深海/Mr.Children

¥3,059
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エントリーが書評ばかりで,
「音楽」というカテゴリーが寂しそうなので,
たまには音楽について書いてみます(笑)
久しぶりにMr.childrenの「深海」というアルバムを聞きました.
このアルバムを知っている人を対象にしてエントリーを書きますので,
知らない人は読まなくてもいいです(笑)
とりあえず各曲についてレビューしていきます.
(先に断っておきますが,ところどころwikipediaを参照してます)
【Dive】
まず波が打ち寄せる音から始まり,
続いてダイブする音が聞こえてきます.
「深海」への旅が「Dive」から始まるわけですね.
しばらくするとチェロの優雅な音色が聞こえてきます.
すると深海は単なる美しい世界なのか.
いや,違う.
チェロの音色だけでなく,様々な騒音が聞こえ始め,
不穏な空気が漂います.
様々な要素を包含したこのアルバムの世界観を示唆したインストゥルメンタルだといえます.
【シーラカンス】
amazonのレビューで見たのですが,当時,桜井さんが,
「あってもなくても,現代社会にはあまり意味のない物の例としてシーラカンスをキーワードとした」
と語っていたらしい.
桜井さんはシーラカンスという言葉で何を表現しようとしたのでしょうか.
人に「君は滅びた」と言われ,
「僕の心の中」に「住んでいたような気」がしたり,
「ときには僕は僕の愛する人の中に君を探したり」,
「君を見つけだせたりする」ようなもの...何でしょうね.
シーラカンスを単なる漠然としたイメージのようなものとして捉えたくありません.
なぜなら「左脳の片隅で君を待ってる」という歌詞があります.
右脳は芸術や創造性や直感に関係し,
左脳は言語や論理に関係する,と一般的には言われています.
つまりシーラカンスは何となく感じられるけど正体がよく分からん,といった性質のものではなく,
理屈で考えることができ,これだと明確に言えるような何かでなくてはいけません.
シーラカンスの正体はこのアルバムの主題と密接に関係するはずです.
なのでこの問題はとりあえず保留にして,最後に再び考えましょう.
【手紙】
「過ぎ去りしあなたへ」の想いを歌った曲です.
これは明らかに次曲に登場する男が書いている手紙でしょう.
というわけで,この別れてしまったカップルが歩んだ経緯が次曲で説明されます.
【ありふれた Love Story ~男女問題はいつも面倒だ~】
タイトルにあるように「ありふれた」恋愛が始まり,そして終わっていく様子を歌っています.
このストーリーを客観的に見ている僕らは,
「あー,何だかよくありそうな普通の話だな.大して面白くもない」と思ってしまいます.
しかし,当事者にとってはそうはいきません.
例え他人から見て面白くなくても,
「ありふれている」どころかたった一つしかなく,しかも絶対に取り替えられない「かけがえのない」自分の人生においては,
一つ一つの恋愛が重大すぎる意味を持ちます.
客観的にカップルを見ているこの曲のコミカルさと対比されることで,
前曲において語っている当事者の悲愴さが際立ちます.
【Mirror】
「禄でもなくポップなんてものでもなく」という歌詞がありますが,
ずっと「ロックでもなくポップなんてものでもなく」だと思っていました(笑)
「禄」と「ロック」の言葉遊びだったのですね・・・たぶんだけど.
この曲を例のカップルにあてはめてみますと,
男じゃなくて女の方が歌っているように思えてきました.
「街中を駆け回っているビジネスマン」である男より,
「生まれた町から都会へ出たばかり」の素朴そうな女の方が,
フォークギター鳴らして甘い歌をうたったり,
他の恋人達を羨みながらそっと相手を待ったりしている姿が似合います.
「人前で泣いたことのない強気なあなた」というイメージも,
ばりばり働くビジネスマンである彼に合ってる気がします.
「夢に架かる虹の橋」や「愛を包むオーロラのカーテン」といった優しい表現も,
女の子ならではなのかもしれません.
まああくまで想像ですがね.
ちなみにMirrorというタイトルは,
曲の最後の「鏡となり傍に立ちあなたを映し続けよう」に対応していますが,
こじつけて他の解釈もしてみましょう.
前曲に出てきた例のカップルは本当は,
「舗道に沿って幸せそうに歩き出した恋人達」という歌詞で描写された,
道行くカップルなのではないか.
そして,この曲を歌う女の子は全く別のカップルなのだ.
つまり,女が男の鏡の役目をしているだけでなく,
例のカップルを鏡に映した幻影がこの曲で中心となっているカップルなのだというように,
「Mirror」に二重の意味を見出せます.
すごく磨かれて綺麗な鏡に映る像というのは,
美しく,輝いていて,しかし同時に儚い.
存在が確かである実体とは違い,鏡に映った像はすぐにでも消えてしまうのです.
例のカップルも最後は別れてしまった.
その悲しい結末を迎えてしまう前の,まだ幸せで輝いていた瞬間が,
別のカップルの姿に託される形でこの曲に映し出されているのかもしれない.
あたかも鏡の中の儚い幻影のように.
こじつけ過ぎか(笑)
【Making Songs】
数曲のデモ音源を合わせた曲です.
メタ曲ですね.
次曲への繋ぎ方が鮮やかです.
【名もなき詩】
有名すぎるシングルです.
ここまでずっとアルバム曲でしたが,
このような完成度の高い曲がくるとやっぱりアルバム全体の流れがびしっとしまりますね.
【So Let's Get Truth】
「団塊の世代が生んだ愛の結晶」という言葉から,
ちょうど高度経済成長期(の終わり?)あたりに社会に出はじめた若者をイメージしました.
「隣に習えの教養を植え付けられて顔色を見て」というフレーズも,
よく批判されるような高度経済成長期における画一的な教育を彷彿させます.
先人達が築き上げたこの国.
社会の経済的な成功体験を通じて,「このように生きるべきだ」という価値観が生まれ,
(具体的にいえば一流大学を目指し一流企業を目指しバリバリ働き成功すべきだ),
完成された「社会という檻」が若者の生き方をある程度束縛します.
しかし繁栄は永久には続きません.
バラ色ではなく薄暗い未来が目の前に見えてきます.
だからダンボールで眠る老婆を見て,
「錆びた夢の残骸」を感じ取り,
「明日は我が身」とぼやきつつも,
それでも気付かぬ振りをして素通りしていきます.
「一流大学へ行き~」という旧世代の価値観が崩壊したあと,
つまりみんなが少しずつお金持ちになっていくという幻想が消えたあと,
「自分らしさを探すべきだ」という新たな価値観が支配するようになりました.
しかし今度は「自分らしさを見つけろ」という要求が個々人を苦しめるようになり,
多くの人が「自分らしさの檻の中でもがいている」状況になって,
テーマが前曲「名もなき詩」と導通します.
【臨時ニュース】
テレビのチャンネルを変える音を収めた曲です.
フランスが世界中の反対を押し切って核実験を強行したニュースが流れている,らしい.
【マシンガンをぶっ放せ】
「そして僕にコンドームをくれ」
この曲といえばこのフレーズでしょう(笑)
文脈を無視して突如あらわれます.
初めて聞いたときは「?」となりましたw
さてさて,このフレーズをどう解釈するのか・・・
いろいろ考えた結果「意味など無い」となりましたw
ただ,このフレーズにインパクトがあることが,
最後のサビ前に同じメロディーで歌われる「そして事の真相をえぐれ」という言葉の威力を高めている気もします.
【ゆりかごのある丘から】
前曲の最後からヘリコプターの音で接続されてこの曲が始まります.
この曲でも別れを悲しんでいる男が登場します.
しかし,明らかに「ありふれたLove Story」のカップルとは別です.
戦場に行っている間に彼女を取られた,という話なので.
ヘリコプターの音は戦場から帰還した音だったのですね.
この曲の世界は,きっと前曲での「核実験」という戦争に関連するキーワードを契機として生まれたパラレルワールドなのでしょう.
時代や環境が違っても,程度の差があっても,
恋愛における喜びや悲しみや苦悩は似ていて,
そこに相似形を見ることができます.
「あの約束を頼りに生き延びて戻ったのに君はもう誰かの腕の中」
という表現があります.
どこかで聞いたことあると思ったら「手紙」の中に,
「今じゃ別の誰かの胸に眠るはずだよね」とありましたよね.
「誰かの腕の中」と「誰かの胸に眠る」ではニュアンスが微妙に異なりますね.
「誰かの胸に眠る」からは自然と心変わりしていった彼女の姿が連想されますが,
「誰かの腕の中」からは,彼女を力ずくで奪われたような印象を受けます.
運命という「ぶっとい腕」に彼女を強引に連れていかれてしまった.
そんな男の嘆きが聞こえてくるような気がします.
ちなみに曲の最後の「She loves again」というリフレインが「シーラカンス」と聞こえるようになっているらしい.
(wikipedia情報.しかし僕には完全に「シーラカンス」としか聞こえない)
戦争関連のキーワードを契機として生まれたパラレルワールドが,
今度は「She loves again」が「シーラカンス」と重なることで終わりを告げ,
再びシーラカンスが待つ深海の世界へと戻っていく.
ここでも曲の継ぎ目はヘリコプターの音です.
つまりヘリコプターの音は単に男が戦争から帰還した音であるだけではなく,
僕らが世界と世界を移動する音でもあったわけです.
そしてヘリコプターの音が次第にドラムの音へと変化していくことで次の曲への橋渡しとなる.
ここの曲間は絶妙だと思います.
【虜】
恋の汚れた部分にさえ虜になってゆく男を描いています.
「最低な君を」とか「無茶苦茶に傷つけてみたい」とか言っちゃってます.
さっきまで別れを悲しんでいた男と同一人物だと見ていいのか・・・.
僕は見ていいと思います.
深く愛せば,傷つけることもあるし,憎むこともある.
狂ったような気分にもなれば,すごくセンチメンタルになったりもする.
そんな風に矛盾した感情や行為などを,
全部ひっくるめて強い力で束ねている,
それが愛なんじゃなかろうか.
しかし,愛を語るには僕はまだ若すぎますね(笑)
【花 -Memento-Mori-】
これまた有名すぎるシングルです.
副題のラテン語は「死を想え」みたいな意味らしいです.
死を常に意識して怯えろという意味ではなく,
いつか死ぬと分かっていても力強く生きていこう,
とポジディブに捉えたいですね.
死の存在から目を背けず,
自分の人生に意味などないと知りつつ,
それでもその不条理を愛せ,
という「マシンガンをぶっ放せ」の歌詞に繋がるものがありますね.
【深海】
やっと最後の曲に辿り着きました(笑)
「深海」というアルバムの大きな流れが「深海」というこの曲へと流れ込み収束していきます.
歌詞の内容は一曲目の「シーラカンス」のようにシーラカンスへの呼びかけとなっている.
「連れてってくれないか 連れ戻してくれないか 僕を 僕も」
という悲痛な叫びで歌が終わる.
そしてボコボコという水の音が聞こえる.
さらに深く潜るようにも,海から出ようとしているようにも聞こえる.
果たしてシーラカンスとは何だったのか.
そして最後の水の音は何を意味するのか.
最後に残ったのは,この二つの謎です.
【光】
結論から述べましょう.
僕が考えるシーラカンスは【純粋な心】です.
・・・結論があまりにも凡庸すぎるwww
でも他にオモイツカナカッタ・・・暫定的な答えということで(汗)
大昔のまだ人間に汚されていない美しい海で生きたシーラカンス.
汚れていない無垢な心の比喩としてはぴったりな気がします.
桜井さんはシーラカンスを「あってもなくても,現代社会にはあまり意味のない物」といいました.
純粋な心も現代社会にはあまり必要のないものでしょう.
人は傷つけあい憎みあい騙しあって生きている.
確かに愛も存在する.
しかし,いつかは愛も終わる.
そして愛の終わりは裏切りとなってしまう.
そんな殺伐とした世の中,特に高度に発達した現代社会の中で,
賢く生きていくには,純粋な心などなくていい.
「正直者が馬鹿をみる」は真理でしょう.
しかし・・・しかし・・・
呼びかけずにはいられない.
願わずにはいられない.
祈らずにはいられない.
君は僕の中にいたはずだ.
僕の愛する人の中にもいたはずだ.
滅びてなどいないはずだ.
深い海の底で静かに生きているはずだ.
シーラカンス.
これから君は何処へ進化むんだい.
汚れた海でも生きられる魚へと進化してしまうのかい.
これから君は何処へ向かうんだい.
この世界に見切りをつけて遠くへと行ってしまうのかい.
連れてってくれ.
連れ戻してくれ.
まだ愛の苦悩を知らず,傷ついていなくて,
人を疑うことも知らなかった,あの深海のような美しく澄んだ日々へ.
僕を・・・そして僕だけではなく,「あの人」と一緒に「僕も」.
そんな悲痛な叫びでこのアルバムが締めくくられているのだと思います.
このアルバムには「喪失感」という通奏低音が鳴り響いてます.
彼女を失ったという喪失感.
人を疑うことを覚えて純粋な心を失ってしまったという喪失感.
高度経済成長を経験した日本が目標を見失ってしまったという喪失感.
これらの喪失感が深海の透明感と鮮やかに重なり合うことで何倍にも増幅されています.
広い海の底で一人ぼっちにされたような孤独感,虚無感を覚えます.
それでは果たして【救い】はないのか.
これこそが最後の謎なのです.
アルバムの最後の最後に聞こえたボコボコという音.
あの音はさらに深く潜る音なのか.
それとも海から出ようとする音なのか.
つまり,悲しみの海に突き落とされることで始まったストーリーが,
さらに深くへ潜るというような悲しみの無限連鎖へと帰着するのか.
それとも悲しみを克服して再び地上へ出るという希望に繋がるのか.
最後の審判はこのアルバムのジャケットに委ねましょう.
非常に印象的な美しいジャケットです.
澄んだ海の底にひとつの椅子が置いてあります.
そしてイスの真上には・・・光が見えています.
これ以上深く潜れない場所で,イスに座りながら深い悲しみに耐えた人間は,
最終的に・・・光を目指したのだ.