芸術×力 ボストン美術館展 吉備大臣入唐絵巻 | けろみんのブログ

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芸術×力「ボストン美術館展」

2022.7.23~2022.10.2

東京都美術館にて開催されています。

2020年に中止になった展覧会がやっと開催です。

「エジプト、ヨーロッパ、インド、日本……およそ60点!力を掴んだものたちが愛した美」

「チカラは、美を求めた」

「2022年、日本の宝里帰り」

平たくいうと「権力者が愛好した品々を集めてみました!」という趣旨で章立てされた展覧会です。そう言ってしまえば昔昔のその辺の市井の庶民の普通の人が家で使っていた品々など、現代に伝わるはずはなく。大切に保管されてきた良いものは権力者(施政者)に決まってるじゃないかと思います。そんな汎用性高いテーマではありますがもし日本にあるなら国宝間違いなし!という絵巻が2件出品されると聞いて馳せ参じました。絵巻、大好き。

1件は平治の乱を題材にした「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」です。この絵巻、現存する巻は3巻とその残欠でそのうちの1巻がボストン美術館の所蔵品、残りはひとつは静嘉堂文庫、東京国立博物館にあり国宝となっています。日本にあったら国宝というのも納得。

こちら三条殿を攻め打つ様を描いたもので女官が血を流して倒れていたり斬首された男や、剣の先に首を突き刺して凱旋する武士などが描かれてなかなか残酷でした。

そしてもう1件の国宝級絵巻「吉備大臣入唐絵巻」こちらはバラバラになることなく12世紀末に作られてから今まで伝わっているようです。(欠けた箇所がいくつかあります)

Wikipediaにパブリックドメインの図と詞書が存在していたので、この絵巻を早速紐解きましょう!


吉備大臣入唐絵巻

第1段(枕詞なし)

吉備真備、遣唐使として入唐。8世紀のお話です。この絵巻が作られたのが12世紀なので、この時点ではるか昔、400年前の出来事を描いているのです。
さて、唐では吉備真備のあまりのスゴさに危機感を抱いたのか、着くなり高楼に幽閉してしまいます。
図は日本の船が入港するところ。


第二段


右、鬼の姿の仲麻呂、左は冠装束の鬼(仲麻呂)と吉備真備(時が右から左へ流れていきます)


雨風の不気味な夜、鬼が高楼をチラ見している。吉備さんは超能力で姿を隠しつつ鬼を詰問する。
吉備さん「ワシは日本代表する大事な職務を携える者。鬼ごときがなんの用じゃ。」
鬼「偶然!僕も昔遣唐使だったんだよ、お話しようよ、聞きたいことがあるんだ」
吉備さん「鬼の格好をしたものなどと話しとうない。ドレスコードを考えて着替えて出直せ」と鬼に言い、鬼、すごすごフォーマルな出で立ちで出直してくる。

鬼は昔、遣唐使として入唐した阿倍仲麻呂だった。吉備真備と同じく、この高楼に閉じ込められて飲食物を与えられず、餓死してしまう。そして鬼となってこの高楼に住み着いたという。彼の気がかりは、日本にいる子孫、安倍氏の今の境遇である。吉備は親切に中々良くやってるよと一族の消息を語る。すると鬼はたいそう喜び、やっと聞きたいことを知ることが出来た、お礼に私の知る唐のことを全てあなたにお伝えしましょうという。
これは吉備さんには願ってもない朗報だった。


    

夜中ばかりになるらむとおもふほどに、雨降り、風吹きなどして、身の毛だちておほゆるに、戌亥の方より、鬼、うかがひ来たる。吉備、身を隠す風をつくりて、鬼に見えずながら、吉備の曰く、如何なる者ぞ。我はこれ日本国の王の御使ひなり。王事脆きことなし。鬼なむぞうかがふや、と云ふに、鬼、答へて曰く、最も嬉しきことなり。我も日本国の遣唐使にて、渡れりし者なり。物語せむと思ふ。と云ふに、吉備、答へて曰く、逢はむと思はば、鬼の形を変へて来たるべしと云うに、鬼、帰り去りて、衣冠をして出で来たり、吉備逢ひぬ。鬼、まづ曰く、我はこれ日本の遣唐使なり。わが子孫、阿部の家はべりや。このこと聞かむと思ふに、今にかなはぬなり。我は貴位にて、来たりて侍りたりしに、この楼に上せられて、食物を与へざりしかば、飢え死にて、かかる鬼となりて、この楼に住み侍るなり。人を害せむ心なけれども、我が姿を見るに絶へずして、死に遭ひたるなり。我が国のことを問はむとするにも、答ふることなし。今日幸いに、貴下に逢ひたてまつりたり。喜ぶところなり。我が子孫は官位ははべりやと云ふ。大臣、詳しく有様を語るを聞きて、鬼、大きに喜びて曰く、この恩には、この国のことを皆、語りまうさむと思ふなり、と云ふ。大臣、喜びて、最も大切なりと云ふに、夜明けなむとすれば、鬼、帰りぬ。


第三段



翌日、唐人が食べ物を持って楼に来てみると、吉備さんが普通に元気だったのでやはり、こいつは曲者だと思い難しい本を読ませて間違って読んだら「やーい!下手くそ!」と嘲笑ってやろうぜ!と話し合っていた。このやり取りを鬼(阿倍仲麻呂)は聞いていて吉備にチクった。

「めっちゃムズい本を読ませて笑いものにするらしいです」「えー、鬼さんはその本のこと知ってる?」「無理っす、直接本を読んでるところを聞いてもらうのが1番なのですが」

そんなこと出来るわけないだろうと思っていた鬼だが、吉備は「飛行自在術」が使えるので(姿を消したり飛べたりするなら鬼の助けは要らないのでは……)



宮廷に行き博士が30人集まって読み合うところを一晩中聞いてきた。そして楼に帰ると裏紙を少し調達してくれと鬼に頼んだ。


    

その明日に、楼を開きて、唐人、食物を持て来たるに、大臣ことなくてあるを見て、唐人、いよいよ怪しむ。また、この日本の使ひ、才能人に過ぎたり。文を読ませて、その誤りを笑はむと云ふなり。このよしを、鬼来て告ぐ。吉備、いかなる文ぞと問ふに、鬼の曰く、この国に、極めて読みにくき文なり。文選と云ふなり。大臣の云ひてむやと云ふに、鬼、我はかなはじ。貴下をあひくして、かの沙汰のところへ至りて、聞かせむと思ふなり。それに楼を閉じたるは、いかがして出でたまはむすると云ふに、吉備の曰く、我は飛行自在の術を知れり、と云ひて、楼のひまより共に出でて、文選講ずる帝王の宮に至りぬ。三十人の博士、夜もすがら読むを聞きて帰りぬ。鬼の曰く、聞き得たりや。大臣の曰く、聞きつ。古き暦十余巻たづねて、与へてむやと云ふに、鬼、すなはち求めて与へつ。



第四段編集

吉備さんはカンニングした文選(例のムズい本)の最初の方を鬼から貰った裏紙に少しずつ書き、部屋のあちこちに配置した。その2日後、博士が1人文選30巻を携えて高楼に来て、ふと見ると文選の内容が使い回しの裏紙に落書きされているのでビックリし、「お主は何故これをご存知なのか?」と聞くと「あぁ、これは文選っていう、日本じゃポビュラーなお話なのさ。お?博士がお持ちくださったのも文選ですね、奇遇〜。私の知ってる文と同じかどうか比べてみますね!」と言ってまんまと貴重な文選30巻を手に入れたのであった。



    

吉備、これを得て、文選の上帙十巻が端々を三、四枚づつ書きて、楼の内にやりちらしつ。その後一両日を経て、文選三十巻を具して、博士一人、勅使として楼に来たりて、心みむとするに、文選の端々を散らし置きたるを見て、唐人、怪しみて曰く、この文はいづれの所にはべりけるぞやと問へば、この文は、我が日本国に文選と云ひて、人の皆口づけたる文なりと云ふ。唐人、驚きて、持て帰る時に、吉備の曰く、我が持ちたる本に見合わせんと云ひて、文選を謀り取りつ。



第五段編集

さて、唐人たちは吉備さんを何とかして陥れようと、今度は囲碁対決を考え出した。それも鬼が吉備に密告。吉備は囲碁を知らなかったので鬼に教わり、天井の格子柄を碁盤にみたてて一晩中練習を重ねた。



    

さて、また唐人、議して曰く、才はありとも、芸はあらじ。碁を打たせて心みむと云ひて、白き石をば日本の人に打たせて、黒き石を我ら打ちて、このかたちに着けて、日本の使ひを殺さむと相ひ議す。鬼、またこの由しを告ぐ。大臣、これを聞きて、碁とは如何やうなるものぞ、と訊ぬれば、三百六十一目あるものの、聖目九はべるなりと云ふ。大臣、夜もすがら、天井の組みれに向かひて、案じえたり。



第六段編集

次の日。吉備と唐人の囲碁対決が行われるが全然決着がつかない。そこで吉備の十八番の妖術、すなわちイカサマの術を使った。要は碁石をひとつ飲み込んで勝利を手にした。負けた唐人達はイカサマじゃないかと怪しみ、碁石を数えてみたところひとつ足りない。これは吉備さんが飲み込んだに違いない、そうに違いないからかりろぐ丸という、下剤を飲ませて腸の内容物を全て出してもらおうということになり、吉備真備は下剤を飲まされた。そして服も脱がされてどこかに隠していないかも探された。吉備さんのお腹がとうとうピーっ!となってしまい、もよおしてきた。このままでは碁石が肛門からとび出てしまう!そうしたらワシは終わりだ……( ´-ω- )フッ私の超能力はお腹に碁石を留めて置けるのだ!ふむし!

下痢便をいくら検査しても、碁石は出てこなかった。吉備さんの勝ちが決定した……


    

次の日、案の如く、この上手を遣はして、打たするに、勝負なし。その時に、吉備、唐の方の黒石を一つ盗みて飲みつ。勝ち負けを争ふ折り、唐人、負けぬ。怪しき事なりとて、石を数ふるに足らず。よりて占ふに、盗みて飲めるなり、と占ふ。吉備、大きに抗ふに、さらば、かりろぐ丸を服させて、致さむとするに、吉備、又ふむしとどめて、出ださず。ついに勝ちぬ。


1番左は、下剤で出した下痢便を顔を顰めながら碁石がないか探る唐人。真ん中は小袖を脱がされて下着姿の吉備真備。

色々唐人に試され、カンニングとイカサマで切り抜けた吉備さんは、ここから先の詞書もないけれど無事必要書類を集めて遣唐使の役割をはたし、日本に凱旋したのであった……

吉備さん、文選はともかく、碁石を飲み込んで勝った勝負の気分はいかがなものか?

史実では吉備真備が遣唐使として入唐したころ、阿倍仲麻呂は存命していたし、阿倍仲麻呂は唐の玄宗に使えたのち客死しています。あの有名な李白とも知り合いだったそうです。