本日はあみん「待つわ」(1982年リリース) です。
あみんは岡村孝子さんと加藤晴子さんによる2人組のデュオです。共に愛知県出身で、愛知・名古屋市千種区にある椙山女学園大学に同じ年に入学したことがきっかけで親交を深めます。(孝子さんが一つ上で、1浪後に入学) この当時から孝子さんは自作で歌を作っており、加藤さんに聴かせていたといいます。加藤さんは孝子さんの曲を気に入り、しばらくして意気投合しデュオ「あみん」を結成します。あみんの由来は孝子さんが敬愛するシンガー・ソングライターのさだまさしさんの曲「パンプキン・パイとシナモン・ティー」(1979年のアルバム『夢供養』に収録) の歌詞に登場する喫茶店「安眠(あみん)」から拝借したものでした。(ちなみにこの喫茶店は実在せず、さださんによると当時のウガンダ共和国の独裁者だったイディ・アミンから取ったものだとのこと)
あみんは大学に入学した年の秋(1981年) にはいきなりプロ歌手への登龍門だったコンテスト「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(ポプコン) に出場をし、「琥珀色の想い出」を披露。評価は上々で地区予選となる中部北陸大会で優秀曲賞を受賞するも、本選にはロック・バンドのアラジンが選ばれ本選出場を逃します。これに火が付いた孝子さんは自宅や大学の裏山などで練習を積み、オリジナル曲を制作して1982年の春に再びポプコンに出場。見事本選大会に出場し、本選でグランプリを獲得します。そのまま直ぐにあれよあれよと夏にはデビューし、女子大生デュオとして人気を集めることとなりました。グランプリ獲得曲で、デビューシングルとなったのが、この「待つわ」でした。
作詞・作曲は共に孝子さんによるもので、この時には既に歌詞・メロディーを作り出す才に長けていました。デビュー時、孝子さんは20歳、加藤さんに至ってはまだ19歳でした。いきなりコンテストで優勝し、プロデビューになるのはかなり戸惑いもあったと思います。しかし、それらを感じさせない伸びやかで落ち着いた歌唱、レコーディング音源と歌番組における生歌の差異がほぼないことを考えると、とんでもないデュオであったことは想像に難くありません。さらに「待つわ」の世界観は私があなたとの恋がいつかは結ばれるだろうから、それまでいつまでも待つといった大人びたテーマとなっており、アイドルとはまた一線を画した路線だったのがあみんでした。
「かわいいふりしてあの子 わりとやるもんだねと」
「言われ続けたあのころ 生きるのがつらかった」
この最初の歌詞はいきなり「私」でも「あなた」の台詞でも無く、心無い噂をする同じ女性の「僻み妬み」から始まるというなかなか衝撃な出だしからスタートします。「あの子、可愛い子ぶってるけど、強かよね」みたいなことを言っているのです。私からすればその陰口が辛く、生きていることすら辛さを感じるほどメンタルがボロボロでした。
「行ったり来たりすれ違い あなたと私の恋」
「いつかどこかで結ばれるってことは 永遠の夢」
実はまだあなたのことを射止めておらず、想い続けているような状態となっているのです。しかしながら私が、なかなかメンタルが前向きにならないこともあり逢うことも出来ずに、すれ違いが続いてしまいます。こんな調子ではあなたと結ばれるなんて夢のまた夢なのかもしれません。
ちなみにこのパートから加藤さんがハモリとなります。
「青く広いこの空 誰のものでもないわ」
「風にひとひらの雲 流して流されて」
「青く広い〜」は孝子さんのソロパート。いきなりなんだ?と思うのですが、私なりの解釈なら青く広い空は、誰のものでもありません。私はこの空のように広い心でいようってことなんだと思います。雲はあなたのことで、色んなところに行っては戻るの繰り返しで、落ち着かないのです。要は色んな女性と付き合っては振られの繰り返しをしてるのでしょう。
「私待つわ いつまでも待つわ」
「たとえあなたがふり向いてくれなくても」
だからこそ私は広い寛容な心であなたのことをいつまでも待つわと心に決めるのです。たとえあなたが他の女性に熱を上げていようとも、いつまでも待つと決めました。
「待つわ (待つわ) いつまでも待つわ」
「他の誰かにあなたがふられる日まで」
他の女性に熱を上げて振られて私のところに来るまで、いつまでも待つわと言うのでした。
ゆったりしたテンポ、心の機微を感じ取るかのように刻むストリングスとピアノ。歌謡曲チックでもあるのですが、アコースティック・ギターを効果的に用いており、フォーク色も醸し出しています。(恐らくさださんの影響でしょうか) 編曲は名アレンジャーの萩田光雄さんで、萩田さんの手腕が光ります。萩田さんはあみんのシングル曲全てをアレンジしており、その後孝子さんがソロ活動を行った際にも現在に至るまでアレンジを手掛けています。
デビューシングルでオリコン1位のみならず、1982年のシングル売上年間1位と1982年唯一のミリオンセラーを記録するという快挙を成し遂げ、その年のNHK紅白歌合戦にも出場しました。女子大生デュオの恋歌は最強の恋歌なのです。