裁判官の罷免 制度への国民の責任 | 元世界銀行エコノミスト 中丸友一郎 「Warm Heart & Cool Head」ランダム日誌

元世界銀行エコノミスト 中丸友一郎 「Warm Heart & Cool Head」ランダム日誌

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「国家の盛衰を決めるのは、政治経済体制が収奪的か包括的かの差にある」(アシモグルら)

 

掲題の今朝のもうひとつの朝日社説。

かなり説得的。

ご参考まで。

 

 

 適格性を欠く裁判官を国民の意思でやめさせられる制度は、司法の独立を危うくすることと表裏の関係にある。制度の重みを改めて考えたい。

 

 国会議員からなる裁判官弾劾(だんがい)裁判所が、SNSの投稿などをめぐり岡口基一・仙台高裁判事を罷免(ひめん)とする判決を言い渡した。

 

 職務外の表現活動を理由とする罷免は、戦後、裁判官弾劾制度が始まって以来、初めてだ。過去に罷免された7人には犯罪や不正行為など明らかな非行があった。だが、どのような表現活動が罷免事由の「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」にあたるか、その評価は一様ではない。最高裁は戒告したが、訴追は求めていなかった。

 

 この点について、きのうの判決は、「国民の尊敬、信頼に足る品位を辱める行為」が国民の信託に背く程度になった場合、との解釈を示し、検察官役の訴追委員会が問題とした表現のうち、殺人事件に関する投稿などの一部がそれにあたると認定した。

 

 岡口氏の表現に不適切な内容があったのはたしかであり、裁判官としてふさわしいのか疑問が出るのは当然だろう。当事者との民事裁判にもなっている。

 

 ただ、憲法が裁判官の身分を保障しているのは、司法の独立を守り、公正・中立な裁判を実現するためだ。弁護士になる資格も退職金も奪う罷免を言い渡すには、相当厳格な基準が求められる。

 

 判決では、罷免に値する表現の一線が明示されたとはいえない。遺族を傷つけた結果責任を重くみた言及もある。罷免を疑問視する少数意見もあり、微妙なケースだった。

 

 裁判官の表現の自由は、裁判の公正さ、裁判・裁判所への信頼にかかわる面もあり、何の制約もなく認められるとは考えにくい。

 

 一方、裁判官の発信だからこそ重要な問題提起になり議論を豊かにすることもある。今回の罷免が政治の司法への圧力や裁判所内部の統制を強めたり、裁判官それぞれの表現の萎縮につながったりすることはあってはならない。

 

 過去の弾劾裁判はすべて1年以内で結論を出したが、今回は初公判から2年余と長期にわたった。もっと迅速に進められなかったか。

 

 弾劾制度のもとでは、自民党が個々の裁判官の思想信条への介入を強めた1960年代後半以降、訴追委が200人を超える裁判官に特定の団体への加入状況を調べた歴史もあった。

 

 今回がアリの一穴にならぬよう、国会と司法の関係を見守るのは国民の責任である。