心の風景 令和6年1月3日 南の島に生きて一句 | 南 の 島 か ら の 日 誌

南 の 島 か ら の 日 誌

  サトウキビ畑の中 ポツンと一軒家
  満天の星空 リッキーと私だけです 

庭で収穫した南国果樹をひとつでも食したいと思って 達成‼
バナナ パパイア パイナップル マンゴ アボガド アセロラ
パッションフルーツ シークワーサー  ドラゴンフルーツ 

謹賀新年 今年も宜しくお願いします

 

1月1日を迎えると 必ず耳にするのが「元旦」と「元日」です

何となく同じ意味のように感じるのですが 

実は大きく異なることに この歳になって元日に初めて学びました

                                                            令和6年1月3日

 

 

 「元旦」の「旦」という字は、太陽が地平線上に現れる夜明けを意味します。

そのため、「元旦」は、1月1日の早朝(夜明け~午前中)を指します。

一方の「元日」は1月1日“全体”を意味します。

 「元旦の朝」「元旦の夜」と口にしてしまうことがあるかもしれませんが、

「元旦の朝」は重複表現で、「元旦の夜」は時間帯が違うため

間違った表現になります。

 

 

今年は元日・2日(朝10時温度25℃夏日)と快晴・青空 

南の島は穏やかな暖かい正月です

2024年元旦の食事風景です これに母の味お雑煮を

 

 

この10年 毎年元日に届く京都のゴルフ友からのリッキーと私へのお年玉

今年も1月1日に  嬉しいものです ありがとう

 

 

 

 

心の風景 南の島に生きて一句 「あきらめて こそ残り世に 老いの春」

 

5年前(2018.11.17)の思い出深いブログ 

いち年の月日の早さを つくづく実感してしまいます

また一年過ぎ来年のこの日に命あれば 「リブログ」してみましょう

                                                        2024.1 3

 

庭のハイビスカスの小枝 鉢植え挿し木に大きな花が咲く

 

 

 

******                        ******

 

                2018.11.17 想い出深いブログです

 

 

心の風景 南の島に生きて一句 「あきらめて こそ残り世に 老いの春」

 

 

あきらめて こそ残り世に 老いの春

 

TVプレバト俳句 いつも見ています

「なんだこの俳句は」 と夏井先生からおしかりを受けることでしょうね

「あきらめて」 とは何事か と

 

 

 

「あきらめて」 

私の意味するところは 「欲を捨て」 「足るを知る心」 なのです

 

ある人は 「しがらみ」 「病」 「絆」 「憎悪」も  

すべてを「あきらめて」こそ

 

何もいりません 

健やかな心身体 寝床があり 空腹なく食せる 

これに勝る幸せはないと 今は思っています

 

 

いま高齢者は はやり言葉のように 「断捨離」 「断捨離」と・・・ 

「断捨離」 あまりにも多くなった身の回りの物品の整理ではないのでは

そんなものは逝ったあと誰かが一日あれば

トラックの荷台にまとめて処理してくれるのでは

 

大事なのは あまりにも多くなった身の回りの気持ちの整理 心の整理 

先ずそれこそ「断捨離」    私はそう思うのですが

 

 

 

高齢者が 南の島にひとり移り13年 

 山奥クラインガルテンでの生活を含めると早や19年

 

当時 友人たちは 「これから先の人生あきらめるのか」 と ・・・

 

いま15年以上過ぎて自分なりの返事が出来そうです

 

 

 

  

老子の言葉に 「知足者富」 (足るを知る者は富む) があります

満足することを知っている者は、心豊かに生きることができる

 

しかし、老子の言う「足るを知る」というのは
「仕方なく満足する」という消極的な意味ではありません

 

「これで良い」のではなく 「これが良い」と思える生き方

 

いまの自分自身に満足することこそが 「足るを知る」ことなのです

 

 

 

老子荘子思想の世間的イメージ

(白ひげをはやした老人が大自然に佇むといった)

に生活環境だけが近づいてしまったのかな ・・・

 

南の島 周囲サトウキビ畑数km民家なし 水は天の恵み 

夜は星とホタルの明かり  ひとり リッキーとの小屋生活

 

今夜(11月16日PM8:00)もホタルが1匹2匹 庭を彷徨って(さまよって)います

毎日が自然の中で 

リッキーとの朝夕の海辺散策以外は 日々なんの予定もなく過ごせるのです

 

「これで良い」のではなく 「これが良い」のです

 

 

 

 

当時 友人たちは 「これから先の人生あきらめるのか」 と ・・・

いま10年以上過ぎて自分なりの返事が出来そうです

 

 

あきらめて こそ残り世に 老いの春

 

 

「あきらめて」 こそ 

 

今現在の 穏やかな日常の幸せを感じることが出来るのだと

 

そして いまの日々の幸せを感じて  こそ

 

過ぎ去りし想い出の日々の

 

しあわせも心から感じられるものだと

 

 

 

 

人の幸福感は 年代環境それぞれ 

 

私のような環境で生活される方はまず少ないでしょう

 

これはこの環境で生きてきた 個人的な幸せ感覚です

 

参考にもならないでしょうが・・・・

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ こころの風景へ
にほんブログ村

- クリック に感謝 -