それで、その一社だけに応募した。そこがだめだったら、まずはもう少しドイツ語をうまくなれというお告げだと思うことにしようと考えた。

 やっぱりドイツなので、英語でできる仕事で探しても、だいたいどの仕事にも"自信をもって使えるドイツ語力”、"流暢なドイツ語"、"ドイツ語B2以上"、という条件がついてくる。日本の求人情報では、日本語力必須とか書いてること少ないと思うけど、さすがこっちは移民の国。書いておかないと喋れない人がどんどん応募してきちゃうんだろう。ちなみにあとから知ったことだけど、ヨーロッパでは、学校時代にドイツ語を勉強している人が多い。特にドイツより東の方ではその傾向がより強い。私の中では、外国語と言えばまずは基本の英語、使ってる人の数を考えてスペイン語、オシャレにいきたい人のフランス語、のイメージだったので、こんな地味な言語を?と思った。が、教育システム充実の経済大国なので、ドイツ語をやっておけばいい教育を受けられて、よい仕事にあたる機会が大幅に増加するのだった。

 

 トルコ人も。この時の私が一方的にライバル視していた、到着予定の2000人のトルコ人は、みんなドイツ語で私の上をいっているのだった。そういうこと?とがっくりくる。世間知らずでいけない。



 その後同僚になるブルガリア人のラドスティーナは、教育熱心な父親の勧めで、途中から隣町にあるドイツ系学校に入っていたらしい。本人はドイツ風もドイツ語で話さなきゃいけないのも嫌だったと言っていたが、おかげでドイツで大学院までいけて(基本的にドイツの国公立大学は学費無料!でも高いドイツ語レベルがいる。大学院は英語でいけるとこすらある)、修了には至らなかったけど、そのまま就職できた。その夏お世話になったスロバキア人のルドルフさんも、高校はドイツ系の学校で勉強したそうだ。関係ないけど、彼はその後カナダで英語をブラッシュアップし、日本で日本語もやって能力試験一級に受かっちゃったりする。今はフランクフルトにある日系企業に勤めてガッポガッポして、ご両親の自慢の息子さんになっている。スロバキアでは、ハイキングしながら、サイクリングしながら、名物のコフォラというコーラに似た黒いドリンクをおいしそうに飲みながら、大きめの口をいっぱいに開いて、うちのティーンエイジャー2人にありとあらゆることについて話してくれた。とても親切でおもしろくてあったかい人だった。ルドルフさんちのお子さんは、まだ人見知りを始めたばかりの赤ちゃんだったけど、彼女もきっと親切であったかい人になる。きっととても幸せになる。

 

 

 

 この辺の中央/東ヨーロッパの人たちのわが子にドイツ語を、の親のがんばりは、日本人がわが子に英語を、のイメージとそっくり。でも違うのは、こっちの人たちのドイツ語はその後実際にとても役立てられている一方で、日本の子供たちの英語は、騒がれて焦らされて血眼になってお金をかけてるほど、その後活用されてないように思うこと。がんばれ、日本の若い人たち。広い世界に出ていけるんだよ。



 私が応募したいポジションにも、『ドイツ語に自信、英語はできるだけ高いレベル、他の言語ができれば尚可』という条件がついていた。もちろん私のドイツ語レベルは足りてないが、募集要項を見てこの会社に一目ぼれ状態だったので、それくらいのことでひるむわけにはいかない。まだホテルのオープン予定までには半年ほどあったので、その間にすごくレベルアップさせます、入社後も勢いよく上達しますから大丈夫、私言語は得意なんです、とカバーレターに付け足した。あと心配だったのは、私の歳。書類から40代中盤とは簡単に推測される。歳だからダメと言われる率は日本よりはうんと低いとはいえ、ドイツ語のマイナスとの合わせ技ではあるかもしれない。あったらいやだ。老けた感じはないことをアピールしなければ。どうするどうする?で、応募資料に、志望の動機と意気込みを伝える短い動画を付けることにした。思いついたときは、動画編集というばばあにはできそうもないことをしましたよ、と暗にほのめかすつもりだった。が、選考で私を選んでくれた大ボスには、アジア人は若く見えるの原則も働いて、動画と書類の印象から、私にはエネルギーしか感じられなかったそうだ。年齢のことなんて考えもしなかったと後日教えてくれた。



 夏休みの家族チェコ&スロバキア旅行中に、大ボスから電話があり、帰国後に面接となった。旅行中そのことをルドルフさんに話すと、ホテルのフロントでドイツ語できないのはちょっと無理かな~~、でもまみもさんだったらどうかな~~、わからないけど応援しますよ、と、スロバキアで一番おいしいハンガリーのB級グルメ(ルドルフさん談)を食べた店で言ってくれた。

 

 面接で、大ボスは私の年齢をきくこともドイツ語をチェックすることもなく、質問もほとんどなく、主に一人で45分間しゃべり続けていた。ので、採用ってことかな、と帰り道静かに興奮した。人生で、思いもよらなかった、小さな、まだ決まってないけどありそうな、特別な一歩を記念して、駅のアクセサリー屋でネックレスを買った。6€とか10€とか、普段買うようなのでよかったんだけど、いやいや、社会人じゃん?と別のコーナーから26€のを選んで、一人にやにやした。ダメだったら、残念賞の記念にしようと思った。募集要項に出会ってから、すごく楽しかったから、それでもいいと思った。



 で、後日、採用の連絡がきた。

 家族はびっくり。私はじんわりと、喜びと興奮に浸されていった。 


 今考えると、この最初のときから、大ボスはノリノリだったけど、小の方の直ボスは懐疑的な雰囲気を隠していなかった。彼の方は別でやったオンライン面接で、第一声で私の年齢、ドイツ語レベル、なんで応募したの、とたくさん聞いてきて、hmmmm, in..te..resting.... と言っていた。彼は私を扱うには、物事をおもしろがる余裕が足りなかったというか、なんというか、枠にきちんとハマるものが好きな、普通の人だった。今日のところは、そういうまとめでいこうかと思う。

 

 ほんで1年働いたあとの去年の10月、小ボスから、契約を更新しない旨を伝えられることになる。

(大小ボスとその経緯については、3.(今)なんで今仕事を探しているかと言うと……、4.(今)彼(小ボス)はそれをやってのけた。その続き。をご参照。)