大国主義の興亡
──貨幣錯覚の迷宮とインフレ・スーパーバブル・戦争の文明心理学
■第Ⅰ部 金融文明の誕生(1960〜2026)
【第3章】合理的期待革命と市場万能主義――金融文明の胎動(1980s)
1970年代のマネタリズムが文明に“規律”を取り戻したとき、世界はまだ気づいていなかった。その規律が、次の時代――市場万能主義と金融文明――の土台になることを。
1980年代、文明は新しい段階に入る。それは、国家でも、財政でも、貨幣でもなく、市場そのものが文明の中心に座る時代である。
この転換を理論的に支えたのが、合理的期待革命(Rational Expectations Revolution)である。
◆1 合理的期待革命は“市場を神にする思想”だった
合理的期待革命は、ルーカス、サージェント、ウォレスらによって展開された。その核心は、驚くほどシンプルで、驚くほど革命的だった。
「経済主体は合理的であり、政策の効果を事前に織り込む」
この一文が、20世紀後半の文明を根底から変えた。
· 政府の裁量政策は無効
· 財政政策は期待に吸収される
· 金融政策も予測されれば効果がない
· 市場は政府より賢い
· 経済は“政策ではなく期待”で動く
この思想は、市場を文明の中心に据える“思想革命”だった。ケインズ主義が国家を中心に置き、マネタリズムが貨幣を中心に置いたのに対し、合理的期待革命は、市場そのものを文明の中心に置いた。
◆2 文明は“国家の時代”から“市場の時代”へと移行した
1980年代の世界は、合理的期待革命の思想を背景に、急速に“市場中心の文明”へと変貌していく。
●① 規制緩和
航空、通信、金融、エネルギーなど、あらゆる産業で規制が撤廃されていく。
●② 金融自由化
資本移動が自由化され、金融市場は国境を越えて拡大する。
●③ 株式市場の肥大化
株価は国家の“成績表”となり、企業は株主価値を最優先するようになる。
●④ 金融工学の台頭
デリバティブ、先物、オプションが急速に普及し、リスクは“数式で管理できる”と信じられた。
文明は、市場を信じ、市場に委ね、市場に依存する体質を獲得した。
◆3 グリーンスパンという“金融文明の象徴”
1987年、アラン・グリーンスパンがFRB議長に就任する。筆者が2020年に書評したように、彼は“市場と対話する中央銀行”という新しいモデルを作り上げた。
グリーンスパンは、市場を敵ではなく、文明の主役として扱った。
· 市場の期待を読み
· 市場の反応を重視し
· 市場の暴落を恐れ
· 市場の上昇を歓迎した
·
この姿勢は、中央銀行を“市場の守護者”へと変えた。そして、市場の安定=文明の安定という新しい価値観が生まれた。
これこそが、後のQE文明の原型である。
◆4 市場万能主義は“バブル文明”の胎動だった
1980年代の市場万能主義は、文明に新しい自信を与えた。
· 市場は合理的
· 市場は効率的
· 市場はリスクを分散できる
· 市場は自己修正する
この“市場信仰”が、後のバブル文明の心理的基盤となる。
●1980年代後半:日本のバブル
土地神話、株価の高騰、金融自由化の加速。市場信仰が極限まで膨張した。
●1987年:ブラックマンデー
市場は暴落したが、グリーンスパンは流動性供給で支えた。これが“中央銀行は市場を救う”という期待を生む。
●1980年代末:金融工学の台頭
リスクは“数式で管理できる”という錯覚が広がる。これらはすべて、後の2000年代の住宅バブルと大金融危機の前兆である。
◆5 合理的期待革命の“文明的副作用”
合理的期待革命は、市場を中心に据えることで、文明に新しい秩序を与えた。だが、その副作用は深刻だった。
●① 政府の役割の過度な縮小
市場に任せればよいという思想が、社会の不平等と不安定を拡大した。
●② 金融市場の肥大化
実体経済よりも金融市場が優位に立ち、文明の重心が“金融”へと移動した。
●③ バブルの温床
市場信仰は、資産価格の過剰な上昇を正当化した。
●④ 中央銀行の“市場依存”
市場の期待を裏切れない中央銀行は、次第に市場の奴隷となっていく。これらの副作用は、後のQE文明の暴走へとつながる。
◆6 1980年代は“金融文明の誕生”である
ケインズ主義が国家の時代を作り、マネタリズムが貨幣の時代を作った。
そして1980年代の合理的期待革命は、市場の時代=金融文明を作った。
· 市場が文明の中心となり
· 中央銀行が市場を守り
· 金融が国家を超え
· バブルが文明心理を変え
· QE文明の土台が築かれた
1980年代は、後のすべてのバブル、すべての金融危機、すべてのQE、そしてすべての大国主義の復活の“起源”である。
◆次章への橋渡し
次の第4章では、合理的期待革命の上に構築されたニューケインジアンの時代(1990s)を描く。
そこでは、インフレ目標、Taylor Rule、中央銀行の独立性という“金融政策万能主義”がどのように文明を支配したかを明らかにする。