前回のお話。
父の担当ケアマネとその上司が
重度訪問介護のヘルパーを入れないで
ほぼ家族対応のケアプランを
作成してきて、
それに異を唱えたら
「そんなに気に入らないなら
自分でやったらいいじゃないですか!」
と啖呵を切られ、
その場でALS協会福島県支部の
事務局長に電話で相談し、
「もう自分たちでやるからいいです」
と、ケアマネを断ったところまで
書きました。
その後。
病院からは、退院の話が
ちらほら出始めていて
このときは10月でしたが
できれば年内に退院してほしいと
医師からも言われておりました。
…もう時間がない。
とにかく、今後のことを
早急に相談しなければ。
事務局長さんに連絡をして、
事務局長さんの勤め先である
いわきCIL(自立生活センター)で
父の今後のことを
作戦会議することになりました。
いわきCILの会議室に到着すると
事務局長さんのほかに、
隣町のCILの理事長さんもいて、
(この方には、父の退院後
たいへんお世話になることになります)
まずは退院時期を翌年の3月に設定し、
そこから逆算していく形で
まず、障がい支援区分の
認定を受けること。
(父は介護保険サービスしか
利用していなかったため、
障害福祉サービスの支援区分の認定を
受けていませんでした)
同時に、重度訪問介護の時間数の
申請をすること。
そのために、新しいケアマネジャーと
週間スケジュールの作成が必要なこと。
支給時間数の決定が出たらすぐに
ヘルパーの確保をすること。
その間に、家族は
病院から医療的ケアの指導も
受けること。
などなど、
やるべきことは山積みですが
このときの作戦会議で
なにをやる必要があるのかが
明確になりました。
そして、
このときは同席していませんでしたが
いわきCILに所属している
ALSの支援にも慣れていて
障害福祉サービスにも詳しいという
ケアマネジャーさんを
事務局長さんが
紹介して下さることになり
まずはケアマネ問題が解決して
本当にほっとしました。
会議の中で、
隣町のCILの理事長さんが
「お父さんが好きなことを教えて。
食べ物とか、テレビ番組とか、
なんでも。」
と言ってくださって。
ああ、支援者から
こんなことを聞かれたのは
父がALSに罹患してから
初めてのことだなぁ…
そう思ったら
急に涙があふれてきて
涙腺が崩壊したように
ボロボロ泣いてしまいました。
ラーメンと鰻が大好物で
最後に口から食べたのも
大好きでよく通っていた
ラーメンやさんの
醤油ラーメンだった父。
グルメ番組が大好きで
よく観ていた父。
(とくに「ぐるナイ」)
そして、動物が大好きで
私は幼いころから
猫や犬と一緒に暮らしていました。
ああ、そうだ。
家では、父のことが大好きな
犬のムクも待っている。
まるで父の介護のために
建て替えたようになってしまった
今の新しいあの家で
早く、安心して
暮らせるようにしてあげたい。
作戦会議から帰宅する車の中で
ますます私の決意は
固まっていったのでした。
このあと、
私は仕事をしながら
様々な手続きを行ったり
病院で医療的ケアの指導を受けたり
介護事業所に電話をかけまくり
直接押しかけたりもして
ヘルパーさんの確保に奔走したりと
ますます嵐のような日々を
生きることになります。
その間に
今度は病院側スタッフとの
闘いもありました。
それらについては
また後日書いていきますね。
最後まで読んでくださって
ありがとうございました。