きょう本土復帰の日 沖縄の自治は神話なのか | 元世界銀行エコノミスト 中丸友一郎 「Warm Heart & Cool Head」ランダム日誌

元世界銀行エコノミスト 中丸友一郎 「Warm Heart & Cool Head」ランダム日誌

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「国家の盛衰を決めるのは、政治経済体制が収奪的か包括的かの差にある」(アシモグルら)

掲題の昨日の東京新聞社説。

かなり説得的。

ご参考まで。

 

 沖縄県はきょう1972(昭和47)年5月15日の本土復帰から52年を迎えます。在日米軍専用施設の70%が今なお県内に残り、基地新設も強行されています。自衛隊増強も続きます。県民が望む「基地のない平和の島」はいつになったら実現するのでしょうか。

 

 太平洋戦争末期、沖縄は県民の4分の1が亡くなった地上戦の戦場となりました。52(同27)年、日本の独立回復後も本土と切り離され、米軍による占領と苛烈な軍政統治が続きました。

 

 象徴的な出来事は63(同38)年3月5日、琉球列島統治の最高責任者だったキャラウェイ高等弁務官が那覇市内で行った演説です。

 

 「現実を見れば、琉球やいかなる地域でも、自治は不可能だ。日本との平和条約第3条に基づく米国民政府下に置かれている。現時点では自治は神話であり、あなたたち琉球人がもう一度、独立国家を望むという自由意志を決めない限り、存在しない」

◆顧みられぬ県民の思い

 自由も人権も米軍が許す範囲に制限された息苦しさの中、62(同37)年には琉球政府立法院が国連の植民地解放宣言を引用し、施政権即時返還を求める決議を可決していました。

 

 そうした自治権拡大を求める機運の高まりに、軍政トップが冷や水を浴びせたのです。米軍統治はその後も9年続きました。

 

 沖縄の人々にとって72年の本土復帰は、過酷な米軍支配から解放され、戦争放棄と戦力不保持、基本的人権の尊重、さらに地方自治を定めた自由と民主主義の日本国憲法への復帰のはずでした。

 

 しかし、米軍基地を巡る厳しい状況は続き、近年では自衛隊の増強や基地建設も進んでいます。

 

 復帰当時、本土と沖縄県の在日米軍施設の比率は4対6でしたが今では3対7に広がっています。本土では住民の反対などで米軍施設の閉鎖、日本側への返還が行われたのに対し、沖縄では遅々として進んでいないからです。

 

 さらに、名護市辺野古沿岸部では普天間飛行場(宜野湾市)の返還と引き換えに、滑走路など新基地建設が強行されています。

 

 同じ県内移設では基地負担の抜本的な軽減にはならない、貴重な自然を壊すことになる、そもそも軟弱地盤で建設は困難…。県民が国政や自治体の選挙で何度も辺野古反対の民意を示しても、政府は辺野古が「唯一の解決策」として聞く耳を持とうとしません。

 

 政府は、辺野古を巡る訴訟で敗訴した沖縄県の事務を代執行してまで、新基地建設を強行しています。軍政当時のキャラウェイ氏による強権手法を、日本政府がそのまま引き継いだかのようです。

 

 玉城デニー沖縄県知事は4月、地域主権主義に根差した政治や行政を目指す「ローカル・イニシアティブ・ネットワーク」の集会で次のように訴えました。

 

 「選挙で負託を受けた知事の権限を一方的に奪うことは多くの県民の民意を踏みにじり、憲法で定められた地方自治の本旨をないがしろにするものだ」「国の判断だけが正当と認められ、地方自治を否定する先例となりかねない」

◆犠牲強いる構図は今も

 地方自治が危機にさらされているのは沖縄だけに限りません。政府が大規模災害や感染症蔓延(まんえん)などの非常事態時に、国が地方に対応を指示できるよう地方自治法改正をもくろんでいるからです。

 

 2000年の地方分権一括法施行後「対等・協力」関係と位置付けた国と自治体との関係を「上下・主従」に戻しかねません。

 

 外交や安全保障が国の仕事でも地域の理解を欠いては成り立ちません。地方自治法改正の動きに表れたように、政府の根底にある中央集権思想が極まれば、かつて本土決戦に備えて沖縄に犠牲を強いた構図が今によみがえります。

 

 沖縄では今、米軍基地に起因する爆音や環境被害、米兵らによる事故、事件などの被害に加え、米軍や自衛隊の基地が攻撃対象となり再び戦場になるのでは、との懸念が高まっています。

 

 台湾や沖縄県・尖閣諸島を巡る緊張を背景に「有事への備え」として、米軍と自衛隊が沖縄での軍事力を強化しているからです。

 

 沖縄を再び戦場としないためにも、沖縄の自治を神話から実話に転換することが必須です。沖縄県民の思いを政府や国民のすべてが誠実に受け止め、過重な基地負担を軽減する。軍事力でなく外交の力で緊張を緩和する。その必要性を重ねて胸に刻む復帰の日です。