“嫌い” の続き | トナカイの独り言

トナカイの独り言

独り言です。トナカイの…。

 前回のブログ “人を「嫌う」ということ” に、 “トナカイの独り言” はじまっていらいの数となるコメントとメッセージをいただきました。

 みなさん、ありがとうございます。

 特にわたしの本を評価し、力付けてくださったみなさんに心から感謝します。


 反響の多かった “嫌い” の記事ですが、考えてみると一ヶ月ほど前に書いた“わたしの嫌いなクラシック” (タイトルは“切れ芸”)も嫌いを語った本でしたね。

 そこで、お笑い芸人の切れ芸から、“人を「嫌う」ということ” まで続く嫌いの系譜に、もう一つ付け加えてみます。


 なぜなら、わたしには、とっても嫌いなものがあるからです。

 何年も前からずっと、昨日も、今日も、そしてたぶん明日も、冬になると日々、そんな嫌いを感じます。それは、スキー場のどこでもかまわず座るスノーボーダーたちです。

 もちろん、ほとんどのスノーボーダーたちは、しっかりコースの脇に座ってくれています。ごく一部の人だけが、コースの真ん中…いちばん滑りたいところ…に座っているのです。

 時々、故意に「ひいてやろうか」と思うほど、“嫌い”を感じることがあります。

 だいたい、狭い日本のスキー場の狭いコースの真ん中に座ることが、どれほど迷惑か、わからないのでしょうか?

 まあ、いちばん危ないのは本人たちですが、彼らをよけようとして、危ない目にあうスキーヤーやスノーボーダーも多いはずです。加えて、彼らに邪魔され、滑走ラインを乱される滑走者が、どれほどいることでしょう。


 そんな彼らに近いところにいるのが、スーパーやデパートで、後ろも確認せず、急に立ち止まるおばさんたち ガーン

 白人社会で、そんなおばさんに出会うことはめったにないですね。もし仮に出会ったら、こちらが恐縮するほど謝ってくれます。ところが、スーパーのおばさんたちは急に立ち止まっておきながら、接近されると、まるで相手が悪いかのようににらみつけます。にらまないまでも、無視します。いったい、彼らの対人感覚は、どんな神経をしているのでしょう。


 その昔、日本という国は、こうした対人関係が、非常にうまく行っていたはず…。その証拠に、アメリカの日系二世や三世は、よく日本人の礼儀正しさを誇ります。それを自分の子孫にも伝えようとします。しかし、彼らの故郷であり、彼らが誇る祖国には、「急に立ち止まり、人をにらむおばさん」や 「どかないおばさん」「靴を並べない子どもたち」 、そして「ゲレンデの真ん中に座るスノーボーダー」たちがあふれかえっています。

 もう三十年ほど前になりますが、ロスアンジェルスの日本人会で、こんな話を聞きました。

「日本から観光に来る若者たちは、もう日本人じゃない!」

「彼らが日本人のイメージを壊している」

 日系人たちが話していたのは、移民たちが長い間かけて作った「日本人のイメージ…勤勉で正直…を壊しはじめている」ということでした。自分も、そんな日本人のイメージを壊した若者の一人だったに違いありませんが、これらの言葉に、自分を振り返ろうと努力するようにだけはなりました。

 もし、彼ら(日系二世)が現代の日本に帰ってきたら、いったいどう思うでしょう。

 社会的マナーの問題だけでなく、いじめ、自殺、親殺し、子殺し、官僚の汚職、教育の荒廃、社会格差、どれをとっても彼らが信じる祖国日本は残っていません。

 対人関係は社会を潤滑にまわすためのルールです。それが徹底すればするほど、気持ちのいい社会が生まれます。

 どの国がいいとか悪いとかという話でなく、まず自分のまわりから気持ちよくしたいものです。

 わたし自身も、知らず知らず、他人に多くの迷惑や不快感を与えているに違いありません。しかし、それを喜んで直そうという気持ちだけは失っていません。

 そこでまず、わたしは白馬ジャスコで急に立ち止まらないことを気をつけますね。そして、小川ビッグランドとおおとりプラザのプールで、サンダルを並べること。白馬五竜のゲレンデで、邪魔になるところで止まらないこと。このあたりからはじめたいと思います。

 うっかり忘れていたら、どうかみなさん、どしどし注意してください。

 「下克上」のナスさん、あまりにもわたしの字が汚かったら、ぶってもいいよ!?