豪華なトリプルコラボ。松任谷由実・小田和正・財津和夫「今だから」 | よねともが気ままに思うブログ

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本日は松任谷由実・小田和正・財津和夫「今だから」(1985年リリース) です。





このコラボレーションを語るには、1985年に開催された大型イベントについて記さなければ始まりませんので、まずはその大型イベントから。

1985年(昭和60年) 6月15日に、東京・千駄ヶ谷の国立競技場にて、当時(から現在に至るまで) 一線級のミュージシャンが集結した超大型音楽イベント「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」が開催されました。


当時の写真。生活用品大手のライオンが協賛に入った為、「by LION」と記されている。

このイベントの始まりは、1982年に当時オフコースのメンバーだった小田和正さんが、吉田拓郎さん・松任谷由実さん・矢沢永吉さん・さだまさしさん・加藤和彦さん・松山千春さんといった大物ミュージシャンを集めて飲み会を開き、アメリカのグラミー賞を模した「日本グラミー賞」を作ろうとしたことがきっかけでした。小田さんはニッポン放送で制作部長をしていた亀渕昭信氏にも構想を話しており、これが後の「ALL TOGETHER NOW」に繋がっていきます。当の「日本グラミー賞」構想自体は、矢沢さんが「俺は出ない」と出演を拒否したり、レコード会社のしがらみや放送局の利害関係などもあって頓挫することになります。

その後、1985年に国際連合が「国際青年年」として採択したことを契機に、音楽の力で何とか出来ないかと日本民間放送連盟が提案したことで、止まっていた「日本グラミー賞」構想が「大型ジョイントコンサート」という形で再始動し、音頭を取っていた小田さんと拓郎さんの2人がリーダーシップを取り、以前構想を聞いていた亀渕氏がコンサートのチーフ・プロデューサーとして指揮をする形で開催へ向けて準備をすることになります。「大型ジョイントコンサート」になっていったのは、この1985年にアメリカの有名なミュージシャンが集って「USA for Africa」として「We Are The World」をリリースしたことが影響していました。

とはいえ、当時のミュージシャンは拓郎さんをはじめとした「癖が強い」人ばかりで、仲が特別良いわけでも無く、一部のミュージシャンを除いて横の繋がりが無かったことで、ミュージシャン同士で意見を対立させることも少なくありませんでした。結果的に由実さんが一喝したことでスマートに準備が進むようになったといいます。

一部のミュージシャン(松山千春さんや井上陽水さんなど) は不参加しましたが、結果的には多くのミュージシャンが参加した「お祭り」のようなイベントとなりました。

出演順に記載すると、

  • 吉田拓郎
  • オフコース(小田和正・松尾一彦・大間ジロー・清水仁)
  • ALFEE[現・THE ALFEE](桜井賢・坂崎幸之助・高見沢俊彦)
  • アン・ルイス
  • ラッツ&スター(鈴木雅之・田代まさし・佐藤善雄・久保木博之・桑野信義・出雲亮一・新保清孝)
  • 山下久美子
  • 白井貴子(バックメンバーに山本恭司・渡辺美里が参加)
  • 武田鉄矢(海援隊)
  • 南こうせつ
  • イルカ
  • さだまさし
  • チューリップ(財津和夫・姫野達也・安部俊幸・宮城伸一郎・伊藤薫)
  • ブレッド&バター(岩沢幸矢・岩沢二弓)
  • チェッカーズ(藤井フミヤ・高杢禎彦・鶴久政治・武内享・大土井裕二・徳永善也・藤井尚之)
  • はっぴいえんど(細野晴臣・大瀧詠一・松本隆・鈴木茂)
  • サディスティック・ユーミン・バンド(松任谷由実・加藤和彦・高中正義・高橋幸宏・後藤次利・坂本龍一)
  • 佐野元春(当時のバックバンド・THE HEART LANDを率いて参加)
  • サザンオールスターズ(桑田佳祐・大森隆志・関口和之・松田弘・原由子・野沢秀行)
と今では確実に集結不可能 のメンバーを集めたものでした。「はっぴいえんど」は既に解散していましたが、このイベントの為に再集結し、「サディスティック・ミカ・バンド」は、ボーカルを由実さんにした上で、一部のメンバーを代えて「サディスティック・ユーミン・バンド」としてこのイベントの為に再集結しました。また、チェッカーズとサザンオールスターズは事前に出演が公表されておらず、シークレットで参加したもので、サザンは佐野さんの誘いで参加したとのことです。(以前「時代遅れのRock'n'Roll Band」の記事にも記しています) 

このイベントの開催に因んで、オリジナル曲を制作しましたが、その中の一つがこの「今だから」です。

作詞・作曲は由実さん・小田さん・財津さんの3人が共同で作られました。しかし、後に財津さんが述べたところによると、曲の大半は由実さんと小田さんの2人によって作られており、財津さんがアイディアを出そうとすると「まぁまぁ、それはいいから」という雰囲気になってしまい、殆んど曲に対するアイディアを出せなかった結果、財津さんの曲の要素が薄くなってしまったといいます。現に、歌詞については由実さんの色が濃く出ています。

歌詞は2人の男性と女性との恋の想い出を綴ったものです。

今だから わかる あの夏の海の眩しさ

当時は当たり前に来て楽しんでいた夏の海。今は離ればなれになった2人を想うと、海は後光が指すかの如く眩しさを感じます。それくらい心に残っている想い出の場所なのでしょう。

せつないくらい 灼きついたのは あなたの横で見ていたせい

男性の一人は、女性がずっと横に居たから、印象に残っている=灼きついていると言います。心にずっとあなたとの想い出とともにあなたの姿が灼きつくくらい残っているのですね。

今だから 見える あの愛の 後ろ姿

もう一人の男性は、今だからあなたの後ろ姿がとても愛らしいと思えるのだと話します。

気づかい合って 語りつくして
抱き寄せても 空しくて

しかし、今となってはいくらお互いに気遣いをしても、色々と語り合っても、そして抱き寄せても、無駄な行動のようで心に空しさのみが残ってしまいます。

投げつけた
淋しさを 受けとめられずに

男性は抱き寄せたその行動は、淋しさからくるもので、ヨリをもう一度戻したいと思っているのです。この行動で女性がどう思うか。その答えはやはり空しいもので、受け止められませんでした。男性からの愛は女性に届かなかったのです。

そのまま そこから
離れていったね

結果的には2人から女性は離れていく結果になってしまいます。

でも私
あの時の
二人のことが好き

「でも」と付けているので、女性は二人のことを今も想っているのかと思いますが、あくまで好きなのは「付き合っていた時の二人」のことなので、今の二人ではありません。

涙も
季節も
二人を包んだすべてが
たまらなく好き

あの時の二人は悲しみの涙、二人で過ごした季節、すべて含めて好きだといってます。

最初は小田さんも財津さんも声質が似ている為、どっちがどっちか分からなかったです。(青字=小田さん 緑字=財津さんです) 高い声ながら力強さを感じるのが小田さん、繊細さを感じるのが財津さんという感じで聴き分けられます。

編曲を担当したのは坂本龍一さん。独特のシンセサウンドを入れた、坂本さんらしい作風に仕上がっています。演奏メンバーは上記の「サディスティック・ユーミン・バンド」のメンバーから加藤和彦さんを除いたメンバーで、超一流のミュージシャンによる名演を聴けます。ドラムを高橋幸宏さん、ベースを後藤次利さん、エレクトリック・ギターを高中正義さん、そしてキーボード・シンセサイザーを坂本さんが演奏しています。間奏とアウトロでは超絶技巧の高中さんによるソロを堪能できます。ちなみに由実さんは基本的に松任谷正隆さんによるアレンジになるので、荒井由実時代のデビューアルバムを除いて正隆さん以外によるミュージシャンのアレンジは極めて珍しいものとなっています。小田さんと財津さんは全楽曲中唯一となる坂本さんによるアレンジとなります。(但し、小田さんの1987年のオフコースのアルバム『as close as possible』の収録曲「嘘と噂」に坂本さんがキーボードで参加するなど、接点は持つことになります)

この曲はオリコン1位を獲得しますが、現在に至るまでアルバムに収録されず、原盤権などの複雑な問題からシングルCD化もされないため、長いオリコンの歴史で唯一1位を獲得した曲で未CD化の曲となっています。(※追記 2024.1.9:2023年12月に発売されたコラボレーションアルバム『ユーミン乾杯!!』にリマスタリングが施された上で収録された為、オリコン1位で未CD化の曲は無くなりました。)

コラボレーションという言葉がない頃に結成されたトリプルコラボ。ニュー・ミュージックを支えた3人によるラブソングは、後世に残る曲だと思います。