いつか母に言いたいこと | らっきー なな 元JW2世のブログ

らっきー なな 元JW2世のブログ

エホバの証人元2世のブログです

自分が母になり、
子を持つ母となると、いろんな事を考える




「この子のために生きる」
「この子の人生が幸せでありますように」




子供が生まれたときに
感じたのは「ありがとう」だった




無事に産まれてくれてありがとう
私のとこに来てくれてありがとう


そして涙が止まらなかった


生まれたばかりの娘を、
裸のまま、分娩台でぎゅーっと抱きしめたこと
小さい口でおっぱいを吸いそうなところ
泣いたと思ったらすぐ寝てたり




身体のあちこちの痛みなんて、
微塵も感じないほど、
赤ちゃんの泣き声に癒されたこと
ほんとに顔真っ赤にして泣くんだなと思ったり




ちっちゃい手があったかかったこと




すべてが愛おしく思えて
涙が出て



「私はママなんだ!」と強く思ったこと


子育てをするのに不安もあった妊娠中も
赤ちゃんの顔見た瞬間に全て吹き飛んで


この子のためになら死ねると思ったり
この子のために死ねないと思ったり



JWだった、しがらみも消えて
まっすぐに人生を向き合えるようになったのも、この子のおかげなのかもと思い



無垢に純粋に可愛い子を見て
嬉しくてずっと泣いていました



最初は、腫れ物に触るように子育てをしていて


ちょっと泣いたら抱きしめて
オロオロしながらオムツ替えたり
おっぱいが足りないのか悩んだり
夜寝ないのは私のせいなんじゃないかと責めたりしながら
手探りで子育てをしていた日々



いつも育児雑誌とにらめっこして
同じ月齢の子と比較したりする毎日でした



だんだん、
そういうのに疲れ、
楽しみながら子育てするようになれた頃


私はふっと
母の子育てを考えた



母は四人の子供を育てたけど
彼女は私に何をしてくれただろう?



私が赤ちゃんの頃には母はJWだった


楽しい事もあったのかもしれないけど、
大抵辛い経験しか覚えてなくて



思い出すのは集会の記憶
大会で暑かったこと
いやだけど奉仕に行ったり
集会で寝ちゃうとムチだったり
理不尽にムチされる事もあり
学校では証言しなくてはいけなかったこと
そんな記憶が大半


集会の日は交代で夜ご飯を作る当番があって
私が小学生で作れたものは
カレー、 チャーハン 、野菜炒め、ミートソースだったので、そのローテーションで作ってたけど、


野菜の切り方がわからなかったり
水の量を間違えたりしたのか


「ななの作ったのはおいしくない!」
と兄達から文句を言われた







やりたくてやった料理ではなく
当番で一生懸命やった料理だったのに
おいしくないと言われ


母には
「こんなんじゃ、お嫁に行けないね」と言われて



「もう二度と作りたくないよっ!」って
作ったご飯を食べないで泣きながら部屋に行ったりして
母も兄もしーんとしてたけど、、謝る事もなかった



弟だけは、「姉ちゃんのご飯美味しかったよ」と言ってくれた




ていうか。
市販のルーを使うカレーとかシチューで美味しくないとか言われるのって
どんだけ下手なのかと自分を蔑み



私はこれがトラウマで
料理は苦手と思い込むようになった



交わりの席でも
料理を披露することもできず



常に洗いものとか、
買い物係を買って出たりしてたけど



不思議だけど
自分の努力もあったのか
いつのまにか料理はできるようになっていて



今では、
毎日何品も夜ご飯に並べるし
毎日子供達から
「これ美味しいー!!」とほめてもらえる


私は本当は料理が好きだったんだと
子供に教えてもらえた気がしています




思えば褒められる事がなかったので
「やる事が当たり前」
「出来なかったらけちょんけちょん」




そういう風に育ってた私は、
自尊心もなかったんだなぁと今更思う




そして、旦那や子供に
「これ美味しいね!」と言われる事で
自分に自信がつき
料理がほんとに好きになりました



毎日ご飯作るのも
お弁当作るのも大変だけど



子供達は「ママいつもありがとう!!」
「美味しかった!ありがとう」と言ってくれる



ほんとに美味しいのかは謎だけど


でも素直に美味しいと感謝してくれる事で
また頑張ろうと思う



なんでも作ったるぜ!!って思う




****


そして思う


私は母に
「お母さん美味しかったよ」と言ってたのかな


自分が作ってたことばかり思い出すけど


母だって毎日ご飯を作ってくれていた



集会の日だけ当番だから
いやいややってたのは覚えてる


だからおいしくない料理…


悪循環なんだけど。。




「これ、美味しいね」



「これ、どうやって作ったの?」


私から母にでも、
母から私にでも。



こんな一言があれば
食卓に笑顔もあったのかもしれない



また作ろうと思ったかもしれない




料理が嫌だなんて思いながら作る事はなかったのかもしれない




実家にいた頃
もう少し
母にそうやって美味しいご飯を、感謝してたら良かったな





最近は、
実家に帰っても
プチ忌避のため
一緒に食事する事も出来なくなり
母にどう感謝していいのかもわからないまま
何年も過ぎている




いつか年老いた母と会えなくなる日が来るだろう



いつか母と話す事もなくなるのだろう




その時までに   




一緒にご飯をたべて



「お母さん。これ美味しいね
どうやって作ったの?」



って言える日がくるといいなぁ