111年目の中原淳一展 | けろみんのブログ

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111年目の中原淳一展

渋谷区立松濤美術館

2024.6.29~9.1








大好きな中原淳一展に友人を誘い行ってきました。中原淳一のデザインはオードリーヘプバーンのような女性に洗練された衣装が印象的。今と違い服は手作りすることが多かったため、自分でつくれるオシャレなアイデアがつまっています。わたしは20年ほど前入院中、雑誌の特集で中原淳一を初めて知りました。そこにはデザイン画とぬいぐるみの作り方、雑巾のアップリケ模様(生活道具もかわいらしく作ってQOLをあげようと言う考えに基づく)などが紹介されていました。昔パッチワークが趣味だった私には、全てがとても魅力的で退院したら作ろうと思って作りませんでした。

展覧会の挨拶文をそのまま引用します。


「窓辺に一輪の花を飾る様な心で」


終戦からちょうど1年後の1946年8月15日、中原淳一 (1913-1983)は自身初の 編集長を務める雑誌 「それいゆ」を創刊しました。冒頭の一節は、創刊号の編集後記に中原が添えたものです。当時、人々は未来や幸福について考えることよ りも日々を生きることに必死な時代でした。「このままではいけない。再び人々が 夢と希望を持って、美しい暮らしを志せる本をつくりたい」。それが中原の心でした。 「それいゆ」は戦後日本の「一輪の花」として創刊されたのです。


多才な中原は、編集者、画家、ファッションデザイナー、インテリアデザイナーと して、表面的なことや流行ではない「本質的な幸福や美しさ」を問い続けました。


生誕111年を記念する本展では、マルチクリエイターと呼ぶべき多彩な活躍を 果たした中原の仕事を、「少女の友」 「それいゆ」 「ひまわり」 「女の部屋」などの 雑誌の仕事を中心に、色鮮やかな表紙原画、今もなお新鮮なスタイル画、暮らしを 楽しく華やかに彩った雑誌付録などで振り返ります。また、人形、洋服、ゆかた、 着物、帯などの中原による作品、そして中原が残した遺品などから、その人柄や 美意識を紹介していきます。


戦後を彩った中原淳一の創作は、日本人の生活やクリエイションに大きな影響を 与えてきました。そして、111年を経てもまた、日本に生きる私たちに大きなヒントを 与えてくれるに違いありません。


以上が引用です。







竹久夢二に追随しながらも中原淳一の描く女性、デザインの対象は10代の少女が中心です。


『少女の友』は、川端龍子、竹久夢二も携わっていた雑誌で都会の女学生に人気でした。

付録も充実していて繊細にカットされたしおりなど乙女心をくすぐります。

夏号には、スタイルブックといって制服を着ない夏休み用のスタイルが掲載されています。


慰問絵葉書は、兵隊さんに送るハガキで美しい和装の女性が描いてあります。戦争中兵隊に送る絵柄は和装の女性が良い。と中原淳一は述べていました。


『それいゆ』は、『少女の友』の読者が終戦を経て若い女性にむけて、知性や審美眼を鍛えるようよびかけています。

戦前も戦後も物資が少なく、オシャレより生活優先な世の中であることにかわりはありません。そこで諦めずに工夫して美しく暮らす。かわいらしいアップリケ、パッチワークのきもの、ビール箱でつくるインテリア、髪型の工夫もどうしてそんなに詳しいの?と思ってしまうくらい素晴らしいです。


『ひまわり』はそれいゆと同時期に発行された少女のための雑誌です。

1949年から中原淳一の画風が変わり、目が大きく眉はくっきりな、よく知られるスタイルになりました。


『ジュニアそれいゆ』は大人でも子供でもない少女時代、大人びていなく子供じみていない少女ならではのオシャレエッセンスが詰まっています。『ひまわり』の後に発行されました。


『女の部屋』は1970年代に5号のみ発行された雑誌です。ミセス向けのハイセンスな雑誌のようです。目次を見ただけでワクワクしてきます。







  • 食器の色を揃えてみましょう 中原淳一

  • テーブルにも春の唄 牧野哲朗(哲郎)

  • KITCHENは主婦のお部屋 中原淳一

  • 春の夜食 辛永清

  • 帽子はおしゃれの仕上げです 中原淳一

  • 高峰三枝子さんの四つの春のきもの

  • 一組のアンサンブルを十五通りに着る 中原淳一

  • 表紙の髪型 沖田冬美夫

  • 初めてのお化粧をする人に 中原淳一 / 中村正子

  • 色彩の話 中原淳一

  • 既製服を着ましょう プレタ・ポルテ レディ・メイド

  • 私の知っているきものの話 中原淳一

  • 掃いて捨てる小布で出来たきものと帯 中原淳一

  • 花のTOILET 中原淳一

  • 窓辺に飾る縫いぐるみの植木鉢 松島啓介

  • お誕生日 中原淳一

  • 今日から新学期 中原淳一

中原淳一のデビューが人形作家としてだとは、知らなかったです。上流階級の趣味としてフランス人形作りが流行っている戦前、19歳の中原淳一は展覧会を行っています。そして闘病生活に入ってから自分のためにやさぐれた男の人形を作成しています。この人形は、最初に述べた20数年前の雑誌の特集に載っていたので見てみたいと思っていました。


中原淳一の雑誌の名前は太陽を連想するものばかりですね。️☀️明るくハツラツとしたイメージが大好きです。戦後の暗い時代の女性の心を明るく照らしてくれた、太陽でした。




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『映画検閲官』上映後トークイベントのナマニクさん