日本のスーパーのお肉コーナーに、定番として並んでいるペラペラの薄切り。しゃぶしゃぶ、なんか巻いて焼く、炒め物にも煮物にも、と便利に使える。あれは海外の地元スーパーでは見つからない。そしてそれは駐在妻には大問題。オランダ初期、まだ到着一週間に満たないころに、私はあの薄切り肉をめぐって、息子のクラスのお母さんたちから、何者?!と不要な注目を買ってしまった。

 



 スクールバスのバス停で、隣りにいた、息子の研のクラスのお母さんが薄切り肉トークを始めた。研とそこんちの男の子がバスの中で隣同士に座るので、見送りの母もその順に並んでいるべきという基本ルールがあったから、子供たちがバスに乗り込んだあと、彼女はいつも私の隣りに立つことになるのだった。大人しそうな人だったが、新しく来た私に親切に声をかけてくれたのだのだと思う。

「料理どうしてる?大丈夫?この前話した日本食スーパー、便利だけどちょっと遠いじゃない?まみむめさん車ないし。あそこまで行かなくても、割と近くで薄切り肉売ってくれるところがあるの、もう誰かにきいた? あ、そう、まだだった。あのね、肉屋なの。だからちょっとはお店の人としゃべらなきゃいけないんだけどね。フォントは変だけど、日本語で、ポークとかビーフとか紙に書いて貼ってくれてあるから、それ指差して、スリーハンドレッドとか言うだけでいいの。いいでしょう? ブリンクっていう駅だよ。まみむめさんはまだ行ったことないかな~。ま、だんだんねー。」



 その肉屋情報のブリンク駅は、前日に自転車で偶然行きついていたところで、メトロでは3駅ぐらいあるが、自転車では快適に整備された自転車道でをいくと10分ぐらいで着く、あそこだとわかった。駅前に、よくあるセットで、スーパーマーケットが1~2軒と有機栽培の八百屋、花屋、本&文房具&少々のおもちゃ屋、インドネシアデリカテッセン屋、肉屋、パン屋などが入ってる小さなショッピングモールがあり、そのありがたい肉屋はその中に入ってる。もう一軒似た店があるがそっちではなく、Kという看板の店に行くようにという情報だった。わーい、ありがとう、今度行ってみようと思ったが、その日はブラブラしていたら時間が足りなくなったので、徒歩でいける一番近くの同じような買い物センターに行った。するとそこにも肉屋があった。Kという看板がでていた。あれ、と。でも変なフォントの日本語特別メニューは出てない。ここじゃないんだなと思ったが、とりあえず入っちゃったのでなにか買うことにした。「はい、あなた。何がほしい?」とすぐに声をかけてくるから、「ちょっと待ってね、考えるから。肉屋は初心者なの」、と言って各肉についてる部位の名前が全然わかんないなぁと、値段を見ても高いか安いかイメージわかないなぁどうするどうする、とりあえず何か買わないと、と。わかりやすいチキンの胸があるからあれにしようかと気持ちが決まって顔をあげると、カウンターの向こう側で、おじさんが、でっかいハムの塊を機械でウィーンウィーンとスライスしてるのが見えた。ははん、待ってる間に仕事してるんだな。赤身のでっかい肉の塊を冷凍庫からだしたり入れたりしてる、ちょっと若いお兄ちゃんも見えた。おー、おでかい重そうなお肉! ん?と。

 



「今持ってるそのお肉、あのハムと同じくらいにスライスしてもらえる?」ときくと、これはなんとかかんとかだからダメだけど、こっちならできるよ。やってみる?なんぼほしいの?と言う。お兄ちゃんの言うこっちの肉については、赤いという以外どんな種類の肉かもわからないので、ほんのちょっと100グラムぐらいだけ試しに買ってみたいのだけど、特別なお願いしていることとやってくれる手間を考えると、多めに注文すべきだろうと600グラムと言ってみる。そういうのは、昔上海にいたときに玲子さんに習ってから、気を付けて実践している。「まみっち、人になにか頼む時には、その人にもメリットがあるようにしたらいいんで。WinWin なら長続きするけど、向こうがお願いされたから承知しました~みたいなケースやったら、相手の負担になるやん。そういう風だとあとからだんだんいやになってきたりするやろ。いくらまみっちがいいことしてても、押しつけになるから。あとあとね。」 玲子さんは、お買い物上手なので、こういう時に自分ちに必要以上のお肉を買ったりしない。おまけしてもらえるなら別だけど。だからこの私の行動を報告したら、そういうことを言ったんではないと注意されそう。でも玲子セオリー私解釈ではこういうことになってるし、とても大事なことを教えてもらったと感謝してる。
(玲子さんについては、 15.(今)フランクフルト始まり 17.(今)収入ないある時間ないある 19.(今)ドイツ語を習い始めた。 をご参照。なるべく実態に近いように、言われた通りを再現しようとしたけど、大阪弁合ってるかな。)



 で、マシンのおじさんのハム作業が終わってから、赤い肉がセットされる。グィーンちょっと調整、グィーングィーン、うん、こうだな、みたいなのがあって、グィーングィーングィーングィーンで、600グラムができた。黒い、普通200グラムぐらいを乗せるぐらいの大きさのトレーにこんもり。絶対にのりきれてない感じだけどラップをぐるぐるしたら落ちないようになる。カウンターにのせると安定感がないので倒れる。多分30€近く支払ったと思う。一般家庭の通常の夕食用には高いなとは思ったけど、勉強代。いい。二日間にわけて、焼き肉風としゃぶしゃぶ風で食べてみた。とても美味しかった。どこの部分の肉だったのかはわからないままだったけど。

 それで次の日のスクールバス待ち時間に、近所の方のKの店でも薄切り肉出してもらえたよ、高くなっちゃったけど、と昨日のお母さんに報告した。その時は、なにーー!?という顔と、「え?」という小さい声の反応があっただけだったけど、新しく来たまみむめがあのブリンクじゃない肉屋で薄切り肉を買ったというニュースは、クラスのお母さんたちみんなにすぐに知られたようだった。私は気づいていなかったけど、肉屋とコミュニケーションをしたこと、薄切りをだしてもらっちゃったこと、が、ほとんど裏切り者行為のようにとられたんじゃないかと思う。+新参者のくせに、だ。



 私はオランダに行く前から英語が話せたので、肉屋で英語を使った。それだけのこと。オランダ人は基本的な英語ならほとんどの人が使えるので、私にはとても便利だった。英語を話せない人は、海外ではスタートラインに立てない。スタートラインを目指して努力を始めるか、別の方法でサバイバルしていくかは自分次第。中国でだって、もちろんそんなに便利に英語を使えなかったけど、閉塞感からは解放されやすい。英語を知ってることでいくつかの窓を開けられるから。英語人とコミュニケーションできるし、出版物も日本語より英語の方が断然多いので、情報が偏らないしたくさん入ってくる。今は携帯やパソコンで便利に翻訳機能を使えるから昔とはだいぶ違うけど。それでもやっぱり直に話せるにこしたことはない。