り上げる第9番は、大きな不安に揺れ動く心を感じさせるような序奏で始まり、そこから一気に、ベートーヴェンの自信と野心を歌い上げていく。まるでドラゴンクエストに出発するような始まりである。
 『ベートーヴェン闘いの軌跡』 のなかで、井上氏はこのように書いている。

「ベートーヴェンは、この世の不条理に向かって怒りをぶつけ、己の情念を開放し、情念と共に生きることに己を駆けたといってもよい」

 そんな心を揺さぶる音楽である。

 三楽章から切れ目なしに四楽章へ突き進むが、四楽章を聴くと、わたしはいつも陸上レースにおけるデッドヒートを思い浮かべてしまう。たとえば一万メートル走の最後の一周でトップが何度も入れ替わるような場面である。

 まさに、アスリートの世界が描かれている。そう感じてしまう。


 ベートーヴェン中期の音楽は、本気でスポーツに取り組んだことのある人なら、誰でも心を揺さぶられるに違いない。そうした競争のなかで、彼は 「苦悩を貫いて歓喜へ」 の世界を描いている。
 ちなみに彼のスケッチのこの部分には、次のような走り書きがあるそうだ。

 「おまえがここで社会の渦巻きの中に突進するように、できうるかぎり、あらゆる社会的な障害に屈せず歌劇を書くようにせよ。あまえの聾󠄃については、もはや何の秘密もあるまい」

 

 しかし、前出のアルフィ・コーンに依ると、「ある人間が競争的であればあるほど、自発的ではなくなってしまい、びっくりするようなことにたいしてもますます鈍感になり、認知過程における柔軟性がますます失われてしまう」 という。

 つまり、競争は想像力の減退につながるというのである。
 競争と葛藤に生きたベートーヴェンは中期から後期にかけて、大きな減退期 ・・・・ スランプの期間 ・・・・ を経験する。それについては、後期の弦楽四重奏と絡めて書こう。

 

 アルフィ・コーンは資本主義についても、次のように述べている。

「資本主義の推進力は、利潤の追求にある。資本主義は人間の必要を満たすことに成功しているといわれるが、それは、たんなる偶然によるのである。実際、この目標はひきつづき財の消費をもとめ、財の消費を不断に拡大していくことをもとめるのである。そうした財は、欲求を満たそうとする場合にのみ購入されるのである。広告業界が存在しているのは、こうした欲求を生みだすためであり、いまもっているものについていつでも不安を感じるようにしむけ、また、さらにべつの生産物を購入することによって実現されるものがあるのだと説いて聞かせてやるためなのである」

 

 ラズモフスキーを超えて、ベートーヴェンはしだいにこうした真実に気付いていくことになる。
 そこに彼の真の偉大さがある。

 



 弦楽四重奏曲第9番は世界的に人気のある名曲であるだけに、名演が目白押しである。
 アルバン・ベルクの旧盤は、今でもスタンダードとしての価値が高い。
 緊張感の高い演奏ではタカーチやアルテミスも素晴らしい。
 もちろんエベーヌは必聴の魅力を持っている。
 しかし、ここでわたしが第一に押したいのは、強い悲劇性を感じるカザルス弦楽四重奏団の演奏である。
 ぜひお聴きいただきたい。

 

 

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲について書いているこのシリーズも、いよいよ今回で第6曲目となった。加えて今回取り上げた曲は、初期全6曲のなかに1曲だけ存在するハ短調の曲である。
 なんと言っても、ベートーヴェンのハ短調は特別なのだ。

 その調性の曲には大切な意味が込められ、本人の大事とするところを象徴している場合が多い。

 彼の弦楽四重奏曲は全部で16曲あるが、ハ短調の曲はこれ1曲のみ。だから、そろそろ核心に触れる問題の一つを書いておきたいと思う。

 

 それはベートーヴェンの聴覚異常についてである。

 

 

 記録に残る限り、彼が初めて聴覚の異常について他人に知らせたのは、1801年の6月 ・・・・ 30才の時である。

 二人の親友に、手紙でその苦しい胸の内を伝えている。

 幼なじみの内科医フランツ・ヴェーゲラーと、音楽家のカール・アメンダである。
 ヴェーゲラーはフリーメイソンであり、思想的にもベートーヴェンを深く理解していた人物である。
 アメンダはモーツァルトの子どもたちの教師を請われた音楽家で、この手紙を受け取った後に牧師となっている。ベートーヴェンがもっとも信頼していた人物の一人と言っていい。

 

 アメンダについて少し脱線させてもらおう。
 ベートーヴェンは出版前の弦楽四重奏曲第1番をアメンダに送り、そこにこんな言葉を添えている。

 「親愛なるアメンダ、この四重奏を我々の友情の小さな証として受け取ってくれたまえ。そしてこれを弾いたならいつでも、共に過ごした日々と、君への限りない友情を思い返してほしい。私はいつもそう感じているのだから。・・・・ 君の温かき真の友、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」
 これを送った二年後に、こんな手紙も送っている。

 「・・・・君の手元にある例の弦楽四重奏曲を他人に見せないでほしい。私は今、ようやく弦楽四重奏曲の書き方を知ることができたので、あの曲をかなり書き直してしまったのだ」

 この文章から、ベートーヴェンが第1番に相当な自信を持っていたのもかかわらず、二年間というもの推敲を重ねたこと。加えて、弦楽四重奏曲の発表にいかに慎重だったかを知ることができる。
 いっぽうのアメンダは後に、ベートーヴェンとの友情についてこう書いている。

 「わたしは、この人にであれば自分の全人生を捧げても構わないと思っていた」

 

 話を、ベートーヴェンの難聴に戻そう。

 親友たちへの手紙のなかで、「聴覚の異常は三年前から始まっていた」 とベートーヴェンは伝えている。そして 「演奏や作曲にはほとんど障害にならないが、人との対話が困難になりつつある」 と言い、「相手の声は聞こえるのだが、耳鳴りが絶えないため相手の言葉が聞き取れない」 と説明し、「誰かに大声を出されると、耐えがたい」 と書いている。

 これらの手紙からすると、彼の難聴は1798年には始まっていたことになる。
 それは、ベートーヴェンがウィーンに移って6年経った年だ。過酷な競争を勝ち抜き、ピアノ演奏家としての名声と作曲家としての地位を確立しつつあった頃の話である。

 

 音楽家として全力で疾走する青年が、聴覚に問題が生じつつあると知った時の衝撃は、いかばかりだったろう。

 まず彼が取ったのは徹底的な防御姿勢であり、秘密主義だった。
 耳に問題があることを、誰にも言わず、すべて自分一人で抱え込んだのである。

 この間、何人もの医師に診てもらっている。

 

 「もし、もっと酷くなって、直らなかったら・・・・・・」

 自分の未来を絶望する時もあっただろう。
 「敵対する人々が知ったなら、どんな攻撃を仕掛けてくるだろう」

 彼には多くの敵も存在していた。

 「もしピアノ演奏家のライバルたちに知られたら、どんなうわさを流されるだろう」
 そんな怖れも感じたに違いない。
 「自分の未来に期待して、高額の援助をおこなってくれるパトロンたちに知られたら・・・・・・」
 それこそ、将来が暗いという理由から、援助を打ち切られてしまうのではないか。
 生活の危機すら感じたであろう。

 

 そんな不安と怖れのなかで、彼は刻一刻とスターダムの頂点へと駆け上がっていった。
 根本的な故障を抱えて、第一線で活躍する有名アスリートと同じ状態である。

 誰にも知らせず、希望と絶望が繰り返す三年間を過ごしたことは、ベートーヴェンの精神と人間性にどれほどの影響をもたらしただろう。

 

 こうした青年期を経て彼の自我に、巨大な葛藤が育っていく。

 まず、自分の才能に絶対の自信を持っているにもかかわらず、それが破壊されてしまうかもしれないという葛藤。

 次に、自由と平等を目指しながらも、特権階級の貴族たちに養ってもらっているという概念的葛藤。

 また、美しい女性にひかれて相思相愛になりながらも、身分や収入の問題で結婚を迫れない葛藤。

 こうしてベートーヴェンは自分の中に、途轍もなく大きな不安と苦悩を抱え込んでいった。


 彼の初期の作品のなかで、この弦楽四重奏第4番ほど、そんな不安と苦悩を示す作品はない。
 難聴が始まった頃の作品として、ピアノソナタ第8番 『悲愴』 があり、 この弦楽四重奏第4番と並んで、彼の内面的葛藤を見事に表している。どちらもハ短調の曲である。

 

 弦楽四重奏曲第1番の項目で、音楽家を目指す少年モシュレスの話を書いた。
 それは、彼がこんな噂を耳にしたというものだった。

 「若い作曲家がウィーンに現れて、誰も弾けず、理解もできないおかしい限りの代物 ・・・・ あらゆる規則に違反した気違い音楽を書いている。その作曲家の名はベートーヴェンという」

 この話には続きがある。

 モシュレスはこの噂からベートーヴェンに興味を持ち、楽譜を図書館に探したのである。そしてピアノソナタ第8番を見つけて写譜し、練習を開始。その曲に心底魅了されてしまうのだ。

 音楽学校に通うモシュレスは、ベートーヴェンを弾くことを固く禁じられていたにもかかわらず、ベートーヴェンの音楽に取り憑かれてしまった。

 モシュレスは後年、シューマンが演奏家への道を断念するきっかけとなったほどの大ピアニストへと成長する。そしてメンデルスゾーンの教師となり、ベートーヴェンの音楽とその価値をメンデルスゾーンへ引き継ぐだけでなく、一生を通じてベートーヴェンの音楽の素晴らしさを広め続けている。

 

 そんなピアノソナタ 『悲愴』 に通じる葛藤が、この4番に見事に表されている。

 疾風のような1楽章の第1主題。優しいメヌエットすら、まるで泣いているようだ。そして、つむじ風のような第4楽章。

 若者なら誰でも持つであろう人生への不安や苦悩を表した曲は、ベートーヴェンまで登場しなかった。

 文学において、ゲーテの 『若きウエルテルの悩み』 が成し遂げたことを、ベートーヴェンは音楽の世界で実現した。どんな若者にも共通する不安と苦悩を大声で叫び、若者の心を虜にしたのである。

 それはベートーヴェン自身が、耐えきれないほどの不安と苦悩に生きていたからに他ならない。
 そこに顕されたのは、彼自身の内面にある不安と怖れ、自我の葛藤であった。

 

 

 この曲を初めてハーゲン弦楽四重奏団で聴いた時の衝撃を、今でもありありと覚えている。
 これまで知っていた曲が完全に生まれ変わってまったく別の顔となり、自分の前に立ち上がった瞬間を忘れることはできない。

 彼らは、楽譜を改ざんして演奏していないことを証明するかのように、楽譜のどこを弾いているかを示す映像まで付けて発売した。

 その演奏は、ベートーヴェンのハ短調の真の意味を伝えることに成功している。

 

 

 あの時の衝撃から20年以上が経って、今ハーゲンのような演奏が続々と発売されている。
 エベーヌやアルテミスが、まさにベートーヴェンのハ短調の意味を教えてくれる。
 素晴らしい時代になったものだ。

 

 ベートーヴェンの聴力異常については、これまでさまざまな説が述べられた。

 しかし決定的と考えられるのは、2005年に米国アルゴンヌ研究所がベートーヴェンの頭蓋骨についておこなった詳細な分析である。研究所は、そこに多量の鉛を検出した。それまでも毛髪から鉛が検出されていたことから、ベートーヴェンは鉛中毒だったことがほぼ確認されたという。
 鉛中毒はベートーヴェンが示した腹部の症状や聴力異常の原因となり得ることで、所見が一致している。
 ベートーヴェン時代の安価なワインには、大量の鉛が含まれていたことから、そこに原因があるという説が、現時点でもっとも信憑性が高い。
 

 ベートーヴェン弦楽四重奏曲第11番 『セリオーソ』 の項で、ベッティーナ・ブレンターノについて書いた。その理由のひとつは、ベートーヴェンが初めて彼女に逢った頃にセリオーソが書かれたからで、もうひとつの理由は、ベッティーナがベートーヴェンの人生にとって重要な女性だったからである。

 


 ベッティーナと出逢ったベートーヴェンは、彼女が近隣にいる限り、一秒たりとも彼女から離れようとしなかった。逢ったその日も、彼女の宿まで送っている。その頃、人嫌いで怒りっぽく、狂人とまで言われたベートーヴェンだが、ベッティーナにはまったく異なった顔を見せている。

 知り合ってからのベートーヴェンとベッティーナの間には、少なくとも月に二度以上の手紙のやり取りが続き、彼女からの手紙を、常にベートーヴェンは肌身離さず持ち歩いていた ・・・・ ゲーテもこの当時、ベッティーナからの手紙を離さず持ち歩いていた。

 そこに書かれた内容を読んでみると、ベッティーナがいかに深く、ベートーヴェンの音楽を理解していたかに驚かされる。

 

 ここで、ベッティーナという女性に少し踏み込んでみたい。

 なぜなら彼女には、真の芸術家に見られる深いダークサイドが存在しているからである。

 映画スターウォーズの中で、ダースベイダーがルーク・スカイウォーカーにこう語るシーンがある。

 「You don't know the Power of the Dark Side

 ダークサイドは、ほんとうに強力だし重要なのだ。これについては後期の弦楽四重奏を語る時、どこかで書きたいと思う。

 

 さて、ベッティーナはゲーテから祖母に送られた手紙を読み、それを書き写しながら、自分があたかもゲーテの娘であるかのような空想を持った。それがどこまで真実なのかわからないが、わたしが知っている範囲によると、彼女は実の父ペーター・ブレンターノの子である確率の方が高いように思われる。

 しかし彼女が、当時ヨーロッパ最大のスターであったヴォルフガング・フォン・ゲーテの実の娘であると想像したことは、さまざまな文献からうかがうことができる。

 

 時を隔てず彼女はゲーテの母と懇意になり、「わたしの娘」と呼ばれて、いよいよゲーテ本人に逢いに行く。当時ヨーロッパには戦線が広がっており、ベッティーナは男装して馬車に乗り、四日間かけてワイマールにあるゲーテの元まで駆けた。三日間一睡もせずに到着した彼女は、最愛のゲーテに逢うと、なんと彼の腕の中で意識を失ってしまうのである。

 目覚めると、彼女の指にはゲーテからの指輪がはめられていた。この指輪は別れ際に贈られたものという説もあるが、どちらにしてもこの美しい少女に男性として魅了されたゲーテが贈ったもので、彼女はこの指輪から、彼女自身が 「ゲーテ本人の花嫁」 であるという幻想を持つようになった。

 彼女は1835年に 『ゲーテとある子供との書簡』 を刊行して、当時のベストセラーとする。この本は後年のゲーテ像を形創るうえで大きな影響力を持ったが、こうした書簡文学を吟味する上で、ベッティーナの異常性 ・・・・ダークサイド ・・・・ も考慮しないと、なかなか真実にたどり着けない。


 ベッティーナという女性を中心にして、ゲーテとベートーヴェンが廻る数年が訪れる。この過程で彼女が意図したのは、ベートーヴェンの真価をゲーテに理解させることだった。しかし文献に残されたところから判断する限り、この企ては成功していない。
 ゲーテはベートーヴェンの音楽の本質を理解出来なかったと言える。
 やがてヨーロッパを代表する二大巨人が、ベッティーナをヒンジにして、ついに現実に邂逅する。
 その時ゲーテは、大きな驚きと共に、こんな文章を妻に送っている。

 「私はこれまでに、これほど強い集中力を持ち、これほど精力的で、またこれほど内面的な芸術家を見たことはなかった」
 人物としてのベートーヴェンを認めたゲーテではあったが、ベートーヴェンの音楽をどこまで理解出来たかには疑問が残る。

 少し脱線させていただきたい。

 それはゲーテだけでなく、わたしが崇拝するヘルマン・ヘッセも、ベートーヴェンは理解出来なかったということを書いておきたいからだ。ヘッセにとって音楽は重要なものだったにもかかわらず、彼の理解はモーツァルトに留まっている。加えて、彼がいかにブラームスを不当に扱っているか、『荒野のオオカミ』 を読んでみるといい。彼ほどの人でも、ベートーヴェンは理解出来なかった。ゲーテしかり、ヘッセしかりである。

 それに引き換え、ワーグナーとマーラーは心底、それこそベッティーナと同じレベルで、ベートーヴェンを理解している。またベートーヴェンが愛した女性たちと、ベートーヴェンを愛した女性たちのほとんどが、深いところで彼の音楽を理解している。特にベートーヴェンにとって特別だった女性、ヨゼフィーヌとアントーニの二人は、彼の音楽の化身とすら言える。そしてそこにベートーヴェンが目指した一つの理想が透けて見える。
 ベートーヴェンが目指したのは、自由と平等、そして友愛。つまりフランス革命の精神である。そこには、ゲーテが良しとした封建社会を打ち壊す理念と方向性が含まれている。そんな危険を感じたからこそ、ゲーテはベートーヴェンの音楽に反発したのかもしれない。
 ベートーヴェンのパトロンとなった貴族たちは、啓蒙的と呼ばれることが多い。彼らは敏感に時代の動きを感じ、どこかでベートーヴェンの掲げる自由、平等、友愛を進めようとしていたのかもしれない。
 

 メンデルスゾーンが、ゲーテに交響曲5番(ベートーヴェン)の1楽章をピアノで弾いた際、ゲーテはこんな感想を述べたと、ロマン・ローランは伝えている。
「大変なものだ。まったく気狂いじみたものだ! まるで家が崩れそうだ・・・・・・」

 ゲーテはベートーヴェンの目指す方向性を感じ、それに恐れをなしたのかもしれない。
 同時に当時の民衆の多くは、自由と平等の世界を夢見て、それを目指していたのだろう。だからこそ、ベートーヴェンは一部の若者の心をとらえ、時代をとらえたのだ。

 

 ここで取り上げる弦楽四重奏曲第5番は、初期のもので、作品番号18の6曲中4番目に作曲されている。明るく華やかで、一聴してモーツァルトやハイドンの影響を大きく感じられるものだ。特にモーツァルトのケッヘル464番と比較されることが多い。それこそゲーテやヘッセが愛した曲である。

 K.464は美しい傑作だ。しかし、あくまでも 「ある種の枠のなかでしか創られていない」 と感じるのはわたしだけだろうか。

 いっぽうベートーヴェンの第5番を聴くと、うきうきとした明るい1楽章に始まるが、それは時折襲いかかるスフォルツァンドに中断され、2楽章の途中嬰ハ短調に変わるところで、枠から飛び出してしまう。自我を揺さぶられるような衝撃を感じる。

 そして3楽章の変奏曲である。

 3楽章には、ゲーテやヘッセを不安にさせた要素がたくさん詰まっている。美しく明るい流れだが、時折流れが乱れ、深淵が口を開く。それに不安や不快感を感じるか、それとも魅了されるのか。そこがベッティーナとゲーテを隔てる違いであろう。

 

 

 こうした明るく美しい曲の流れに、深淵をさらりと見せる能力において、クス弦楽四重奏団は傑出している。
 彼らのCDには、次のような言葉が書かれている。
 「This is music that should provoke. It's not music that relaxs

 (これは挑発する音楽だ。くつろぎの音楽ではない) 
 またこんなことも言っている。
 「a wedge suddenly and indecorously hammered into the consciousness of civilizations, never to be removed
 (発達した文明の意識に、突然、無作法に打ち込まれた決して抜くことのできない楔)
 

 こうした意識で演奏する弦楽四重奏団が、今増え続けている。 

 

 

 ゲーテは最終的にベッティーナと絶交してしまう。

 その背後には、ベッティーナがあまりにもベートーヴェンに惹かれ、夢中になったからということは考えられないだろうか。40才近い年の差にかかわらず、彼女を口説き続け、それに成功したかのように見えるゲーテであるが、彼の高いプライドは決してベートーヴェンという存在の価値を認めなかった。

 

 わたしが尊敬するベートーヴェン研究者に青木やよひさんがいる。

 彼女はゲーテに対して非常に好意的な立場を取っている。ゲーテとベートーヴェンの間には、最終的に深い理解が訪れたというものだ。いっぽうロマン・ローランはゲーテに対してかなり厳しい立場を取り、ベッティーナに寄り添っているように感じられる。

 

 近代になりベッティーナは旧ドイツ紙幣に描かれただけでなく、『ベッティーナ・フォン・アルニム協会』 が女性の業績と地位の向上のために貢献する活動をおこなっている。
 

 1806年6月、黒髪の少女が祖母との約束を破ろうとしていた。

 家にある開かずの間に、忍び込もうとしていたのだ。

 強い好奇心を持った少女は、まるでゲーテの 『ウイルヘルム・マイスター』 に描かれたあの情熱的で美しいイタリア少女 「ミニヨン」 にうり二つだった。黒髪に生き生きとした瞳、白く透き通った肌。彼女自身、友人たちから 「ミニヨンにそっくり」 と言われるだけでなく、自らミニヨンになろうと努力していたのかもしれない。

 

 開かずの間に、たくさんの貴重品が納められていた。アンティーク食器、武器、そして書類。

 少女は我を忘れ、そこに置かれた品々を眺め、しばらくして冷静になると、一抱えの手紙の束に目を止めた。

 宛名は彼女の祖母。差出人はなんとウォルフガング・フォン・ゲーテ本人だった。

 芸術を愛し、ベートーヴェンとゲーテを心から崇拝する彼女は、震える手で手紙を読み始めた。

 するとそこに、ゲーテがいかに彼女の早逝した母を愛していたかが書かれていたのである。
 23才のゲーテ・・・・アポロンのごとき青年と讃えられた頃のゲーテ・・・・が、少女の祖母を 「お母さま」 と呼び、彼がいかに少女の母を愛していたのか、本人の文字と文章で綴られていた。

 少女はゲーテからの手紙 84通を、すべて写し取り、彼女とゲーテが、いかに世代と時空を超えて強く結びついているのかを直感した。そして、生まれ変わったのである。

 

 それから 3年が経ち、ベートーヴェンの住むウィーンはフランス軍に侵攻される。ベートーヴェンのパトロンの一人、ルドルフ大公がフランス軍を避けるためウィーンから去るにあたって、ベートーヴェンはピアノソナタ 「告別」 を作曲し、献呈している。

 翌 1810年ベートーヴェンはテレーゼ・マルファッティに恋をするが、実を結ばない。テレーゼに求婚し、富豪の両親に断られたと言われるが、真実はわかっていない。

 フランス革命の大波と私生活の傷心のなかで意欲を失いかけたベートーヴェンの下に、突然あの黒髪の少女が訪れる。

 少女の名はベッティーナ・ブレンターノ。

 

 

 現代のわれわれからふり返ってみると、彼女はロマン主義を代表する作家の一人であり、女性解放運動の世界的先駆けとなっている。当時のベッティーナについて、ロマン・ロランは次のように表現している。

 「彼女は小柄で、底知れぬような暗い瞳と黒い豊かな巻き毛を持ち、いつもゆったりとした黒い長いローブを着、巡礼のように細紐をしめていた」

 

 ベッティーナはベートーヴェンのピアノソナタに心底魅了され、どうしても作曲者に逢いたいと彼の家を探したのだ。
 友人の一人に、ベートーヴェン宅を訪れた時のようすを手紙で語っている。

 まずベートーヴェンの家の乱雑な風景。床に脱ぎ捨てられたパジャマ。

 初めて逢うベートーヴェン本人は小柄で浅黒く、あばた面だったこと。いわゆる醜男だったが、その額は高貴なオーラに包まれていたこと。とても若々しく、30才くらいにしか見えなかったことが書かれている。ベートーヴェンはその時、ちょうど40才だった。
 彼女の手紙でもっとも感動的な箇所は以下である。ベッティーナがピアノ演奏を請うたのに応えたベートーヴェンを伝えたものだ。

「最初、(ベートーヴェンはピアノを)片手で静かに弾いていました。すると突如として彼の周囲から一切が消え去り、彼の魂は和音の大海に広がって行ったのです。わたしはこの人が限りなく好きになりました。特に彼の芸術となると、あまりに卓越しており且つ真実そのものですので、他のいかなる芸術家も彼の足許にも寄れぬほどです」

 彼女はゲーテ本人に、次のように書いた。

 「・・・・・・あの方にお逢いした時、私は世界を忘れてしまいました。思い出すだけでも、全世界は消え去ってしまいます・・・・・・世界は消えてしまうのです・・・・・・」

 

 井上和雄氏は 『ベートーヴェン・闘いの軌跡』 のなかで、次のように書いている。

「ベッティーナの感受性は、ベートーヴェンの中に燃えていたあらゆる情熱を、全身で直感したのである」

 

 ベッティーナはゲーテの手紙を読んでから、ゲーテの母に会い、ありとあらゆるゲーテの歴史を問うている。その過程でゲーテの母は、ベッティーナを 「わたしの娘」 と呼び、「ゲーテはベッティーナの兄」としている。
 ベッティーナが初めてゲーテ本人と逢った時、戦場を長時間馬車で抜けたこともあり、三日三晩眠ていなかった。そのため彼女は、ゲーテの腕に倒れかかって意識を失ってしまった。ゲーテは彼女を抱きながら、そのあまりにも美しい姿に、好意を超えた感情を持ち、人生の危険すら感じている。それほどに彼女は魅力的な女性だったのだろう。

 彼女からベートーヴェンを讃える手紙を受け取ったゲーテは、深い嫉妬を覚えたはずだ。

 

 いっぽう気難しく人嫌いで、狂人とまで呼ばれたベートーヴェンもまた、一目でこの少女に惹きつけられた。二人の出逢いから起こる出来事や手紙から、それは彼にとって恋と呼べるほどの感情であったことがわかる。

 

 2021年のわたしたちがこの出逢いをふり返るとき、大きな共時性と歴史の意味を感じてしまう。

 ベートーヴェンはこの数年前まで、ヨゼフィーヌ・ブルンスヴィックと熱烈な恋愛関係にあった。それは、誰にも知られてはならない・・・・・・知られることの許されない禁断の恋であり、中期ベートーヴェンの人生における最大のテンションでもあった。傑作の森と呼ばれる中期傑作の作品群は、そこから生まれている。

 しかし、その恋を失い、革命に翻弄され、新しい恋も失い、力を失いかけたベートーヴェンの元に、「ミニヨン」 そっくりのベッティーナが現れたのである。ベートーヴェンに逢ったとき、彼女は25才だった。しかし、十代後半の少女にしか見えなかったという。

 

 この出逢いを起点にして、ベートーヴェンはゲーテと直接逢うことになり、生涯最後の恋と言えるアントニー・ブレンターノとの 「不滅の恋人」 関係へ進むことになる。アントニーはベッティーナの異母兄弟フランツの妻だった。つまりベートーヴェンの後期への道を準備したのは、このベッティーナとの出逢いとなる。

 

 そんな中で、弦楽四重奏曲11番『セリオーソ』が生まれた。

 この曲に顕されたのは、なんという葛藤だろう。しかも「劇的」 という言葉すら加えるべき嵐である。

 これを葛藤でなく 「闘い」 と取る人もいるだろう。ロマン・ロランは、「強さ」と「弱さ」の闘いと呼んだ。
 闘いには相手がいる。しかし、葛藤には相手がいない。わたしには、セリオーソは葛藤と感じられる。
 もっと突っ込んで言えば、葛藤する自我である。想像を絶する孤独に生きざるを得ないにもかかわらず、恋や憧れに燃える一人の人間の赤裸々な葛藤。闘っているのは自分自身だ。
 ベートーヴェンは音楽に自我を解き放った。そう感じられてならない曲である。
 彼の中期における莫大なエネルギーは、自我の確立に懸けられたと言ってもいい。

 

 

 このセリオーソ・・・・セリオーソという意味は 「厳粛」 とか 「真剣」 とか訳されるが・・・・・・。

 何という凝縮された音楽なのだろう。 推敲に推敲を重ね、贅肉をこれでもかというほどに削っている。ベートーヴェン自身、「公の場で演奏されるべきではない」 と語ったほど緊張感のある作品である。

 セリオーソと交響曲第5番で、ベートーヴェンは凝縮性を究めた。そして凝縮される内容は別だが、ピアノソナタ30番でもそうした極度の凝縮性を見せている。

 

 交響曲第5番で、葛藤する自我は解決に到る。

 ところがセリオーソの第4楽章に、解決はない。解決は、どこかに持ち越されてしまう。

 

 ベートーヴェンは己の生き方を表現する手段として音楽を使っている。だから、彼の音楽は彼の生き方そのものだ。そして彼の中期は、葛藤と闘いに彩られている。
 中期の傑作を聴く時、わたしたちは 「何ものかと死に物狂いで闘う」 ベートーヴェンを感じざるを得ない。ところが、その最後に書かれたセリオーソには解決が訪れない。葛藤や闘いは、どこかに持ち越されてしまう。まるで運命の風に飛ばされてしまうかのように・・・・・・。

 この曲を書いた後、ベートーヴェンは14年という長い間、弦楽四重奏から遠ざかった。だから、ここには彼なりの一つの到達点が刻まれている。

 

 セリオーソにも・・・・・・セリオーソだからこそ・・・・・・素晴らしい演奏がたくさんある。
 オーソドックスな素晴らしい演奏として、アルテミスやエベーヌを上げておこう。
 繊細で美しい演奏なら、キアロスクーロ弦楽四重奏団を聴いてみると良い。
 しかしこの曲の本質は、際だった凝縮度と鋭い葛藤である。そして、そんな極度の緊張を味わいたいのなら、エマーソン弦楽四重奏団が一番だ。爆演と呼べるほどの破壊力を持っている。もしくは重戦車のようなクリーヴランド弦楽四重奏団も、触れば切れるほどの緊張感に満ちた演奏である。

 

 

 ベートーヴェンがウィーンに移った頃、新進気鋭の作曲家は弦楽四重奏曲でデヴューするのがふつうだった。なぜなら当時の音楽愛好者にとって、弦楽四重奏曲こそもっとも人気のある分野の音楽だったからである。
 クヮルテットでデヴューしたなら、すぐにたくさんの人に聴いてもらえたし、評価もしてもらえたからである。
 ところが、ベートーヴェンは敢えてそうしなかった。

 

 彼が作品番号第1番として世に問うたのは、マイナーとも考えられるピアノ三重奏の3曲だ。このピアノ三重奏についても、いつか自分の感想を書いてみたい。それほどこの3曲はベートーヴェンらしさを持っている。60才前後から、わたしはこれらのピアノ三重奏曲にとても惹かれるようになった。

 

 当時の状況を知った上で、ベートーヴェンのやり方をふり返ってみると、彼がいかに慎重に弦楽四重奏曲を準備していったかがわかる。ハイドンとモーツァルトの最良の弦楽四重奏曲を写譜し、徹底的に研究し、それでもすぐに発表せずに温め、31才になってようやく出版したのだから。


 ベートーヴェン初となる弦楽四重奏曲群は、作品番号18を与えられ、6曲がひとまとめになっている。

 3番のところで書いたように、最初に創られたのが3番、それに続いてこの1番と2番が並行して作曲されている。

 2番目に創られた曲を敢えて1番としたのには、それ相応の理由がある。
 

 尊敬する井上和雄さんは、この曲に 『浴びせた一太刀』 という見出しを付けている。

  なんと言い得て妙であろうか。

 一太刀を振るったのはもちろんベートーヴェンだ。
 太刀を浴びせかけたのは、ウィーンの音楽会である。

 

 曲の内容に入る前に、この時のウィーンに流れる雰囲気を掴んでいただきたい。

 音楽家を目指していた少年モシュレスは、ウィーンで次のような風聞を耳にしている。

 「若い作曲家がウィーンに現れて、誰も弾けず、理解もできないおかしい限りの代物・・・・・・あらゆる規則に違反した気違い音楽を書いている。その作曲家の名はベートーヴェンという」

 今のわたしたちが、作品番号18の弦楽四重奏曲を聴くとき、それらはまだまだベートーヴェンらしさに欠けているように感じる。前回書いた第7番「ラズモフスキー1番」に比べたなら、18番の6曲はモーツァルトやハイドンに近いように感じてしまう。しかし当時の観客は、すでにしっかりとベートーヴェンの危険な香りを嗅ぎつけていた。


 井上和雄さんは、こう書いている。

 「ベートーヴェンという若者が書く音楽には、何かしら理解に苦しむ異物がうごめいていた。少なくとも年老いた音楽愛好家の耳には、人を苛立たせ、不快にするものがあった」

 

 ベートーヴェンが敢えてこの曲を1番とした理由。それこそ、当時の人たちが理解不能とした 「得体の知れない何か」 である。


 作品18-1の1楽章から、その何かが明確に聴こえてくる。
 現代のわたしたちの感性からすると当たり前な社会や環境、自分を取り巻く世界に対する不満のようなもの、鬱憤のようなものが、この1楽章から流れ出してくる。それは当時の感性からすると、他人に知られてはならない、心の奥に厚い扉を立てて締まっておかなければならない感情だった。そんな憤懣を、ベートーヴェンは解き放った。
 その音楽に、当時の感性豊かな若者たちが惹きつけられていく。
 この弦楽四重奏第1番でもそうだが、この後に続くピアノソナタ第8番 『悲愴』 となると、それは社会現象すら巻き起こして世間をひっくり返していく。
 ちょうどビートルズやローリングストーンズがある種の感情を解き放ち、世界中の若者が、それに反応したのと同じことが起こったのである。

 

 第2楽章も徹底的にベートーヴェンだ。
 第9交響曲で歌われるアダージョの源泉が、ここにすでに湧き出している。

 ロメオとジュリエットがキャピュレット家の墓で死ぬ場面を想って作曲されたとも言われる第2楽章から、それこそ心と魂の葛藤、逡巡、そして躊躇と決断が響いてくる。
 下の楽譜のあたりを聴くたび、わたしは身震いを禁じ得ない。

 

 

 当時、シェークスピアは下世話な演劇だった。つまり貴族たちはそこに表される感情を、下品なものと感じ、軽蔑していた。それらは、触れば火傷するような恋愛の感情だったり、底無しの欲望や危険な野望など、ダイナミックな感情の大波だった。それらは貴族社会すら転覆させるエネルギーを持っていた。そしてベートーヴェンは、それらを徹底的に音楽で解き放ったのである。

 現在のわたしたちがベートーヴェンらしくないと感じる曲にも、それはくっきりと姿を現している。弦楽四重奏第1番は、美しく均整のとれた容姿の中で、鋭い牙をむきだしにしている。

 

 推薦したい演奏は、たくさんある。

 名のあるCD会社から発売されている演奏なら、どれもこれも素晴らしい。

 だからあえて、少し異なった演奏を推薦しておきたい。
 まず、素晴らしいエネルギーと歌に満ちたイタリア弦楽四重奏団の演奏である。

 

 

 次に、心のひだ一つひとつをじっくり拡大するかのように弾く東京カルテットの録音だ。

 

 

 イタリア弦楽四重奏団も、東京カルテットも、全集の完成度としてほんとうに素晴らしい内容である。

 ぜひ実際の演奏を聴いていただきたい。