大雪の夜から朝になると
2024年1月1日
能登半島地震
あれから1ヶ月・・・
毎日流れてくる被害状況・・・
埼玉では何事もなかったかのような慌ただしく過ぎながら平穏な毎日。
唯々ニュースを見ているだけのもどかしさ。
1月1日夜、みやさま実家に戻り義母をひとり残して行くわけにもいかず、もう1泊することにしました。
先程まで避難させてもらってた義妹宅に無事戻ったと電話すると、あちらは断水してるらしい。トイレの水が濁ってるって言ってたけど断水の予兆だったのでしょうか。
甥っ子が水を買いに出たっていうので、こちらは井戸水なんで断水はしていないので、水汲みにおいでって言いました。案の定コンビニはどこへ行っても水は売り切れ、1月1日なんでスーパーもホームセンターもお休み。
ありったけのペットボトルに水を入れ、キャンピングカーに積んでいたペットボトルのお茶も。
たまたま我が家のNobleちゃん、飲料水用のポリタンク2つ搭載しているので予備タンクのほうも満タンに。
あとコンパクト(折り畳める)なビニール?のタンクにたまたま納屋にあったポリタン(こちらは生活水用)
甥っ子に持たせました。
後で思えば、キャンピングカーのタンク満水にして直接行けばよかった。
でも普通、家に綺麗なポリタンなんてないですよね。たまたまキャンプ用品やキャンピングカー搭載品が防災用品になるとは。
玄関に灯油のポリタンは5個位並んでいるけど水入れるわけにはいかないし。ホームセンターもお休みだし。
義妹宅の断水は翌日には解消したので一安心しました。
地震でお墓倒壊とかも聞くので翌日みやさまお墓(家のすぐ裏ですが)見に行って何ともなかったって話。後で義母と見に行ったら我が家のお墓は何ともなく無事。ふと後ろのほうのお墓を見るとこちらが正面なはずが、斜め向いてる。
で、あちこち見て回ったら一番上の大きな墓石が西側(左側)にずれてギリギリのところまで移動(5~10cm?)しているのがいくつか。
改めて地震の凄さを実感しました。
色々まだ心配ではありましたが、年明けの仕事もあるので、この日のうちに帰ることにしました。
毎年行ってる伏木神社に初詣。
後で聞くと伏木は液状化現象で道路は隆起。断水も続いていたそうです。
高速道路の状況も心配でしたが、金沢方面から黒部ICまでは通行止めでしたが、黒部からは大丈夫そうだったので、私の母がいる黒部へ向かいました。
途中で糸魚川ー能生 通行止にもしかしたら帰れないかも・・・
最悪8号線?
黒部に着いた頃には地震のニュースに飛行機事故のニュース。
朝になってからの出発かな?と思いつつ、夜には糸魚川ー能生の通行止は解除されたので、早朝出発しました。
先日、伏木在住の叔父から送られてきた高岡市伏木の国分海岸。
2024年1月1日 16時10分
能登半島地震
帰省中の氷見市は震度5強でした。
物凄い揺れでした。
富山県は昔から比較的地震が少なく、危機意識も低い地域。
私達はとりあえず外に出なきゃと揺れる廊下を何とか歩いて外へ出ましたが、ご近所さん達は誰も外に出てない。後に義母はご近所さんから『地震のときは無闇に外へ出ちゃダメ!』って言われたそうだけど、それって上からものが落ちてくる可能性のあるところであって、家が倒壊するほうが怖い・・・あの揺れは怖かったです。
大津波警報にも富山湾だからそんなに大きな津波はここまでこない・・・津波の避難意識の高い浜松の娘に『早く逃げなさい!』と言われ、私達の荷物は車に積み込んだあとだったので、義母にコートとスマホ、財布だけ持って!
と、一応戸締まり。玄関の引戸が歪んで閉まらないのをなんとか閉めて、義妹宅へと向かいました。
義妹宅に着くと、食器棚やタンス、2階ではテレビも倒れたとかで玄関から色々割れた物が散乱。余震が続くなか比較的無事な1部屋で、しばらく過ごさせてもらいました。
夜なって、津波警報はまだ出ていましたが、実家に戻りました。
被害確認
食器棚の扉が開かなかったため、ギリギリ落ちなかったお茶碗。
2人がかりで、そ~っと扉開けて戻しました。
電気スイッチカバー脱落。
これははめ込むだけで完了。
遅ればせながら
明けましておめでとうございます。