11月3日 サン・ドニ バジリカ大聖堂とオランジュリー美術館 | けろみんのブログ

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旅行も残りわずか、どんどん美術館にいきたいけれど前の日はストラスブールに行き帰りが遅くて午後からの行動にしました。



この日は第一日曜日で美術館はどこも無料のようです。ただでさえ四連休で人手が多いので大変、そこでサンドニへ行くことにしました。「ルーブル美術館展」でここのお墓についての興味深い話を聞いたし、泊まっているホテルと同じ地下鉄路線なので行きやすいです。(と思ったけどYの字に分岐しているので一旦反対方面に行きそこで反対側ホームにいくと言う面倒があった)

サンドニの駅を出ると何でも売ってるような怪しい市場が延々続き、賑やかでした。古着からチキンロティまでなんでもとても安く売っていて、ドヤ街的な感じで何故か居心地良く、このまま鳥の丸焼きを買い食いしたいくらいだけど……

良いお天気に恵まれた日曜日のサン=ドニバジリカ大聖堂。

聖デニス(サン=ドニ)はパリ初の司教で250年に殉教しました。その時切断された首を持ってここサン=ドニまで来たところで力尽きたという謂れがあります。5世紀には大聖堂が立てられ巡礼地となりました。
 中世期には最も権威あるベネディクト派の大修道院(僧院のこと)となり、6世紀以後大多数の王と王妃がここに埋葬されています。フランスの歴史を静かに語っているような場所です。

12世紀の大修道院長シュジェが初期ゴシック芸術の傑作と呼ばれる建築物に変えバラ窓(円形のステンドグラス)、リブボールト(オジーブと呼ばれるアーチで強化した曲面天井)で色彩溢れる光で満たされました。今の姿になったのは13世紀でそれまでに戦争や革命により衰退し、1966年に修復が終わり今の形になりました。途方もなく美しいステンドグラスの数々に目を奪われます。駅前の闇市のような喧騒と裏腹に人少なく静まり返った聖堂でフランスの歴史を振り返ります。
ルイ17世の心臓です。ブルボン朝の礼拝堂にセノタフ(遺骸のない)墓標とともにあります。
がしかし、2004年にDNA鑑定にて10歳でなくなったルイ17世の亡骸を特定できたので、ここに埋葬されたそうです。これで家族揃ったわけですね。
尚Wikipediaで「ルイ17世」で探して読むとかなりの確率で鬱になるのでメンタルの弱った時は読まない方が良いと思います 

ステンドグラスはほとんどが19世紀に改修したもので、奥の大バラ窓の1箇所のみシュジェの頃のものがのこっているそうですが、とにかくほぉぉーっと眺めていてどれかわかりません。

バジリカ式聖堂とは大理石の柱ど木製の天井で建築された、主に巡礼地となった教会に対して用いる言葉です。

なんと6世紀の王朝からほとんどの王朝が特権と、正統性の証明のためにこの教会を墓地としています。聖徳太子の頃からですので日本と歴史的には同じくらいの年数を経ているような感覚でしょうか。

私が1番見たかったお墓はこの、アンリ二世とカトリーヌ・ド・メディシスの祈祷像・横臥像(見えない)です。カトリーヌ・ド・メディシスはアンリ二世の死後この祈祷像、腐敗していない生身の人間のような横臥像、「死後8日目の遺体のように」と注文をつけて作った腐敗した死体を模した像を作らせています。
最後のひとつはルーヴルにあるので次の日に行きますがこの祈祷像からは人間かくあるべき、という理想を形にしたようなテーマが見えてきます。
ここでは上手く見られない横臥像のほうは、今息を引き取ったばかり、皆祈りを捧げて欲しいという願いを込めて作らせたのではないかと思います。

その後パリ中心部へ行き、オランジュリー美術館へいきました。
有名なモネの「睡蓮」のパノラマ展示、無料デーの割に人が少なく感じました。
オランジュリーという名前は、元はここはテュイルリー宮殿のオレンジ栽培の温室があって、モネの「睡蓮」連作のために整備したそうですね。その後個人コレクションの散逸防止に所蔵品を増やしたとの事。2006年に新装したので、まだまだ綺麗です。人生半世紀も生きてますとモネ、ゴッホ、ピカソ、あたりは見飽きてきていささか食傷気味ですがルノワールは飽きません。何故かしら、私はどうも風景画が苦手のようです。
こじんまりとした可愛い美術館で、モネ、ルノワールなどの優しい作品に包まれてこの日の鑑賞を終え、ホテルに帰りました。


何があろうともどこを見ても美しいパリ。特にこんな夕暮れは……また行きたいなぁ