普段の日曜日なら・・・5時過ぎからスーパー銭湯
に出かける。
だから、『報道特集』は、ほとんど見ることがないんだけど・・・
今日は、何となくタイトルが気になって見てしまった。。。
気になったタイトルとは、
『臓器移植と救命の両立とは 』というもの。
まず、初めて知ったのは、『移植コーディネーター』という資格があるということ。
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/navi/004.html
番組の中でも、重要な役割であると位置づけられていた。
医師は、今まで『生きること・生かすこと』に対して、
最大限の技術や努力を提供して、患者を救おうとしてきたけど、
これからの医療は、『生きること・生かすこと』も大切だけど、
『死ぬこと』に対しても選択肢のひとつとしてあるということに対しても
考えていかなければいけない。
でも、『死ぬこと』を考えるときに、根本的な考え方を変えないと、
とてもつらい思いをする。
それは、『死ぬ』ということを、『他人を生かす』ということに、
置き換えるということ。
そこに、『脳死』と『臓器移植』がある。
『脳死』・・・についてのわたしの考えは、
『認めるべき』だと思う。
でも、認めるということはどういうことなのか?
具体的なことはわたしは経験がないので想像でしか考えられないけど、
でも実際に『脳死』の基準は何なのか?
まずはそこからなのかな。
『臓器移植』についても同じで、具体的なことはわからないんだけど・・・
実際にTVでは、
臓器提供カードを持っていても、
家族は知らず、そのカードが見つからなくて、
せっかくの本人の思いが、伝わらないことが多いそう。
見つかったとしても、家族の考え方・気持ち次第では、
臓器提供されないことも・・・
ぶっちゃけ、・・・
わたしが『わたし』としての意識がなくなった場合・・・
カラダだけの『わたし』になってしまった場合・・・
『他人を生かすための死』として、臓器提供したいと思う。
TVでは、腎臓、角膜、皮膚を移植していたけど、
ほかにももっといろいろ提供できるものがあれば、提供したいと思う。
とはいうものの、提供できる臓器かどうかも問題なんだろうけど・・・
変な話、わたしだっていつどうなるかわからないよね・・・。
このブログは、意思表示として有効なんだろうか???
やっぱりちゃんと、カードを発行してもらったり、
脳死に対しての『遺書』も書いておいたほうがいいのかなぁ?