スタイリッシュなオープニングと「DAISUKI!」 シュガー・ベイブ「SHOW」 | よねともが気ままに思うブログ

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本日はシュガー・ベイブ「SHOW」(1975年リリース、アルバム『SONGS』収録) です。




そもそものシュガー・ベイブの結成は、東京・四谷にあったロック喫茶「ディスク・チャート」での集まりがスタートでした。当時のミュージシャン界隈が閉店後に週に一度、セッションを行ったりしており、当時山本コウタローさんやギタリストの徳武弘文さんらが参加する中に、大貫妙子さんも参加していました。そこに、自主制作アルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を置けるかどうかを直談判しに山下達郎さんが訪れるのです。自主制作アルバムが売れず、置いてくれる所を探していたのですが、当時「ディスク・チャート」の運営を任されていた長門芳郎さんと話が盛り上がった結果、アルバムを無料でプレゼントしてしまいます。しかしこのアルバムを聴いた長門さんが達郎さんの歌声に惹かれ、閉店後のセッションに達郎さんを誘います。1ヶ月後にそのセッションを見学する為、仲間達を誘って達郎さんは「ディスク・チャート」を再訪。ここでソロ・デビューを目指すためにデモのレコーディングを行っていた大貫さんと知り合うことになります。


その後、達郎さんはセッションに足繁く通うようになり、次第にコーラス・アレンジに意見をしたり、ギターを持ち出して演奏に加わるなどするようになりますが、このセッションの影響から自身のオリジナル曲を演奏する「自分のバンド」を組むことを考えるようになります。そこで、手始めに達郎さんは大貫さんを誘うことに。大貫さんは1人で音楽活動を行うことに不安があったこともあり、これを了承。併せてギターを持っていた大貫さんに「女性はバンドではキーボードを弾くもの」と決めていた達郎さんの言い分からギターからキーボードへの転向も了承することとなります。同時期に『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を一緒に作ったギター担当の鰐川己久男さんにベースへの転向の上、参加を持ち掛けます。本来はギタリスト志望でベーシスト転向は渋りましたが、バンド活動が出来るという思いから引き受けます。また、同じく『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』に参加していた村松邦男さんにもバンド活動への参加を要請し、村松さんは了承します。残すはドラマーですが、元々ドラムを叩いていた達郎さんは「ボーカルはドラムを叩きながらやるものではない」という理由でギターへ転向したため、オーディションを行うことに。結果的に参加者全員採用には至りませんでしたが、「ディスク・チャート」で顔見知りだった野口明彦さんがドラムを始めたことを大貫さんから聞いた達郎さんが、「自分がドラムを教えれば大丈夫だろう」という考えに至り野口さんに参加を打診するとあっさり了承。こうして「シュガー・ベイブ」のメンバーが揃うことになります。バンド結成程なくして、東京・高円寺のロック喫茶で『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を聴いた伊藤銀次さんが、感銘を受けて大瀧詠一さんに伝え、その後のデビューに至るのはまた後の話となります。


シュガー・ベイブを結成して半年。東京・青山にて初のワンマンライブを開催するにあたり、オープニングに相応しい曲が欲しいと思った達郎さんが作ったのがこの「SHOW」でした。


シュガー・ベイブが活動していた期間は1アルバム曲にしか過ぎませんでしたが、リリースから約15年以上経って、日本テレビ系バラエティ番組「DAISUKI!」のテーマソングに使われたことによって、この曲が広く浸透するようになりました。





メイン出演者の飯島直子さん、中山秀征さん、松本明子さん。
上はレギュラー放送時代のもので、下は2023年の復活特番のもの。

「DAISUKI!」は1991年〜2000年まで深夜に放送されていたバラエティ番組で、飯島直子さん松本明子さん中山秀征さんの3人が街ブラを行ったり、トークを展開したり、時にはパチンコを行ったりと、昨今では割と当たり前になりつつある「ユルイ」テイストのバラエティ番組でした。3人が仲良く番組を進行し、時には見栄晴さんなどの準レギュラーやゲストを招いていましたが、日本テレビの1990年代を代表する深夜番組にまでなりました。2020年代に入ってBS日テレで復活特番も放送されており、3人は現在でも公私ともに親交があります。(余談ですが、番組開始1年間は中山さんではなく、吉村明宏さんがレギュラー出演者だった)


そしてこの番組は3人による企画とは別に、CM前のアイキャッチが若者を中心に人気を集めていました。当時の若手女性芸能人が、この「SHOW」をバックトラックにして、「DAISUKI!」と言うものでした。この中には後に有名となる篠原涼子さん、仲間由紀恵さん、辺見えみりさん、原千晶さんといった方々が担当していました。





話に疲れた頃には 誰かが歌い始める


歌詞は達郎さんによるもの。「ライブ」を「一時の安らぎ」に形容したもので、話疲れた時にはふと誰かが口ずさみ始めるのです。


ネオンの輝く ステキなSHOWの始まりだよ


この歌から、何にもなかった空間が急にライブのステージへと変え、安らぎの空間へと変貌するのです。さあここからは僕による「SHOW」が始まるのです。


僕は君を街へ連れ出そう

僕は君に愛を囁こう


そして僕は君を街へと連れ出し、一緒に楽しむのです。そして良い雰囲気になったら君に愛の言葉を囁くのです。


時が僕に与えられたら 僕は最高に御機嫌さ


時間は無常にもどんどん経ってしまい、楽しい時間は少なくなっていきますが、時が止まって楽しい時間が永遠に続いたら、僕は最高に御機嫌でいられます。


ひとときの安らぎを 歌い始めよう


そして君に安らぎを。僕の最高の歌を君に贈るのです。


この時の達郎さんは自身の作曲・編曲の方向性がようやく見え始めたそうですが、バンドの演奏力はまだまだ低いのが現状でした。(先述したように、達郎さんはドラムからギター、大貫さんはギターからキーボード、鰐川さんはギターからベースに転向しており、野口さんはドラムを始めてそこまで時間が経っていない。事実上経験者は村松さんのみ) そこで達郎さんは作曲・編曲面でそれぞれアイディアを考えます。作曲面では分数和音や♭5th、♯9thといった当時の邦楽では珍しいコードや和音を多用してユニークさを出し、編曲面ではインター・プレイの必要性を最小限に抑えるために、各楽器ごとにシンプルなリズム・パターンを考えて組み合わせることによって、ポリ・リズムの構築を生み出すというアイディアを考えて実践しました。それらを複合させることによってグルーヴを生み出すことに成功し、都会的でスタイリッシュな作風になったとも言えます。


そんなアルバムのオープニング、そして有名なアイキャッチ。都会的なサウンドの原点とも言えるかもしれません。