高田賢三 展覧会 | けろみんのブログ

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2024.8.3

高田賢三 Takada Kenzou

東京オペラシティ アートギャラリー

2024.7.6~9.16




新宿、初台にあるオペラシティに初めて行きました。高田賢三。10代20代を送った80年代、KENZOなど「ブランド物」の衣料品はビンボーな私には高嶺の花でした。コントラストの強い無地と黒い下地に派手に描かれた花模様。柄ON柄の服、ひまわり柄や、ローウエストを流行らせた方だと今回の展覧会で知り、とても昔懐かしく思いました。今着たら狂人にしか見えないけど着てみたい。





このマネキンは、1989年に西武・有楽町アートフォーラムで開催された展覧会「Liberté KENZO」のために制作されたものである。球体関節人形の制作で知られる四谷シモンによってデザインされた。関節にあたる14か所が球体でできており、手足を自由に動かしてポーズをとることができる。当時の展覧会では、約90体を使ってパリの街角の様々なシーンが表現された。 



身体を包み込むような、ふっくらとした 風船のようなシルエットの「バルーン・ ルック」。ニットや厚手の木綿、コーデュ ロイなどの生地で作られた。肩のタック プリーツで大きなフォルムを作り、裏地 で表地を吊り上げるようにして、膨らみ を保たせている。またこの頃、様々な素 材でドレープを研究していた高田は、タフタと呼ばれる薄手の平織生地でドレー プを効かせたバルーン型のスカートを制作した。




様々なリボンが使われたウエディングドレス。

「柄物ではなんといっても花が好きだ」と高田が語るように、花柄はKENZOブ ランドの永遠のテーマとも言えるだろう。 1988春夏は、「花のエスプリ」と雑誌で 紹介されているように、庭園に咲く華麗な花、のどかな田園風景の中の素朴な花 など、様々な「花」をテーマにコレクションが展開された。日本では、ひまわり柄 を筆頭に大流行し、「街頭にはんらんする花模様」とその様子が新聞の記事でも語られていた。








以下はキャプションからの引用です


KENZOの創設者、高田賢三は、日本人デザイナーとしていち早くバリに進出し、「木綿 の詩人」 「色彩の魔術師」と謳われ、斬新なアイデアでファッション界の常識を打ち破る スタイルを次々と生み出しました。中でも、「衣服からの身体の解放」をテーマにデザイン された、直線裁ちの着物袖やダーツをなくしたゆとりある服は、国境や文化、性別を自由に 超えるものであり、着物や洋服といった既成概念にとらわれない新しい衣服のスタン ダードを示唆するものでした。


「僕にとってクリエーションとは喜びと幸せ、何より好きなように動きくつろいで生きる 自由、そしてまた皆さんに自分自身でいられる自由を贈ることでもあります」


この高田の言葉は、彼自身がどのような姿勢で制作に取り組んでいたかを端的に物語って います。


本展は、日本人デザイナーのパイオニアとして世界で活躍した高田賢三が創出した ファッションの変遷を、多数の衣装展示でたどるとともに、幼少期から描いていた絵画や デザイン画、写真、長年親しんだ愛蔵品、その他アイデアの源泉となった資料を交えて 紹介するものです。2020年に惜しまれつつ他界した高田賢三の没後初の大規模個展と なる本展は、81年にわたる人生とその創作活動を回顧するとともに、この稀有なアーティ ストが遺したレガシーの本質を発見する貴重な機会となるでしょう。


1970年4月17日、高田賢三はパリのパサージュ、ギャルリー・ヴィヴィ エンヌに初めてのブティックを立ち上げ、自らのブランドをスタートさせ た。1965年にパリに渡り、ヨーロッパの伝統的なファッションを目に する中で、日本人としての表現方法を模索していた高田は、最初の 1970春夏で日本の布地を使った作品を発表する。この時の麻の葉模 様のドレスは、雑誌「ELLE」の表紙に取り上げられ、早くも注目を集め た。その年の秋冬では、春夏の素材と考えられていた木綿を冬仕様に し、冬に木綿を着るという新しい提案を行った。これにより高田は「木 綿の詩人」と称されるようになる。その後も日本の生地や着物の裁断 などを取り入れた服の提案を次々と行った。五月革命の影響により、 古い保守的な価値観から自由で開放的な価値観へと社会が大きく変 革しつつあったパリで、高田が提案したのびやかで開放的な装いは、 新たな時代の服として受け入れられ、1970年代を代表するファッショ ンデザイナーとして、瞬く間に世界の注目を集めるようになっていっ た。後年、「やりたいことはすべてこの10年間でやり尽くした」と自ら 語っているように、1970年代の作品には「衣服からの身体の開放」を 自らのテーマに掲げた高田のクリエーションが凝縮されている。


日本の布を使った作品のほか、ヨーロッパの伝統である オートクチュール (高級仕立服)に対抗して作った「アンチクチュー ル」、各コレクションで発表し、毎シーズン人気のあったニット、たっぷ りと布地を使った大柄なシルエットの「ビッグ・ルック」など、1970年 代に発表されたテーマを取り上げて紹介する。テーマごとの作品を見 ることで、その特徴をより深く理解できるとともに、テーマが発表され た年代に沿うことで、高田の送り出したファッションの変遷を追って見 ることができるだろう。


フォークロアとは、民族や民間伝承を示す言葉で、ファッションにお いては主に民族衣装にイメージを求めたスタイルを指す。自由を求めて 社会が大きく変化していった1970年代、ファッションには多様性と新 たな価値観が求められ、様々な国や地域の文化を取り入れたフォーク ロアというテーマは、この時代の一大潮流となっていた。


日本の衣服にとどまらず、各地の民族衣装に関心を持っていた高田賢 三は、四角い平面と無駄なく布地を使うことのできる直線裁ちが多く の民族衣装の共通項であることを認識しており、それを作品に取り入 れた。各国の民族衣装からインスピレーションを受け、立体裁断と平 面裁断を融合させた高田の作品は、衣服を通じてボーダレス、ジェン ダーレスの思想を体現した。


「80年代の服づくりは僕が70年代にやったことをさらに洗練させ、もっ と実用的にしようと心がけている」と高田は語っている。1970年代の 創成期を経て、1980年代になると、高田は質やデザインに配慮しなが らも、常に着る人に重きを置いて創作活動を行い、独創性を「熟成」さ せることを選んだ。花柄を大胆にあしらった「ロシア・ルック」やシルク ジャカードの中国風ブラウスなど、フォークロア調を単なる1970年代 の繰り返しではなく、さらなる熟成と洗練を重ねた形で展開していく。


ここでは、高田賢三のファッションの真髄とも言えるフォークロア調の 作品を1980年代の作品を中心に俯瞰する。また、ヨーロッパの中世 に見られた、チュニックのような服装をテーマにした「中世ルック」、ベ ル・エポックの時代の人形をイメージしてフリルをふんだんに使用した 「ロマンティック・バロック」、ファッション界で黒色が流行する中で発 表された、カラフルな配色と重ね着が印象的な「ニューカラー」など、 高田の挑んだ新しいスタイルも含めて1980年代を振り返る。