3月19日籾山さん送別会 | 雪国の山奥で働く元地域おこし協力隊のブログ

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雪国の中山間地の集落で地域おこしに取り組んでいます。地方の衰退は食糧やエネルギーの自給が困難な都市にとっても死活問題であると考え、官・民・学で連携して全国の農山村の再生を目指して活動している日々の記録です。

この日は籾山さんの送別会が行われました。


籾山さんは日本農業実践学園 の職員で、2008年の10月から農業の現場研修という形で池谷集落に住んできました。

2011年の3月25日に2年半の研修を終え、日本農業実践学園に職員として復帰しました。


この送別会は集落内の人を中心に行いました。

この震災の中、都会からご参加頂く予定だった方も数名キャンセルとなりましたが、それでもK村さん、I井さんのお二人がお越し下さいました。



送別会はお昼の14時~だったので、12時00分頃からその日に食べるお米をかなやん さんが薪ストーブで焚いてくれました。

普段はなべさんと一緒に炊いているのですが、この日は一人で炊いてました。もはや手慣れたもんです。

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私はお手伝いとして、薪を細く割って分校まで持って行きました。

薪ストーブでお米を炊く時は薪は太いものを使うのではなく、1センチぐらいの太さまで割ったものを使います。


そして、釜が吹いてきたらおき火にして蒸らすと良いそうです。



お米を炊いている傍らで、うちの息子と一緒に作った雪だるまがこちらをじっと見ていました。

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その後、開始時刻が近づいてきたので集会場に向かうと、お母さん達が料理を作っていました。

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送別会の様子もNHKの方に撮影して頂きました。

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池谷集落の宴会では余興は欠かせません。

今回は若手大学生達を中心として、籾山さんも含めAKB48の曲が披露されました。
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集落の方の反応は


「・・・!?」



続いて、やまびこのボランティア慰問では踊れなかった島のブルースをリベインジで踊りました。
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この時、なぜかラジカセの電池が切れかかっており、音楽がゆっくりになり、歌の声は低くなり、踊る方も調子が狂ったようでした。


余興の最後にベタではありましたが旅立ちを祝い、かつ新婚のお祝いの歌として「乾杯」を村の人達全員で一緒に歌い、籾山さんと千鶴さん夫妻に贈りました。



最後に籾山さん、千鶴さんからご挨拶をしていただき、1次会はお開きとなりました。
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続いて、かくらにて2次会が行われました。

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これまで、籾山さんがいる池谷集落が当たり前だったのですが、こうやって送別会をすると茨城の学園に帰ってしまうんだという事が改めて実感されました。


池谷分校から籾山さんがいなくなってしまうのは寂しい事ですが、今後も関係が途切れるわけではなく、新たな形で池谷集落にかかわって頂く事ができます。


今後、籾山さんは新規就農者を育成する学校の職員として、「これは」と思う人材を池谷集落に連れてきて頂けるという事ですので、今後は第2第3の籾山さんが来ていただけるのを楽しみにしています。


しかしがなら、改めて考えてみると、池谷集落の復興の経緯には色んな関係者がそれぞれに活躍しており、その時期その時期でキーとなる人物がバトンタッチしてきたのが面白いなと思います。


十日町市地域おこし実行委員会代表の山本さんも


「籾山君が来てから地域おこしの活動の流れが変わった」


とおっしゃっており、池谷集落復興に大いに貢献していただいていた事は間違いありません。


当初池谷集落への移住に反対していたうちの奥さんも、


「籾山さんがいたから安心できた。おそらく籾山さんがいなかったら来なかったと思います。」


という風に送別会の時に語っていました。



籾山さんが茨城に帰った後、地域おこしの活動を失速させず、籾山さんがまいた種を花開かせる事ができるように残った私としては頑張りたいと思います。