変わりつつ街、山谷 | 【かほり放送局】
『高度経済成長で「労働者の街」』
東京・山谷地区は、大阪の釜ケ崎、横浜の寿町と並ぶ労働者の街だった。
山谷(さんや)とは、台東区と荒川区にまたがる昔の地名だ。
江戸時代には安宿の宿場町として栄え、明治時代には多くの
日雇い労働者が山谷に移り住んだ。ところが、戦時中の東京大空襲で一帯は焼失。
敗戦後は被災者や孤児、外地からの引き揚げ者であふれた。
1960年代に1万5000人がひしめき合った山谷生活困窮者人々と街の変遷、
「都市型限界集落」と呼ばれるほど高齢化した。働き者が居ない、
スラム的に見られる事も少なくない。今でこそ問題になっている原子力発電所への仕事も、
山谷からの派遣が多く、使い捨ての労働力として扱われて来た。
山谷は生活困窮者・生活保護で暮らす人がその大半を占めるようになった。
現在、労働者の街と言われた山谷の姿はほんのわずかにしか残っていない。
最近は安いホテルに建て替わりドヤ(汚い宿)が無くなった。
つぶれたドヤの跡地に高層マンションが建つこともそう珍しくなくなってきた。
跡取りがいてもドヤ経営を継ぐことは稀である。
山谷は段々と高層マンション群に飲み込まれ、その姿を消すことだろう。

国際化が進みゲストハウスも増え。
海外旅行者が山谷の安宿を利用するようになり、それに特化した宿もできはじめた。
現在では国内外を問わず、バックパッカー、就活生等多くの人が安宿を利用する。

JRや地下鉄が交わる南千住駅から南へ10分ほど歩くと、
漫画「あしたのジョー」で有名な泪橋交差点に着く。
「山友会」の玄関口毎朝10時ごろ。持てるだけの荷物を抱えた人が行列をつくる。
その人たちにお茶や食事を提供