真心を込めて作った歌。大泉逸郎「孫」 | よねともが気ままに思うブログ

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初めての演歌です。本日は大泉逸郎「孫」(1996年自主制作盤リリース、1999年メジャー盤リリース) です。





大泉逸郎さんは、1942年生まれの現在80歳の演歌歌手です。本業は山形県西村山郡河北町でさくらんぼの生産・栽培を行っているさくらんぼ農家です。1977年に東北・北海道民謡大賞を受賞したのをきっかけとして、アマチュアの民謡歌手としても本業の農家として平行して活動をスタートさせました。初舞台は山形刑務所だったそうで、現在においても山形刑務所への慰問や矯正授業などを行っているそうです。

1989年に初の演歌作品を発表すると、その後、演歌歌手としてもキャリアを積むことになります。1991年にシングル「塩釜漁港」をリリースすると、無名の歌手ながら1万6000枚を売り上げる演歌作品では異例のヒットとなります。

そして1996年に、自主制作盤としてリリースされたのが「孫」でした。

そもそも、この「孫」の誕生の経緯は、1994年に大泉さんにとっての初孫が生まれ、あまりの可愛さに、生後わずか3日で、友人の荒木良治さんに歌詞を依頼し、そして大泉さん本人が作曲を手掛けて作られたのが、この作品でした。当初リリースされた自主制作盤は東北地方を中心に8000枚ほど売り上げるなど、当時の東北地方では一部で知られた曲でした。この売り上げや、みちのく歌謡文化連盟が推薦歌に選んだこともあり、1999年にメジャーレーベルのレコード会社から正式にこの「孫」でメジャーデビューすることになりました。すると1999年5月に放送された山形・米沢市でのNHK「のど自慢」において、出場者の男性がこの曲を歌ったことがきっかけで、レコードショップなどに問い合わせが殺到し、1999年下期~2000年上期にかけて長期間のロングヒットとなり、オリコン演歌チャートで、これまた異例の「26週連続1位」を獲得、総合チャート(よく一般的に言われるオリコンチャート) でも3位を獲得するなど、大泉さんは一躍、時の人となり、演歌界への貢献もかなりのものとなりました。最終的には ミリオンセラー となりました。レコード会社調べだと出荷枚数は200万枚を超えているそうです。

曲の冒頭は子どもの声で、祖父・祖母を呼ぶ声、「じいちゃん ばあちゃん」の声から始まりますが、この声はこの曲のモデルとなった大泉さんのお孫さんご本人による声です。また、上にあるシングルジャケットの大泉さんの隣にいる子どもも、お孫さんご本人です。

なんでこんなに可愛いのかよ
孫という名の 宝もの

荒木さんが手掛けた歌詞は、純粋にお孫さんへの愛情を歌ったものです。初孫の誕生となれば、それは当然可愛いものですし、大事にしたいという思いも親と同じくらいあります。この有名なフレーズは、その思いを一気に訴えることで、一気に惹き付けています。

じいちゃんあんたに そっくりだよと
人に言われりゃ 嬉しくなって

初孫の顔が似てると言われたら、浮き足立つのも当然かもしれませんね。

下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔

演歌ですと、盛り上がる部分(ポップスでのサビ) は、だいたいは曲名と同じフレーズが来るのが多いですが、この曲はその慣例を捨てて純粋に愛情を込めた歌詞になっています。ここでは目尻が下がった顔が「えびす顔」になっていて、かなりデレデレな様子が窺えます。

前述したように作曲は大泉さんご自身で手掛けており、演歌としては珍しい自作曲を行う演歌歌手です。(他には北島三郎さんや吉幾三さんなど) 作詞が大泉さんのご友人、作曲が大泉さん本人という珍しい組み合わせで、ここまでの大ヒットは、演歌界ではかなりの衝撃だったそうです。編曲は演歌・歌謡界では名の知れた作曲家の花岡優平さんが手掛けています。

ちなみに、大泉さんのお孫さんは現在は 28歳 で、東京で保育園勤務だそうです。

さて、この曲ですが、実は私の祖父が生前よく聴いていた曲でした。祖父は演歌が大好きで、北島三郎さんの曲をよく聴いていました。変化球の演歌をかなり嫌うほど、演歌に拘りがあり、森進一さんの「冬のリヴィエラ」(作詞が松本隆さん、作曲が大瀧詠一さんのポップスコンビが手掛けた曲) も「これは演歌じゃない!」と言ってたほどでした。そんな祖父はこの曲はよく車でリピートで掛けるほど好きな曲でした。

そんな祖父は2002年の8月5日に亡くなりました。今日で没後20年経て、私も大泉さんのお孫さんより一つ上ですが、大人になりました。そんな祖父の愛した曲を紹介したくて、この選曲にしました。