なんか、知らないうちに、大好きな俳優さんがエラいことに。。。
わたしはぐりんと手のひらをひっくり返すようなことは致しませんが、CMのアーカイブがなくなったり、いろいろしているみたいですね。
わたしはね、彼がつくり出した作品がとても好きなので、それでいいんです。
社会的に悪いことをしたのなら、いまの社会では何かしらの罰を受けるのかもしれないけれど。
あの世界の裏側って、本当は……デショ。
イケニエを叩いている場合ではないと思うんだけど、イケニエにより、コトが大きくなるのを避けようとしている何かがあるのかしらん。
しかもなぁ、いまの「常識」もいろいろおかしいなって思うし。
人が人を裁くのもどうなんだろうって、むかしから思っているし。
だって、みんなそんなに清廉潔白なんだろーか?
よくドラマで、殺人者の家に「人殺し!」なんて電話がかかってくるというようなシーンがありますが、それで追い詰められてその家族が自殺しちゃったら?
それって、人殺しと変わらないじゃない?
「自分だけじゃない」ってったって、リンチといっしょ。
それが、言葉ってだけだけど、言葉の暴力でできた傷ってナカナカ治らないもんよ。
むしろ、体の傷より治しづらいかも。
よしんば自殺まではしなくたって、ほんのひと言だって、何年も忘れられない傷になることもある。
わたしだって、何気なく言われて、相手はきっと覚えてもいないような言葉で、ときどき思い出してちょっと傷つくこともあるもんね。
しかも現代社会の深い闇、匿名でできちゃうんだもん、話し合いさえできない。
先日のブログにも書いたように、「悪いやつだ」と思った人が制裁を受けることに対して、快感を覚えるような脳の働きもあるという。
「社会的に悪い人」がいたら、責めても自分の良心は痛まないから、この、コロナ禍での不満の捌け口として使われたり。
しかし、外界に腹を立てるのは、本当は自分のなかの問題なので、外側のものを責めても何も変わらないのだ。
そこに対して腹が立つ、自分のなかの要因に向き合わなきゃなのだ。
もちろん、自己否定ではなくね。
誰かを責めるようなあれこれに、あーあって思ってしまう自分を見て、いやいや、まだまだ修行が足らんと思う。
そうやって、自分と向き合う日々であります。
でも、上野の宝石展行ってちょっと抜けたかもな〜。
原石好きの友人とわたしのふたりとも、いちばんよかったのはコレでしょって言ったのは撮影不可エリアの、原石じゃないアレでした。
いつまでも眺めていたくなる、とんでもないパワーのアイテムでした。
エネルギーわかる人は、行ってみたらすごいヒーリングになると思う。
でも、その前にいろいろ感じちゃうものもあるので、途中気分悪くなっても、頑張って最後まで見たほうがいいですよ
そしたら、たぶん大丈夫になるから
エネルギーに敏感になってから、古いもの見るとおもしろいですね!
友人ともども、あらためてダイヤモンドのすごさを感じました。
また、あらためて書く、かな