③『花神』 大村益次郎 成仏寺で英語を勉強 | 元世界銀行エコノミスト 中丸友一郎 「Warm Heart & Cool Head」ランダム日誌

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司馬遼太郎生誕100年 作品にみる横浜

 

掲題の2023年8月28日付産経ウェブ。

ご参考まで。

 

 

 

周防国吉敷(よしき)郡鋳銭司村(すぜんじむら)の村医者、村田蔵六(後の大村益次郎)が大坂の適塾に学んだ後、蘭方医、兵学者として宇和島、江戸へ行き、やがて幕臣から長州藩士となり、卓抜した軍事的才能を生かし幕府と対決することになる。しかし新国家建設の途中に凶刃に倒れてしまう。

 

「花神」とは中国語で「花咲爺」を意味するらしい。もし維新を正義とするならば、大村は維新という花を全国に咲かせる役目を担ったのである。

「世界を想像する」

 

作中での横浜は、英語を軸として大村と福沢諭吉という2人の適塾の門下生を対比させる舞台となっている。

 

福沢が開港したての横浜見物にきたところ、外国人はまだほんのわずか、そして小屋みたいな家がチョイチョイ(福沢の表現)できていた。オランダ語を学んだ福沢が話しかけても言葉が少しも通じない。看板も読めなければ瓶(びん)の張り紙も読めず、ショックを受けてしまう。英語もしくはフランス語だったことを福沢は知らなかった。

 

作中では福沢について、こう述べている。

 

「福沢という、この文明に 対して稀代(きたい)の感受性をもっ た人物は、横浜で仰天する ことによって、横浜という ほんの小さな一角から、世 界を想像することができ た」

 

世界はすでに英語が主役だということを福沢は実感した。大村にこれからは英語だ、一緒に学ぼうと誘ったが、

「英語世界のことはオラン ダ語翻訳で読めば事が足り る、いまさら世話になった オランダ語をすてて英語に 鞍替(くらが)えするのは男子として 節の無いことだ」

 

と、大村はにべもなく断ったのであった。

 

福沢が英語を学ぶ契機となったエピソードは『福翁自伝』の「英学発心」にある。

 

「牢屋風の警戒」

 

適塾の同窓の原田敬策は、当初、福沢と英語を学ぶことになっていたが、福沢が渡米したため大村を説得して東海道神奈川宿の成仏寺(現在の横浜市神奈川区)で一緒に英語を学ぶことになったのである。

 

『大村益次郎先生事蹟(じせき)』=大正8(1919)年=に、明治後男爵となった原田の回顧談がある。

「万延元(1860)年某 月に私は先生(大村益次 郎)と共(とも)に幕府の許可を得 て、横浜にて英語伝習を受 けることになり、神奈川の 某寺院に滞在する米国人ヘ ボルンに就き、毎日英語を 修業することになりまし た。固(もと)より攘夷論の盛な時 であり(中略)毎日教場に は幕吏が大小刀を横(よこた)へ、従 者を連れて守衛のため稽古 時間を見張り、寺院の外廻 りは青竹の矢来を以て取囲 むことゝなり、全く牢屋風 の警戒を備へられて、一年 余りも一緒に修業をしたこ とがありました」

 

後に大村が、攘夷の総本山である長州藩の軍事面の総大将になることを思うと、興味深い話である。

辞典の編纂、治療…

 

この「ヘボルン」は、ジェームス・ヘップバーンで、ヘボン博士である。ヘボンは自ら「平文」と漢字で書いたりした。「神奈川の某寺院」とは成仏寺で、ヘボンが居住していた。ほかに宣教師のS・R・ブラウンやジェームス・バラも住んでいた。

 

ヘボンはもともと、米ニューヨークで大きな病院を経営していたが、日本に来ることを志し、病院をたたんで伝道医としてこの極東の国へ渡ってきた。このことでもヘボンの人となりを推測できる。ヘボン式ローマ字をつくったり、和英辞典『和英語林集成』の編纂(へんさん)を行ったりした。歌舞伎俳優の澤村田之助(たのすけ)の足の治療の話もよく知られている。

 

ヘボンは、無料の施療所を宗興(そうこう)寺(同)で開設し、生麦事件の負傷者も米領事館となっていた本覚寺(同)で治療している。このほか、聖書の翻訳や明治学院大学の設立など、明治25(1892)年に帰国するまでの33年間にわたり、幅広い活動を行っている。(随時掲載)

増田恒男

ますだ・つねお 昭和23年、横浜市生まれ。44年、日本大学卒業後、同市役所に勤務。平成12年から司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)に勤務し学芸部長を務める。22年に退職。主な著書に『佐藤政養とその時代-勝海舟を支えたテクノクラート』などがある。論文も『神奈川台場考』『保土ケ谷宿をめぐる文芸と文人たち』『文明開化を生きた歌人-大熊弁玉』など多数。