福祉を選ぶのか? 医学を選ぶのか? 教育を選ぶのか? | 肢体不自由の子どもと共に生きるのブログ

肢体不自由の子どもと共に生きるのブログ

肢体不自由の子どもと共に50年余を過ごしてきました。肢体不自由な子どもに変わり、その不自由さを知っていると自負しています。
肢体不自由に対して、私の思いや意見を記して参りますが、質問と理解できない点については、どうぞお尋ねください。

 “幼児期に通う所で…。学童期で通う所で…。こんな事を言われては…?”
 身体の自由を失っている肢体不自由、幼児期から通う所で言われるのが、「そんなに頑張って歩かせなくても…」。学校に通うようになっても、「デイサービスに通えば良いのだから…」等と、言われるようですが…
・ 幼児期までに努力しなければ、運動機能は改善されません。
・ 高校を卒業するまでに、自分でできる事を増やす事が社会の役に立ちます。
 “鉄は熱いうちに打て” この言葉を聞いた事は有るのでは・・・
 我が子が肢体不自由と知った保護者、改善を求めて努力しようとする心が…。乳幼児期でもって、いろんな事を吸収して発達する子ども。
 友達と学び、友達のようになりたい心。学校生活で…
 この様な子どもに、濃厚な指導をしないのは肢体不自由の乳幼児や学童を育てる意識が欠けているのでは……
 肢体不自由の子どもを育てる意識の欠けている人々が、乳幼児期から学童期にかけて子どもの周囲にいては、伸びる能力を伸ばせないのも当然の事です。
 “今が楽しく…” こんな考え方の人が増え、できるだけ努力はしないで生活ができれば… こんな考え方が増えては、経済も教育も発展する事は難しくなります。
 一般に学校に通うのは、子どもの頭脳をはじめ個人の能力を高める事が目的で、経済活動に加わり、納税者となってもらう事が最終目的なのでは…
 その子どもたちを育てる役割を持たされた保育園や幼稚園、学校の職員が、経済活動に加われない子どもたちを育てては、国の損だけでなく子どもたち個人も損害を受ける事になるのでは…
 できない事の多い子どもを育てるには、育てるための手が多く必要です。手を必要とする事は、経費がかかるのです。その経費は、潤沢な経済活動によって補充できるのでは…
 潤沢な経済活動にするためには、働く者が「自分だけ良ければ良い」・「嫌な事は避けて通ればよい」等の考え方では、経済は停滞してしまうのでは…
 高校を卒業後も経済活動に参加できない人。福祉を利用する人を減らし、経済活動に参加できる人を増やす事が、子どもを育てる立場の人なのでは…
 そしてこの様に、子どもたちを努力できるように育てる指導者たちが、沢山いる事が必要なのでは…
 子どもに努力を求めたいのではなく、子どもに指導する気持ちの無い指導者が、子どもを放置する理由として「そんなに頑張って歩かせなくても…」と言う言葉に置き換えられるのでは…

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