没後190年 木米 | けろみんのブログ

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没後190年 木米 を見に行きました。六本木、東京ミッドタウンのサントリー美術館で3月26日(日)までです。




「強烈な個性と創作意欲を生涯持ち続けた陶工にして画家・文人木米」とチラシに書いてあります。教養が残念すぎる私は恥ずかしながら一つも木米を知りません。その他没後190年の節目であること、これまでに無い大規模な個展であることが今回の展覧会の特徴だそうです。

スライドレクチャーに参加しました。本展覧会担当学芸員さんは木米の本質を作品から丁寧に読みとっていてこの展覧会開催に向けた労苦がうかがえます。

今までは「青木木米」の名前で知られている木米を木米とした理由は、本名青木八十八、通称木屋佐兵衛の苗字から「木」を、八十八を縮めて「米」としたもの。中国風の姓名に更に姓をつけるのはおかしい、ということであえてのことだそうです。チラシの木米の文字は「木米」という小さな文字の集合体で出来ていてその中で一つだけ本名「八十八」となってるそうなので探してみてくださいね。



木米は1767年、京都祇園のお茶屋に生まれ10歳の頃には高芙蓉に篆刻をならい、20代の頃には篆刻家として知られるようになりますが20台の半ば頃には、自らの意思で陶業を志しました。

よく釜の音を耳を直に釜に当てて聞いていた為に耳が聞こえなくなったと言われてますが文献によると30代後半に釜の爆発で耳を聾した、というのが真相のようです。

35歳までには陶説に出会い感銘を受け本格的に陶業に打ち込みました。50代なかばからは、余技として描いた絵画は文人仲間にあげるために描いたものがほとんどです。

67歳の時100人規模の煎茶会を企画し、100人分の茶器を作るなどしましたが実現することなく死去。息子の周吉から、遺作として茶碗は配られたそうです。


①文人木米、やきものにあそぶ


文人とは、中国の文人の詩書画の世界に憧れ中国の学問や芸術の素養を身につけた人

とのことです。


やきものにあそぶとは、機能性や生産性などに縛られることなく大胆、自由に作ること

とのことです。


木米は読書を好み漢詩に造形が深く古い時代のやきもの鑑賞で得た知識、19世紀中国の作陶からの影響、自由闊達な当時の京都の気風を上手くブレンドして木米オリジナルの作陶の世界を作りました。

【染付龍濤文提重】

提げ重は持ち運びしやすいよう軽い素材で作るべきところ敢えてやきもので作っています。明時代末期の古染付にある「虫食い」と呼ばれる釉薬の欠け、龍文、さや型の把手や雷文が、祥瑞というスタイルに通じます。様々な中国のスタイルを混ぜて木米オリジナルとなっている、チラシメインビジュアル。



②文人木米、煎茶を愛す


茶を煮て飲む煎茶は中国趣味として普及していきました。売茶翁が市中で茶を売り歩き、茶と禅の堕落を説いている姿に文人たちは感銘を受けました。そして、芸道としての、煎茶道が発達しました。

木米は36歳の時には、煎茶の道具を上手く作る人で有名になっています。この章では、急須、煎茶碗、涼炉が多く展示されています。涼炉は小型で南部せんべいのような色をした可愛い湯沸かし道具であり、窯変で現れた模様がとても、素晴らしいものが多かったです。急須は交趾釉鳳凰文急須をみると、同じく展示された交趾金花鳥香合と柄がおなじであり、茶の湯の道にも通じることがわかります。


【白泥蘭亭曲水四十三賢図一文字炉】


王羲之が賢人43人を蘭亭に招き、川に杯を流した。賢人たちは目の前を杯が通り過ぎる前に、詩を書かねばならない。出来ないと罰ゲームで酒を一杯飲むというインフルエンサーがYouTuberを集めて行うイベントみたいな故事を元に作られ、風門の中満面の笑みを浮かべる王羲之の下にはガチョウが、そしてゆったりした川の流れと賢人たちがぐるりと描かれています。この作品を拡大コピーしたバナーが展示され、撮影可能です。


満面の笑みを浮かべる王羲之
雄大な自然と詩作であそぶ賢人
かわいいガチョウ

③文人木米と愉快な仲間たち


50台後半、文人たちと活発なやりとりが書状などでうかがえます。


【泉流橘井四時香朱文印】

5キロを超える大きな印で、篆刻家としての一面をあらわすもの。橘井は医師を称える言葉で友人の医師のために作ったもの。


田能村竹田によると木米は「私が死んだらこれまで集めた各地の陶土を鴨川の水でこね合わせてその中に私の亡骸を入れてよくこねて団子にし、粟田窯で三日三晩焼いて欲しい。1000年後くらいに私を理解してくれる人が掘り起こしてくれるのを待つ」と語ったそうです。そんなシュールな埋葬法は初めて聞きました。(実現はしなかったようです)また、頼まれた涼炉を渡す際の文では「暑さ和らいだ折り、来てくれてありがとう、涼炉焼き上がりお使いの人に渡しましたよ。7月16日はお盆で地獄の蓋も開く(地獄もおやすみしてる)」というのに貧乏であくせく働き休みたくても休めません。まさに地獄の沙汰も金次第というところです」などとユーモアまじりに売掛金回収を仄めかすところが流石です。

3階に掲示された木米年表をみると、娘は芸者になったとのこと。お茶屋で生まれ育ち、風流で気の利いた文のやりとりが当たり前だったかもです。


あと、海苔をお土産にわたし、文に「醤油を塗ってさらに焼くと風味がまします」とかかれていたりぐっと親近感を感じます。(食べてみたい!)

そして字がどんな字体も自由自在で素晴らしい。書状は絵のようです。


④文人木米、絵にも遊ぶ


文人との交流の中、木米としての自分の立ち位置を自覚したようです。余技で描いたとは思えない素晴らしい作品でした。

木米の画の特徴は

・山水画がほとんど

・為画(誰かの為に描いたもの)がほとんど

・代赭(赤い絵具)をよく使う

です。


学芸員さんが木米の作品には点景に人物が描かれていてその人物になったつもりで作品を見ると絵の中に入り込める

と仰っていたので、レクチャーの後鑑賞し、『船に乗った人や子供を連れて片手を上げた人物』や、『家に帰る途中の高士』などになり切ってみて透明感のある木米の絵の世界に入り込もうとしましたが、想像力が貧弱なのでペラペラな岩や、止まった滝、紙のような樹木でしたがつかの間木米の世界を体感出来ました。



全く知らなかった木米。学芸員さんのレクチャーを聞き、改めて見ると木米という人となりから、作品の素晴らしさが見えてきました。

良い展覧会でした。