作成した書類にハンコをいただくため。
あるいは公正証書遺言の証人として立ち会うため。
ひとさまのお宅にお邪魔することがたまにあります
居間に通していただいたものの、きょろきょろ見まわすわけにもいきませんので、自然、視線は低めになります。
と、テーブルの端に置かれたテレビのリモコンに目が行きます。
そのリモコンはラップでくるまれています
わかります。
そのお気持ち、ほこりを嫌うお気持ち、よーくわかります。
ただ、どうでしょう。
ほこりがボタンの隙間に溜まるのを避けたいのであれば、もっと簡単に、ボタンの面を下に向けて置くという手もあるのではないでしょうか
じっさい私は家でそのようにしております。
家電のリモコンは常に伏せて置く。
伏せても伏せても無神経な家人が表にして置いたりするのですが、あきらめずに何度でも裏返す。
人生とはこうしたことの連続です
ぜんぜん話は変わりますが。
若かりし頃、友人を部屋に迎えると、しばしば鍋を作ってもてなしました。
醤油、みりん、酒、そして味噌を適当に混ぜ合わせて仕上げます
あるとき一人の善良な友人が、しみじみとつぶやきました。
「ミヤマエの鍋は本当に美味いな。俺が作っても醤油の味しかしないよ」
そりゃあ醤油しか入れないからだろ、馬鹿だなあ。
ぐらいの憎まれ口はもちろん笑って言える仲でしたが、そのときの私はつい言葉に詰まってしまいました。
人生にはけっこう、こうしたことがあるのではないか。
自分ではその足りなさに気づかないまま、とりたてて疑問を抱くこともなく、無邪気に、素直に、あたりまえに道を歩んでいるということが
その温厚篤実な友人は、天下のT大卒でした。
だからこそ、なおのこと私の内面は揺さぶられ、くすぐられたのでした
鍋ひとつ、リモコンひとつにも人生は浮かび上がります。
「だからなに?」という話でしょうが、「だからなに?」という話に対する反応の中にこそ、まためいめいの人生が浮かび上がったりもするのです