一度もない…… | こーしのひそひそ話

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乳癌に罹患 心臓弁膜症 と病気持ちですが 心までは病気持ちではありません!明るく毎日生きてくための吐き出し!北海道で生まれ育った還暦ばーさんのぐだぐだブログっす



今日は 仕事場に行ったら


みんな なんかウッキウキしてて


どしたの?と思ってたら


ルンルン今日はボーナス日ですよ!ラブラブ


って。



あっ!そっかぁ~ 今日6月10日やん!


なら私にも 雀の……いや、ミミズの涙くらいのミニミニボーナスが入金されてんな……


私はパートだし、しかも扶養内のミドルパートだから


フルパートさんの半分しか働けないから


まだミミズの涙ほどでも当たるだけいいとしないとねちょっと不満



見たら 5000円から税金引かれて


4500円ほどの入金でしたね……



それでもないよりはマシ!





実は 私 これまでの人生で


ちゃんとした社員で働き、お給料やボーナス、というの、もらったことないんです…………



中学を出て 定時制に入り


昼間は、母の店で美容師の見習いとして働き 夜は高校へ行って 同時に通信制の美容学校にも入学 働きながら勉強しました。

そのまま 定時制高校を卒業し、

通信課程も終わらせて 19歳のときから、インターンを一年間経て 国家試験を受けて


20歳のときに美容師免許を取得しました


母が 札幌か東京の美容室へ私を勤めさせ

腕を上げさせようとしたら


父が 絶対にダメだと言って 強硬に反対



母が 頼んでいた美容室は、住み込みでの仕事場で うちをでなくちゃならなかったため、父が大反対したらしい


私は別にどっちでも良かったけど その時すでに旦那と付き合ってたので


会えなくなるな、とは思ってましたが


父は私を家から出してくれませんでした



なので私は母の店で美容師として働き



母からお小遣い程度のお金しかもらえませんでした


飲み食い親任せでしょう!何そんなにお金が必要なの!服だってママが買ってあげてるでしょう! とね。


なので 今から40年ほど前ですが


月、一万しかもらえませんでした



それが結婚するまで続いたので


自分で働いたお金を貯める、ということができませんでした



結婚するときの経費も まともにお給料を上げてなかったから、ママが出すよ と言われて 

結婚式と披露宴、新婚旅行の費用をすべて母が出しました


私は本当に何もかも親任せでした



二人目が生まれるまでは 母のお店に立っていて 跡取りとして頑張っていましたが



二人目を生んだあと 母のお店が

ちょうどバブル時代で 立ち退きになり、



母も還暦だったので お店をたたみました



それから12年間 専業主婦として


暮らし  長女の高校入学のときから



パートに出ることにしました


他所様に使われるのは 40歳にして生まれて初めてでした。


で、それから21年間 パートとして働いていますが


月に稼いでも良いときでせいぜい10万程度です。ミドルは103万の壁があるので


月に9万も稼げません



ほんとに 正社員として 18万とかのお給料をもらい、ボーナスで25万とか30万とか



もらってみたかった と思います



なぜ 父は 私が働きに出ることにあんなに反対したんだろう? 





それを母に聞いたことがありました



すると 父が


お前はなぜわざわざ娘に苦労させるんだ?自分が散々つらい目にあってて それを娘にもさせたいのか!?

と言ったそう。


親元を離れて暮らすのが、どれほど辛くて大変か 父も母も経験してて

でもそれは親にお金がなかったからで


食わせていく金がないから出されたんだ


今は違うだろう! 


と言われたそうです



母も辛かったときのことを思い出したそうで 灯りの消えた美容室の床を掃きながら 母さん……と泣いたことを思い出したそうです



だからね、やめたの。あんた感謝しなさいね! と なぜか有難がれ と言われました



私は 本当は家から出たかったのに


出してもらえず ガックリきましたけどね



友達はひとりで部屋を借りて 働いて暮らしてるのに


どうして私はそれがダメなのか あの頃はほんとに 親の思いが 重荷でしか無かった




結婚したあとも 父は 本当は私達と一緒に暮らして孫たちもそばに置きたかったみたいで


でも そこは母が 弟が跡取り!とばかりに反対して


父は諦めたそうです



なんだかなぁ…………笑




だから ボーナス出たぁ!と喜んでる若い子たちを見てると



心から羨ましいと思います



確かに私は 親に大切にされて


超箱入り娘でした笑



でも その親はいつか こうして


この世から消え去ります



その時に もっと 強く生きて行けるように 育ててほしかったな



旦那に依存せずに 自立できる精神が


まったく養われず 育ちましたからね




旦那が言いました



お前、俺死んだら どうやって生きてく? とね。




そんな心配をされるほど



私は ダメ人間なのかな…………😢




だから言いました



大丈夫! 生活保護もらうから! 😁




次の依存は 国だ爆笑笑い笑い笑い