おはようございます☀️*゚
予約投稿です。


前回の記事、今回の入院記録の後半です。




だんだんSOSが出せるようになり、

フラッシュバックも減ってきて、

夜もそこそこ眠れるようになって、

安定してきてはいました。



でも、グループホーム退院の方向性になり

当初の予定の入院期間1ヶ月を超えても

退院の目処が経ちませんでした。



担当のソーシャルワーカーさんに

グループホームを探してもらうのですが、

ソーシャルワーカーさんが多忙で

なかなか話が進まないのです💦



辛抱強く待って、

私が通っている通所先が

グループホームをすることになったから

そこの見学に行ってみよう

という話になりました。



正確には、

新規オープンのグループホームの

連携施設となるのが通所先のようで、

オープンする年明けまでは

何も動けないと言われます。



チラシ1枚ももらえないまま、

何も話が進まないまま

入院生活を続けることになるのですが、

病棟でコロナが流行りだし、

あっという間に大規模クラスターになり、

年末に私も見事に感染。



初めは陽性者を個室に移して

隔離していたのですが、

感染者が毎日増えるので

個室が全く足りなくなり、

私は大部屋で複数の陽性患者さんと

一緒に隔離されました。



コロナが病棟で流行り始めて、

私は隔離が怖かったので

常にマスクはもちろん、

アルコール消毒や手洗いうがいを徹底し

なるべく自分の部屋のカーテン内で

過ごすようにしていたのですが、

慢性期病棟にはマスクを出来ない方も

たくさんいるし、

同室の人はしょっちゅう床で

寝そべっていたのもあり、

感染は防げませんでした…



陽性になってしまうと、病院の規定で

11日間の隔離が決められていて、

その間はコロナ部屋から出られず、

シャワーも洗濯もできません。



フラッシュバックが起きても

しんどくなっても

誰にも来てもらえないし行けない、

話を聞いてもらうこともできないし、

原則診察もありません。


とても苦しかったです。



だけど、唯一の救いで、

私の主治医のC先生だけは

陽性患者さんの診察を

防護服で短時間だけどしてくれました。


いつもみたいに

ゆっくり話を聞いてもらったり

ノートを見てもらうことは出来なかったし、

年末年始はC先生もお休みで

診察はなかったけど、

来てくれるだけ嬉しかったです。




コロナ部屋で同室になった

他の患者さんは比較的症状が軽くて、

微熱だけ、とか鼻水だけ、とかの人が

ほとんどだったのですが、

私は高熱と全身の痛みに襲われました。


咳や息苦しさはワクチンのお陰か、

幸い軽度で済んだので

軽症と判断され、年齢もあって

治療薬の適応にはならず、

熱と痛みにロキソニンを飲むだけでした。



熱と痛みの症状は4日続き、

その間食事も全くとれず、水分もとれず、

食事にジュースやゼリーがつき、

エンシュアHが出るようになりました。


熱や痛みが下がると元気も出てきて、

少しずつ起きていられるようになりました。



が、

何かが明らかにおかしいのです。



熱もないのに食べられない。

咳は少しあるけど体の痛みもない。



初めは自分でも何故食べられないのか

分からなかったのですが、

味覚と嗅覚が全くないことに気付きます。



人間、味と匂いが全く分からないと

食べ物を食べ物と認識できなくなるのだと

初めて知りました。



これは、1ヶ月ほど続き、

その間、補食とエンシュアで凌ぎました。




お正月休みも明け、

隔離期間も終わりました。


まだ病棟ではコロナ体制が続いており

ディスポ食器で食事が出てきたり、

ホールには出ないようにと

言われたりはありましたが、

看護師さんと話せるし、

シャワーも入れるようになる。


この日をとても待ち遠しくしていました。




でも、、、

私は隔離解除から数日で

酷いうつ状態に陥りました。



病棟がコロナ体制になり、

自身がコロナに感染して隔離され、

その生活に慣れたと思ったら

元の病棟生活に戻され、

徐々にコロナ体制も緩和されていきました。


私はその目まぐるしい環境の変化に

ついていけませんでした。



初めは、毎日していた

塗り絵と折り紙が急に出来なくなった。


コロナの間ずっと1人でやってたから

飽きたのかも、なんて思ってたら

翌日にはほぼ寝たきりになりました。



ルーティン化した生活が落ち着く私。


毎日ほぼ同じ時間に同じことをする

(洗面、着替え、食事、塗り絵など)

生活をしていたのに、

ぱたりと何も出来なくなりました。



そして、ソワソワ感が出て、

いてもたってもいられなくなって

頭を打ち付けるようになり、

頓服のリスペリドンでは効かなくて

ジプレキサが頓服で処方されました。



うつ状態が全く改善しなかったので、

元々飲んでいたリフレックスに加えて

ジェイゾロフトが少量から開始になり、

少しずつ増量していきました。




うつ状態は1ヶ月と1週間ほど続きました。


毎日ほとんどの時間を寝て過ごし、

頓服はMAX使い、

何も出来ないので時間がひたすら長い。


ソワソワして意味もなく自販機に

1日に何度も飲み物を買いに行ったり、

おやつを食べすぎたりして

自己嫌悪になっていました。


とても長く、苦しい日々でした。




うつ状態の回復の兆しとなったのは、

保護室に隔離されたことでした。



コロナ隔離が明けてから、

隣のベッドに20代前半の女の子がきて、

いい子なんだけど、年下すぎて

しんどさを言葉や態度に出せず、

うつ状態がすごくしんどいのに

その子の前では無理をしていました。



ある日、その子に廊下で話しかけられ

空元気で接してしまい、

折り紙を教えてほしいとせがまれ

一つだけ、ホールで教えました。


何かがパァーンと切れました。


解離して、ジュースの缶のプルタブで

腕を切ってしまいました。


傷は大したことなかったけど血が出ていて、

私は呼び掛けに反応しないので

当直の先生が呼ばれました。


まだ解離が抜けていなかったので、

多分あまり反応しなかったと思います。



その日の当直の先生の判断で、

私物は全て預かり、

保護室に隔離(施錠)となりました。


しばらくして我に返った私は

何となく状況を理解して

ただひたすら涙を流していました。



翌日、C先生が来てくれて

隔離解除、私物も返却と言われたけど、

また解離して自傷するのが

怖かった私は拒否しました。


任意入院だったので、

対応を他の先生と相談します

と言ってC先生は出ていきました。



また翌日、C先生が来て

部屋もここでいいし、

私物も持たなくていいので

部屋の鍵は開けましょう

医療保護入院にする必要はないと思います

と言いました。


部屋の鍵は開けることになりました。



私物は担当看護師さんと相談しながら、

1日1個とか2個ずつ

持ち物を増やしていきました。



隔離解除後、しばらくは

他の患者さんに話しかけられると

解離してしまう気がして

部屋から出るのが怖くて、

トイレもナースコールして

付き添ってもらっていましたが、

少しずつ慣らしていきました。



でも、個室(保護室)になったことで

他の患者さんの目を気にすることなく

ナースコール出来るようになり、

寝てばかりの自分と

他の患者さんを比べることもなくなり、

うつ状態だけどまぁいいや

と思えるようになったことで

少しずつ回復していきました。




グループホームへは、

隔離前のうつ状態の時に見学、

隔離解除後に体験に行きました。


見学の時はすごく体調が悪かったので

無理して行かなくていいと

周りに言われたのですが、

今を逃すと埋まってしまうかもしれない

ということで頑張りました。



体験は、グループホーム側に

解離・隔離があった経緯を伝えた上で

了承を得て行きました。



体験後は、退院が見えてきたことで

不安が強まり、

毎日が落ち着きませんでした。



また、グループホーム体験と同時に

単独での外出が許可されるようになり、

過食嘔吐が再発してしまい、

かなり悩まされたけど色々対処法を試して

ある程度落ち着きました。




そして、退院前カンファレンスをして、

10日後に退院、入居が決まりました。


この10日は本当に不安で落ち着かなくて、

毎日午前も午後も外出して

必死に気持ちを逸らしていました。



そして、退院し、現在に至ります。




ここまで長文の記録を

読んでくださって

ありがとうございました。


これまでの一人暮らしの日記とは

違う形にはなるけど、

日々の思いや出来事を

綴っていきますので、

これからもよろしくお願いします🙏🏻 ̖́-