黄砂から人間を考えてみる | トナカイの独り言

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 4月25日の今朝、雨が強く屋根を叩く音で起きました。

 これ以上雪が溶けると、残念ですが5月連休に予定している大会は難しくなるかもしれません・・・・・。

 

 1980年代後半、わたしは地球環境という大きなテーマに強い興味を持ちました。

 当時、何人かの友人たちが同じ興味を持つようになり、ずいぶん話し合った記憶があります。フリースタイルスキーのワールドカップ選手のなかには大学であえて環境学部に進み、高度な研究をおこなう友人も出てきました。彼らと、激しい議論を交わした記憶もあります。

 やがて地球環境や温暖化をビジネス化する動きが世界的に強まり、地球環境や温暖化の問題自体が、一筋縄で行かないものになってしまいました。地球環境の問題を利用したビジネス展開が盛んになったのです。

 

 そんな経緯もあり、どこまでが真実で、どこからが誰かの意図、もしくはどこかの国の策略なのか、なかなか良くわかりません。

 ただ、わたしにもよく分かることが一つだけあります。

 それは、毎年より酷くなる黄砂です。

 

 わたしは若い頃(1970年代後半)、群馬県の天神平にあるスキースクールに勤務していました。当時の天神平はシーズンのスタートが早く、終了は5月連休というスキー場でした。そんな天神平にも黄砂が降りましたが、しかしそれはおおよそ4月後半のことでした。シーズンに数回だけの珍しい現象。ですから、雪はおおむね白く、美しかったのです。

 

 今の白馬なら毎年、3月から黄砂が襲ってきます。

 今年は2月にも降りました。

 そして4月に何度も降り、雪がまっ茶色になります。

 毎年4月にスキーの撮影をしているので、20年前や10年前とくらべると、明らかに汚れが酷くなっていることが分かります。

 黄砂の原因は中国の砂漠化だと言われています。
 表土が剥がされ、砂漠化したエリアから砂が飛ばされ、日本にまでやってくると言われています。韓国の友人から、韓国でも年々黄砂が酷くなり、洗濯物が砂だらけになると聞きました。黄砂と同時に汚染物質もたくさんやってくるそうです。
 

 黄砂を見ると、中国が砂漠化していくスピードは、地球自体が回復するスピードよりはるかに早いと感じてしまいます。
 要するに、持続可能な開発スピードではないように信じられるのです。

 

 

 現代日本の政治は、経済政策が中心になっています。
 そこではGDP(国内総生産)やGNP(国民総生産)が問題となり、動くお金の総量が価値判断の主要材料となっています。
 しかし、お金はほんとうの資産ではありません。お金は資産を図るために仮に用いられる単位です。


 ほんとうの資産というのは、『自然』 ではないか。そうわたしは感じることがあります。
 一番なくてはならないものはきれいな 『空気』 ではないでしょうか。

 二番目は 『水』 。
 三番目は 『食料』 。

 

 どれも自然に依存しています。
 つまり、現代のわたしたちは、自然という地球が生み出し、蓄積してきた資産を食い潰して生きているのではないでしょうか。

 石油もしかりですし、ミネラルや希少金属もそうです。どれもほんとうに必要なものは自然が蓄えてきたものではないでしょうか。


 かつて 『スキー場はもういらない』 という書籍に衝撃を受けたことがあります。その時、そこに書かれていることは事実であり、真実であると感じました。

 

 

 きれいな空気を維持するには巨大な森林が必要です。わたしたちはそれを保っていけるのでしょうか。

 きれいな水を維持するには化学物質や核による汚染を防がねばなりません。福島の例を挙げるまでもなく、ここでもわたしたちは限界を超えてしまったように感じてなりません。

 それでは安全な食品はどうなのでしょう。

 

 マスコミのコマーシャルについて、「必要のないものを、『欲しい』 と感じさせるための仕組み」 と言ったのはサティッシュ・クマールだったでしょうか。

 人間の欲望を煽り、少しでも多くのものを所有させようという社会から抜け出さない限り、負のループが続きます。

 そんな負のループは、決して人間を幸せにしないでしょう。

 核爆弾は不必要だし、いらないものだとわかっていても、絶対になくならないのはなぜでしょう。戦争はいらないとわかっていても、いっこうになくならないのはなぜでしょう。それは経済至上主義が西欧の社会で宗教と化してしまい、戦争が最高、最善の解決策になっているからではないでしょうか。

 

 人間は立ち止まって考えるべき時なのかもしれません。深呼吸して、進むべき方向と未来を、世界全体で考えるべき時期にあるのかもしれません・・・・・・。


 そんな大それたことを考えてみた雨の朝です。