
《世界ALSデー in NAGOYA
みんなでゴロンしよう!》
6月6日(土)、
愛知県のモリコロパークで
開催された、
日本で最大規模のALS啓発イベント
《世界ALSデー in NAGOYA
みんなでゴロンしよう!》
に、
さくら会の組員として
参加してきました。
朝5時に家を出て、
高速バスと新幹線を乗り継いで
たどり着いた会場は、
たくさんのボランティアさんが
準備万端整えてくださっていて。
会場入り口に、
Sさんが描かれた
ALS患者さんとだんなさまの、
透明文字盤をとっている絵が
ドーンと飾られているのを見て、
すでに泣きそうなくらい感動。
イベントがスタートしてからは
また今年もここで会えた方々、
Facebookで繋がっていて
やっとリアルに会えた方々、
はじめましての方々など、
あそこでもここでも、
とにかく
笑顔があふれていました。
おしゃべりして、
握手をして、
写真を撮って。
さくら会のブースでは
在宅生活のご相談をお受けして。
会いたい人たちに会えて、
とても楽しくて幸せな
イベントでした。
このところ、
「廃用身」という小説を
読んでいて、
いろいろひとりで考えることが
多くなっています。
読んでいて途中で苦しくなり、
ページを閉じてしまうことも
多々ありました。
善意から始まることが、
いつの間にか人の命や尊厳を
傷つけてしまうこと。
身体を「物」として
見てしまうことの怖さ。
そして、人を
「できる」「できない」
「役に立つ」「役に立たない」
という単純な物差しで
測ってしまうことへの違和感。
そんなことを考えながら、
このイベントに参加しました。
でも、会場で
ALSとともに生きる
たくさんの方々にお会いして、
改めて感じたことがあります。
身体が思うように動かなくなっても、
その人の価値は何ひとつ
失なわれません。
自分で歩けなくても、
自分で食べられなくても、
自分で話せなくても、
そこにいてくれるだけで、
笑ってくれるだけで、
一緒に時間を
過ごしてくれるだけで、
私は幸せな気持ちになりました。
人は「できること」で
価値が決まるのではない。
動けないこと=不幸
できないこと=悪いこと
ではない。
できないことは、
人や技術の力を借りればいい。
むしろ人は誰でも、
誰かに支えられながら
生きている存在なのだと
思います。
「諦める」という言葉は、
一般的にはネガティブに
受け取られがちですが、
本来は「明らかにする」という
意味があります。
今の自分の身体の状態を、
今の自分の気持ちを、
今の自分にできることと
難しいことを、
きちんと見つめて
明らかにすること。
その先に、
自分らしい生き方を
見つけていくこと。
それは決して
「人生をあきらめる」ことでは
ないのだと思います。
私はALSの方々の「支援者」と
立場的には言われます。
でも本当は、
私のほうがたくさんのことを
教えてもらっています。
どう生きるのか。
どう人とつながるのか。
何が本当の豊かさなのか。
その答えを、
ALSとともに生きる方々は
日々の暮らしの中で
示してくださっています。
私が大好きな
ヴィクトール・フランクルの
『夜と霧』には、
極限状態の中にあっても、
人は最後まで
生きる意味を見出そうとし、
誰かを思いやり、
笑うことさえできる、
ということが描かれています。
身体の自由を奪われても、
人間の尊厳や心の自由までは
奪えない。
私はALSの方々と接するたびに、
そのことを思い出します。
ALSの方々は、
病気と闘っているだけでは
ありません。
限られた身体の中で、
家族を愛し、
仲間と語り合い、
笑い、
誰かを励ましながら
生きています。
その姿に触れるたびに、
人間の強さや美しさを
教えられます。
「動けない=不幸」
「できない=不要」
そんな価値観ではなく、
どんな状態になっても、
その人らしく生きていける社会とは
どんな社会なのか。
誰かの価値を、
生産性や能力だけで測らない
社会とはどんな社会なのか。
それをこれからも、
ひとりの人間として
考え続けていきたいと思います。
苦しみや制約があってもなお、
人を愛し、
笑い、
つながり、
生きる意味を見出そうとする
ALSという過酷な病を抱えた方々。
そういう方々を
愛し、
大切にし、
人間として尊敬して
いきたいです。
このイベントを
主催してくださった 平野さん、
そしてたくさんの
ボランティアの皆さま、
そ素敵な時間を
ありがとうございました。