自分語りです(Eテレ ドキュランド『ポートレート −拒食症を生きる−』を見て) | 年下フランス人夫と保護犬との日々

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ごめんなさい、久しぶりのブログなのに自分語り、というか、メモしてます。

あまりにも衝撃的なドキュメンタリーだったので・・・

 

 

今日はEテレのドキュランドで放送していた「セルフポートレート」について

 

これはノルウェーの写真家レネ・マリー・フォッセンの生涯を描いたドキュメントだ。

 

彼女はノルウェーの母親の実家で生まれ育った。

母親のトーリル、父親のゲイルとともに過ごした幼少期。

 

いつまでも大人になりたくなかった、

思い出を捨てたくない、楽しかった子供の頃のままでいたい。

幼少期の彼女の家族の楽しそうなホームビデオが流れる。

 

このような10歳らしいというか、可愛らしい理由で彼女は成長を止めるために食べることをやめた。

 

しかし、彼女の踏み込んだ拒食という階段は、彼女が想定したよりもっと闇が深く、抜け出すことができない沼のような病気だった。

 

拒食症になってから、数度死のふちにたったという彼女だが、

死にたい、と思ったことは一度もないという誇りを持っている。

 

それはカメラと出会ってからより確固たるものになった。

彼女は愛おしい瞬間をそのままに、時を止めておく手段の写真に気がついたのだ。

 

今までは旅先での人々のポートレートを撮っていたレネ。

彼女は「ポートレートはその人そのもの。顔はその人の歴史だ。しわ、髪、傷跡の1つ1つに刻まれている。目の表情や陰影にも」と言っていた。

彼女は写真を通して、人々の人生に興味を持ち理解しようとしていたのかもしれない。

 

それは自分自身も数々の辛い経験してきたから。

 

 

ある日、廃墟での撮影中、自分自身のポートレートを撮ることを思いつく。

つまり、拒食症である自分を写真として残すことを意味する。

 

拒食症を公表するのを嫌がっていた彼女だが、この廃墟には人が必要、という理由。

もしかしたら、傷み、ボロボロになっている廃墟に自身を重ね合わせて、表現がしたくなったのかもしれない。

 

 

それらの写真がノルウェーの巨匠モルテン・クログウォルの元へ届き、大絶賛を受け、個展を開くことになる。

モルテンと関わるようになり、個展について相談し合う姿には、その前に見ていたレネとは全く違った様子だった。

自分の意見を大きな声で伝え、はっきりと、笑顔さえ見せていた。

 

モルテンは彼女の気持ちを感じ取ったのか、写真家のレネとして接し、個展に向け準備を進めていく。

その際、彼が発した一言が物語っている。

「病人だから甘いこと言った?それは作家に対する侮辱になる。そんなことをしたら私もおしまいだ。」

 

自分自身のポートレートを見て、「この写真怖いでしょ」とスタッフに聞くのは自分がそう感じていたからかもしれないが、

写真家として自信のついた彼女は、拒食症である自分が写った写真にさえ、痛みと美、失った日々を感じ取っていた。

この頃からだろうか、彼女の中で拒食症のレネから写真家のレネに変わっていったのだろう。

 

 

 

結果、この個展は成功を収める。

涙ながらに写真やレネと巨匠の会談をきく人々。

 

このとき、レネはどう感じていたんだろう。

拒食症患者としてではなく、写真家としての実感を感じていたはずだ。

 

写真展にきた人々は彼女の写真に拒食症にまつわる感情を抱く。

それはごく自然なことであり、人生の闇や影を写しているから。

しかし、それと同時に彼女が長年にわたって拒食症とともに生きてきた強さ、そして美しさが宿っている。

彼女はそれを感じとって欲しかった。

 

 

 

その後、北欧最大の美術館での写真展に呼ばれることになったレネ。

 

ところが、この写真展が決まった夏に彼女は交通事故で首を痛めてしまい、

そこから思うように写真の撮影を行うことができなくなる。

自分の存在価値を見出していた写真ができなくなると彼女の気持ちは次第に不安定に。

 

 

そして、

打ち合わせの際、美術館の責任者が発した「あなたの写真で拒食症の怖さを伝えられる」の一言に

「私は病人としてではなく写真家として注目されたい」といったレネだったが、

注目された理由が拒食症だったからではないか、と考えたレネは

拒食症であることが自分のアイデンティティーと考え始める。

 

さらに精神的な不安定さが増し、次第に死にたいという気持ちさえ芽生えてしまい、凍死を試みてしまう。

 

 

心配をした両親に半ば無理やりに入院させられ、入院当初は何も選択肢のない生活と言いつつも

次第に回復したレネは1年で退院。

 

事故以降、カメラと触れ合うことはなかったものの、

医療スタッフに見せられた絵画に自分の写真と同じような感覚を抱き、写真撮影を行えていた時期の楽しい感覚を思い出す。

 

 

 

 

 

 

拒食症になる人々はいわゆる認知の歪みというものが存在していると言われている。

ボディーイメージの歪み、自己否認の歪みなど。

 

多くは知らないが、拒食症がアイデンティティーとは彼女の両親は全く考えていないだろう。

しかし、彼女、もしくは、彼女にとって遠い存在である、彼女を全く知らない私たちに取っては拒食症のレネと捉えてしまっている、かもしれない。

 

写真家として自信がつき始めた頃のレネはこれを喜ばなかった。

しかし、精神的に不安定になると、拒食症をアイデンティティーと考え、それを失った時の不安さえ考えるようになってしまった。

 

つまり、彼女自身、彼女を否認、彼女の価値について誤った理解をしていたのだ。

 

それの原因は?

 

冒頭に小さいころ、楽しかったから大人になりたくなくて食べるのをやめたと発言していたレネだったが、

途中、完璧ではない自分に嫌気がさし、食べる気にならず、食べるのをやめたとの発言もある。

見守られたかったのに、孤独が深まっただけ。

 

初めての個展で母親に自分を恥じる必要がないか聞く姿はまるで少女のようだった。

 

彼女は、ただ、自分が完璧でなかったが故に、いつかは誰からも愛せれず、忘れられてしまうと感じたのかもしれない。

彼女は写真家としての自分に自信を持てていたが、写真家ではないレネには自信を持てていなかった。

 

難民の子供たちを撮ることに写真家としてのやりがいを感じたことさえあったのに

今は何もできず、食事の量を減らすことしかできない自分。

 

 

写真を撮れなくなったことにより、彼女はまず、写真家としての彼女の人生を失った。

自分が初めて、自信を持って携わることができた写真。

辛い過去の自分さえも曝け出し、それでもなお自信を持つことができていた写真。

 

故に、写真家でなくなった今の自分は生きる理由さえ見つけられなかったのだ。

 

 

だが、その状況から救ってくれたのも写真。

写真家でもなく、拒食症の象徴としてでもなく、ただのレネとして触れた写真。

 

 

彼女は成功し始めた写真家としての自分にも完璧を求めてしまっていたのかもしれない。

彼女は、なんでもないレネとして、ただ、家族や友人に愛されて自由に幸せに過ごしたかったのに

自分に完璧を求めすぎてしまった。

 

 

彼女が美しいと感じる詩。

「命とはそこにあるが故に愛されるもの。難しきは命が望むまま自由に生きること。」

 

人言は皆幸せになりたい、けどうまくいかない。人生は難しいから。

人生は素晴らしく、謎に満ちた、壮大な贈り物。

 

彼女は退院した後にこのように語っているが、

こう感じられるようになった彼女は、将来、拒食症や写真家から逃れて過ごせていたのではないかと感じる。

 

レネは退院した7ヶ月後に心不全によりこの世を去った。

 

「自分自身の怒りや不安を全て出す必要がある」と言っていたレネは

自分に必要だったのは彼女自身の顔を映し出すことだったとわかっていたのだと思う。