※あとで読み返したら論理が破綻しているように感じた。
駄文ですが推敲するのも面倒なのでそのままアップしときます
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最近あまり本を読んでいないので、
昔読んだ本を再びレビューしてみます。
社会科学における人間 (岩波新書)/大塚 久雄

¥777
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この「社会科学における人間」という本、
昔すごく適当なレビューを書いてしまったのですが、
自分の価値観に少なからぬ影響を与えた本の一冊だと思っています。
内容は「ロビンソンクルーソウ漂流記」や、
マルクスやマックス・ウェーバーの著作の中に見られる人間像を解説する、というものです。
細部までは覚えていませんが、
僕がこの本から読み取ったのは「合理主義の大切さ」と、
その裏返しとしての「伝統主義批判」です。
ここでいう「伝統主義」は、
今まで行われてきたことを「今まで行われてきた」という理由だけで価値あるものと見なすことというニュアンスです。
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なぜこの本のことを思い出したのかと言いますと、
先日サークルのパトリ同期達と飲んだときに、
某有名企業に勤める人からこんな話を聞いたためです。
会社の中に全然儲かっていない部署がある。
明らかに潰した方が良いと誰もが思っている。
ある時ある重役が「○○部署を潰してはどうか」と提案したら、
即効で左遷されたらしい。
なぜなら、会長と社長がその部署出身だから。
その件に限らず、上の方の人になればなるほど、
自分達がやってきたことを批判されると、
「お前は俺らのやってきたことを批判するのか」
とキレるらしい。
だから「今までやってきたことだから」という理由だけで存続している下らないことが社内に山ほどあるのだとか。
この本の中で大塚久雄さんは、
ヨーロッパに根付いたような合理主義が日本に不足していることを嘆いていた(ような気がする)。
第二次世界大戦における日本の無根拠な精神論が良い例なのだと思います。
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「合理的」という言葉にあまり良いイメージが持たれないのはなぜだろう。
「望ましい」というよりは、
「冷たい」とか「非人間的」といったネガティブなイメージがつきまといます。
ちなみに僕は「合理的」という言葉は好きです。
じゃあ芸術や愛のような理屈では説明ができないものが嫌いかというと、全く違う。
「合理的に物事を考える」ということは「理屈で考えられないことを排除する」こととは違う。
むしろ逆に、徹底的に理詰めで考えることで「理屈では説明できないもの」を正当に評価できるのだと思う。
理詰めで考えられる部分をひたすら彫り続けることで、
どうしても彫ることのできない部分が美しく浮かび上がってくる。
たまに何でもかんでも理屈で説明しようとする人がいますが、
例えば芸術の良さを全て理屈で説明できると考えている人は、
「理屈では説明できないものもある」という理屈を分かっていないんだと思う。
「どこまでが理性や論理で捉えられるか」の線引きをする作業は、
その線の内側と外側を両方ともクリアで色鮮やかなものにすることなんじゃなかろうか。
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とはいえ人間ならば知らず知らず「伝統主義」に捕らわれてしまうもの。
僕が嫌いな「最近の若者は○○だ。俺らの若い頃はうんぬんかんぬん」という発言も、
自分の歴史に捕らわれて客観的な判断がしにくくなった結果なのでしょう。
なるべくそういうおっさんになってしまわないように、
今のうちから理性を磨いておきたいなぁ。
(しかし、その努力がかえって自分を頑固で柔軟性のない人間にしてしまいそうなのだけれども)
皆さんも、とりあえず「占いの結果に一喜一憂しない」ことから始めてみてはどうでしょうか。
打倒ショーパン。