友野雅志の『 Tomoの文藝エッセイ』

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下は、満島ひかりがうたう中島みゆきの「ファイト!」である。


現代詩は中島みゆきをこえるだろうか、という題にした。理由は、人々の口から出る言葉も、詩を書く多くの人の口から出る言葉も、中島みゆきの言葉と同じ感性になったのかなと思うからである。

下は、中島みゆきの「ファイト!」である。長いが全歌詞を引用した。


あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのやと書いた
女の子の手紙の文字は とがりながらふるえている
ガキのくせにと頬を打たれ 少年たちの眼が年をとる
悔しさを握りしめすぎた こぶしの中 爪が突き刺さる
私 本当は目撃したんです 昨日電車の駅 階段で
ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
私 驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
ただ恐くて逃げました 私の敵は 私です
ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて魚たちのぼってゆく
勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて あいつは海になりました
ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき
ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ
ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく
ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ
ファイト!

中島みゆきの「ファイト!」をわたしは意識してここに引用して、現代詩と向かい合わせようとしているのだが、それは単純な理由である。
ひとつ、詩は読み手に、小さいあるいは大きい衝撃を与えるはずである。
ふたつ、その衝撃は、書き手に先ず最初に、それから読み手に与えられるものだから、書き手は自分の詩に衝撃を受けているはずである。
みっつ、その衝撃の中身は真実あるいは真実を孕むフィクションに基づいているはずで、それが読み手に共感を与えるものである。
このことは詩を読んでいて感じることである。だから、わたしは、時に、詩を読む時に「ファイト!」のメロディーにのせて読む。メロディーにのらない詩は再度よむ。そして、その詩の感性の独自性を知ることができる。
わたしは何処の同人にも入っていないし、何らかの賞をほしいとも、詩誌に載せてほしいとも思っていない。先ず無理だろうが。わたしが不満足な詩を書くしかなくなったら、書くのを止める時だ。それまでわたしはわたし自身のために書くだけだから。
ここ何ヶ月か現代詩を読んだ。気になった詩人は何名かいる。しかし、それで改めて詩集を買い求めたのはふたりの詩人だった。わたしの考えは、どう判断しても私個人の好みによるものである。
しかし、現代詩手帖の詩を読みながら、それらの詩を、中島みゆきの「ファイト!」のメロディーで読んでいて、感じたことがある。
何年か前、荒川洋治氏がこう語った。
「いろんな詩を選んでくるときにぼくが感じるのは、田村隆一や鮎川信夫や黒田三郎や吉本隆明、石垣りん、鈴木志郎康と詩人たちはみな、その人の代表的な詩を書いています。伊藤比呂美、井坂洋子などもそう。でもそのあとこの三十年くらい現れた詩人たちはどうか。いろんな賞をもらい、名前は高まったかも。しかし、代表作がない。一つもない人も多い。論じあうときにみんなが引用してくるような作品がない。これは近年の書き手の決定的に弱い点。」
そうなのである。現代詩の詩人たちは、このひとのこの詩のこの行は時代をえぐっているという詩を書いているのだろうか、という提言である。
多分、多くの詩人ーー詩集を出しているひと、詩誌に書いているひとーーは、これは読み手に問題がある、あるいは、時代が書き手と読み手の間に溝を作ったというのではないだろうか。
わたしはどうも、そうは思えないのだ。詩は、先ず書き手が最初の読み手であり、もしかすると、他の読み手は存在しないかもしれないのが詩だと思う。
すると、現代詩のなかで「中島みゆきをこえるのは?」という質問への答えが出てくるように思える。

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題名を「言葉になにをもとめるか」にしたのは次のような理由による。

わたしたち、書き手も読み手も、芸術に生きることで大きい意味をもつものを求めているだろうか、ということである。詩によって生きることができたということはよく聞くし読む、それはそれで良い。その書き手が言葉による作品を作ることで希望を得たのではないだろうか。画家なら筆を持ち色を重ねることの喜びで生きる力を得たのと同じである。また、音楽家なら、どんなに聞こえなくても、自分の作品を想像して希望をもったのに近い。

では詩を書く人は何をもとめるか。時間の壁を超えた言語のひびきを表したい、あるいは、時間も空間もこえたひとりの人間の内側を表したい、あるいは、今目にしている世界を自分の視点で明らかにしたい、あるいは、世界の情勢や時代や土地に関係なく、ひとりの人間が生きる、そして死ぬことを表したいというところでないだろうか。あとひとつ加えるなら、人類のいない視点で宇宙とこの世界を書いてみたいというのもある。

ここ数年の年末の現代詩手帖の年鑑と一月号の現代日本詩集を読んでいて、さいしょに思ったのは、書き手は読者を必要としているのだろうかという疑問である。現代詩の書き手には朗読や音楽家とのステージを行う方もいる。しかし、その時、聴き手を必要としているのだろうかという疑問は強く残った。

昔、今でもそうかもしれないが、ミュージシャンは毎晩のライブでお客さんに喜んでもらえないと次のステージがないし、好評なら大きいステージ、あるいはツアーとかの現実的な収入の話しにつながった。

現代詩の作者はたしかに朗読会やミュージシャンとのコラボを行うが、そこまで、そのことに生きていけるかどうかはかかっていない。あるいは、そこで生きていくことは困難な状態だというべきだろう。

では、そこで、書き手はどうして書くか。読み手はどうして読むか。いろいろな評論を無視してわたしの思うところを書くと次のようになる。

聴き手は、本当に極一部以外、その人生になんの影響も与えないききかたをする。さもないと、人生のこの世界での道から外れるからだ。短い楽しみである、映画やミュージカル、サーカス、展示会のような。一部、その生き方に影響を受けるような向かい方をしている聴き手がいるが、それはすでに書き手に半分入っていると考えた方がよい。

かれらはなにを求めているか。日常生活と少し違う空間、声、感覚である。

それでは書き手はどうして書くのだろうか。書き手は聴き手や読み手と違って、自らの内側から出てくる言葉を、それが全世界と釣り合うものだと考えている、あるいは思いこんでいる。

画家はこれはわたししか描けない絵だと思う、作曲家はこれはわたししか作れない曲だと思う、詩を書く人はこれはわたししか書けない詩だと思う。そうでないと、魂をこめて描けないし、魂の叫びを楽譜に書き込めないし、自分のすべての感覚、思い、認識を言葉にすることはできないだろう。

さて、こう結論づけると安易だろうか。詩の書き手はそこをとおして人間の生と死がすべて見えると考える。すべてでなくとも、大切なところが。
また、読み手は、自分の生と詩のすべてを見たいと思うこともあり、それらの一部を感じたいこともあり、それは時によって、読み手の状況によって変わる。

書き手と読み手が言葉に求めるものは、その時その時、状況によって違ってくる。

そのとき、書き手は言葉とどのように繋がるのが良いのだろうか。わたしは、読み手も、またビジネスとして成立している詩誌も、していない雑誌も、いろいろな同人の集まりも、全ての評価から離れたところで、ひとり言葉と繋がることが最善の方法であるように思えてならない。

これは、同人誌の意味を薄めるし、詩の専門誌の存在価値を認めないということではない。もし、同人誌で、あるいはその詩の集まりで価値を判断する個人がいるなら、それはよした方が良い、また、詩の専門誌は自分たちが詩の評価をするということをできるだけ避けた方が良い、とかんがえる。

言葉は、発する者と聴く者とのできるだけ直接的なつながりでながれた方が良いと思うからだ。愛してる、これはやはり直接、誰も居ないところで語りたいし、聴きたい。

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碁には定石がある。それをうつと間違いが少ないという教本である。書店で、碁の打ち方に関する本をいくつか開くとわかる。それは、これまでの歴史で、これは間違いが少ないという教えである。

俳句にもそれがある。いくつかの主宰あるいは俳句誌の責任者が書いた本を読むとそれがある。

例えば、次のような感じである。
*季語は一句ひとつまで。
*ひとつは季語を入れること。
*句読点は入れぬこと。

こういうこまかいルールに従うと、学ぶ方も楽しめるし、ルールに従うことが大切になると句を詠む時に楽である。添削する方もしやすいーーーーとわたしは思う。

この元を作ったのは正岡子規であり、高浜虚子である。負けず嫌いの正岡子規は政治家、哲学者、小説家でトップになれないとわかり、ならば、と選んだのが俳句である。初期の子規の俳句は江戸の頃の俳句と変わらない。どこにも新鮮さはない。
例えば次のような句である。

蓑笠を蓬莱にして草の庵


このころ、子規は「写生」はひとつの方法であり、その方法があるだけでは良い俳句の条件にはならないと気づくことになる。そこで季語に出会う。ただし、子規にとっては季語は俳句を装飾する言葉の選択にすぎなかった。彼は「実景を修飾する」ためだと書いている。

この時、子規は理想に生きることを諦めたのではないか、そこから近代俳句は始まったのではないか、とこれまでと違う視点から考えても良いのではないだろうかと思う。

わたしたちは子規のところまで戻っても良いのではないだろうか。

ここに上げなかったのは、俳句は五七五の音の並びを「基本」とするということであり、上げる意味がないと思ったからである。

先ほどあげた俳句のルール違反であるが、歴史的に有名な句人が行なっている。

*季語は一句ひとつまで。
目に青葉、山ほととぎす、初鰹
      山口素堂

これはどうだろう?ルールを破っているが、いいではないだろうか。

*ひとつは季語を入れること。
しんしんと肺碧きまで海の旅
       篠原豊作

この句に季語はない。しかし、それがこの句の質を落としているだろうか。

*句読点は入れぬこと。
夜のダ・カポ
ダ・カポのダ・カポ
噴火のダ・カポ
      高柳重信

句読点を入れぬことは、行替えもありえないことになる。しかし、上の句はどうだろう。

もともと字余り字足らずをゆるしている俳句である。このルールに意味があるだろうか。

最後に残るのは、五七五の音数のリズムだけである。それも八五五、五五七等当たり前になっている。

しかし、わたしは、五七五のリズムを守ろうとする意思は俳句にむかう人びと全てに生まれてくるだろうと思う。人類の歴史でリズムがのこり続けてきたことと、日本語の音律が五七あるいは七五を基本に成り立ち二千年をこえてきたことを考えると、五七五を守ろうという感性あるいは身についているものは最後まで残ると思う。

それを過去の日本語のリズムから確認しようとおもなら、時枝誠記の『国語学言論』と三浦つとむの『日本語とはどういう言語か』、菅谷規矩雄の『詩的リズム』をひらくとわかりやすい。

五七は、5.4.3の音節に別れ、七五は、7.4.3あるいは4.3.3.2の音節に別れ、それぞれの音節が同じ時間で発声されるので、そこに言葉のスピードの変化が現れ、その変化が五七あるいは七五を心地よい落ちついたものにしていると言うと簡略しすぎだが、今はそれでいいだろう。

この心地よさは言葉のリズムなので残り続けるだろうと思う。

現代俳句は、そのリズムを大切にすることだけが重要で、他は偶然の作者の個性、それには客観写生等の理念やいろいろなルールまでふくむが、それに気づくところまで、すでにきているのではないだろうか、と最近思う。



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前回は「間」について書いた。今回は、五七五の言葉と、その作品作り出す世界と作者が表現しようとした心象について考えてみたい。
「作者が表現したい心象」ということをテーマにした段階で、子規、虚子の「客観写生」は問題からはずしていることになる。理由は、「客観写生」とは理論的にはあり得ないと考えるからである。古い狩野派の絵も、そこにある象徴性を考えると「客観写生」とは言えない。レオナルドダヴィンチのコンテ絵も、作者の心が込められることから厳密には「客観写生」ではない。

では子規の俳句は?と考えてみると、やはり作者の心が表れているといえる。
例えば次の句、典型的な写生の句と言われる。

鶏頭の十四五本もありぬべし

「ありぬべし」の言葉は、「ーーーーあるなあーーーー」という心の思いを表現している。完全な「客観写生」の句とは言えないと思う。もちろん、「ありぬべし」の下五に作者の心は少し表されているだけだが。

形容詞、形容動詞はできるだけ使わぬようにーーーーなぜならそれらは作者の心を表すから、と言われてきた。ならば、助動詞、動詞も、形容詞や形容動詞ほどではなくても作者の心を表していることを考えるなら、作者の自分の心象を表しているとかんがえるべきである。

ならば、全て名詞で作った句の場合はどうだろうか。

目に青葉山ほととぎす初鰹

山口素堂の句である。青葉、ほととぎす、初鰹、季語を三つ使っている。季語であろうとなかろうと、名詞にも作者の心象を表す力、あるいは機能が必ずある。それがこの句が表現する作者の心である。「目に」の言葉は、「見える」という作者の心象を表現しているので、確かに、重要である。季語三語との表現に力を与えるのはどちらかと問うと、季語三語が大きいように思う。

青葉山ほととぎす初鰹かな

としても句が与える印象はさほど弱くならない。もちろん音とリズムはだいぶ劣ってしまうが。

これはどうだろう。

一心安楽琉球鳳凰木散華

夏石番矢の句である。抽象あるいは心象を表現する名詞が入っているが、ひとまず全て名詞である。しかし、読み手は作者の表現しようとしている心象を把握できる。

名詞もまた作者の心を表現するということである。

最初にあげた「鶏頭の十四五本もありぬべし」をこうしたらどうだろう。

曼珠沙華十四五本もありぬべし

鶏頭と曼珠沙華のわたしたちに与える感じの違いがそのまま作品の表す風景の心象の違いになっている。

名詞もまた作者の心を表現するということである。すると、完璧な客観写生は、言葉を使っている限りあり得ないということになる。

どうだろう。言葉を使う作品である限り、完璧な客観写生はあり得ない、この地点から俳句の歴史を考えると、もっとわかりやすい歴史になるように思う。

最後に、高浜虚子が大正二年に詠んだ句をあげよう。

春風や闘志いだきて岡に立つ

子規を継いで、子規よりも客観写生を強調した虚子の句だが、虚子もこうした句が好きなところがあり、しかしホトトギスの姿勢として客観写生という理念を旗にしたのではないだろうか。これはわたしの想像である。




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前回、「俳句のひとつの要ー切れ」という題で、俳句の作品としての重さあるいは深さは、作品の切れによるということを書いた。
今日は、どうして切れがそれほど重要か、考えてみたい。

切れを◼️で表すと、俳句の切れには下の五種類がある。
①XXXXXXXXXXXXXXXXX◼️
十七音の後に切れがある場合である。
XXXXX◼️XXXXXXXXXXXX□
最初の五音の後に切れがある場合。最後にもう一度切れがあることもあれば、ない場合もある。
XXXXXXXXXXXX◼️XXXXX□
最初の五音と七音の後に切れがある場合。最後にもう一度切れがあることもあれば、ない場合もある。
④XXXXX◼️XXXXXXX◼️XXXXX□
最初の五音と次の七音の後に切れがある場合。最後にもう一度切れがあることもあれば、ない場合もある。
XXX◼️XXXXXXXXXXXXXX□
 XXXXXXXX◼️XXXXXXXXX□
五七五の上五の間、中七の間、あるいは下五の間で切れている場合である。

それぞれを①「切れなし」あるいは「一物仕立」、②「初句切れ」、③「二句切れ」、④「三段切れ」あるいは「三字切れ」と呼ぶ。「三段切れ」は名詞で切れ、「三字切れ」は名詞以外で切れている場合である。⑤「中間切れ」と呼ぶ。

名前は良いとして、例にそれぞれの切れの句を有名な句から見てみよう。

①切れなし
流れゆく大根の葉の早さかな□    虚子
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり□   蛇笏

②初句切れ
荒海や◼️佐渡に横たう天の川□  芭蕉
バスを待ち◼️大路の春をうたがわず□  波郷

③二句切れ
山路来て何やらゆかし◼️すみれ草□   芭蕉
柿くへば鐘が鳴るなり◼️法隆寺□  子規

④三段切れ、三字切れ
目に青葉◼️山時鳥◼️初鰹□   素堂
初蝶来◼️何色と問う◼️黄と答う□  虚子

⑤中間切れ
万緑の中や◼️吾子の歯生えそむる□  草田男
地の涯に倖せありと来しが◼️雪□   源二

上の①から⑤までの句を声に出して読んでみると気づくことがある。
それは次のことである。
①切れでは間があく。句の最後の切れでは余韻の沈黙がある。
②五七五を読んでいく時、上五の五音より中七の七音は少しスピードがはやくなり、最後の五音でまた少しゆっくりになる。中間切れの場合は、中七の中間で切れている場合は切れまでが上五のようなスピードになり、下五の中間で切れている場合は切れまでが中七のようなスピードになる。

この「間」と「スピードの変化」が俳句に幅と奥深さを与えている。

例えば、「荒海や◼️佐渡に横たう天の川□ 」の場合、最初の間◼️に来るまで読者は「荒海や」の上五から荒海を思い浮かべる。その荒海は読み手の経験した荒海であるかもしれないし、写真で見た荒海かもしれない。あるいは、船酔いの記憶かもしれない。
しかし◼️のあと、「佐渡に横たう」と目に入ってきて、佐渡が見え、「天の川」で夜空に天の川が見えるのである。
句の最後に□の間で、「荒海や佐渡に横たう天の川」の句全体が読み手の感性と記憶と想像力に働きかけ、読み手によって深さは違うだろうが、感受性に何かを刻むのである。

その刻むものは、「荒海や佐渡に横たう天の川」を間をおかず、スピードの変化もなく読んだ時より、幅ひろく深くなっているはずである。

またスピードが一度早くなり、下五で遅くなるのは、そこで句の世界に読み手を包み込むことになっている。

私たちは、詩の行間を読むと言い、小説の文章に書かれていないことを感じると言う。短い俳句の場合は、その行間や文章に書かれていないことを表現しているのが間であり、それを作り出しているのが「切れ」である。

俳句は「切れ」に、文字に表されていない情景や感覚、思いを込めることが要になる。

それは読み手が想像しないでも良いような明らかなものでは物足りず、全く想像できず感覚が繋がらない場合は句全体の世界を壊してしまう。

この切れによる前後の言葉の離れ具合と意外性がもたらす、その句の世界の大きさと統一感と意外性の心地よさが俳句の世界の心地よさかもしれないと思っている。




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俳句の素人が何を書くか、とお叱りを受けるかもしれないが、俳句を書いて読んできてこれは要のひとつだなと思うことがあるので、書いてみようと思う。

先ず、下の桑原武夫が並べた句を読んでみよう。桑原武夫が「大家と素人の区別のつかない俳句界」「平板な大衆性を脱出しえない俳句」と俳句について書いたのは昭和二十一年である。それ以後この問題提起に対して誰が何を書いたか記憶から綺麗に飛んでいる。年月と病気が原因だが、だからこそ今、自分で考えてみたい。

桑原武夫が「俳句第二芸術論」を唱えた時、彼は無意味な学校教育での俳句教育はやめるべきだとまで言った。私は賛成はしないが、俳句とは何か教えず、五七五で書きなさいという教育は本質に届かまま勘違いをさせる原因だと思う。

また、俳句に作者の説明を加えるのも不用だと思っている。書き終わったら読者に理解は任せるべきだと思うからだ。

私の俳句の定義は次の通りである。
①基本、五七五。但し、字余り、字足らずはあり得る。
②よって、尾崎放哉のは俳句でなく一行詩と考える。最近の句誌に一行詩が多いのは私は残念である。
③季語は必ずしも必要としない。季節のものが変わりゆく中で、季語は増えてきた。この言葉を季語と認めるかどうかという判断が必要なら、どちらでも良いというのが私の考えである。

さて、桑原武夫は専門家と一般人の句、それぞれ十句と五句を並べ、読者が判別できるか、できないとしたら、それが俳句の作句に専門性がないことであるを示すと書いた。

1.芽ぐむかと大きな幹を撫でながら
2.初蝶の吾を巡りていづこにか
3.咳くとボクリッとベートヴェンひゞく朝
4.粥腹のおぼつかなしや花の山
5.夕浪の刻みそめたる夕涼し
6.鯛敷やうねりの上の淡路島
7.爰に寝ていましたといふ山吹生けてあるに泊まり
8.麦踏むや冷たき風の日のつゞく
9.終戦の夜のあけしらむ天の川
10.椅子に在り冬日は燃えて近づき来
11.腰立てし焦土の麦に南風荒き
12.囀や風少しある峠道
13.防風のこゝ迄砂に埋もれしと
14.大揖斐の川面を打ちて氷雨かな
15.柿干して今日の独り居雲もなし

さて、この十五句から一般人の五句を見抜けるだろうか。
2.6.9.10.12.13.14.ーーーーどうしてもあと二句判断できない。

2.初蝶の吾を巡りていづこにか
6.鯛敷やうねりの上の淡路島
9.終戦の夜のあけしらむ天の川
10.椅子に在り冬日は燃えて近づき来
12.囀や風少しある峠道
13.防風のこゝ迄砂に埋もれしと切れ字
14.大揖斐の川面を打ちて氷雨かな

特徴ある3と7はわかりやすく、あといくつかの句は判断できたというより多分で選んだ。それでもこの七句が悩ましい。この中に専門家の作品でない句が二句入っているわけだ。

答えは、6と9である。ーーーー理由を考えてみると、6.鯛敷やうねりの上の淡路島、は「や」の切れ字を使っているが、意味は切れておらず、「切れ」が生きていないこと。9.終戦の夜のあけしらむ天の川、は「あけしらむ」と「天の川」の間に間があるが、上五七と下七の間に意味やイメージの距離がなく、句全体がひとつの流れになっていること。これが判断の基準であろうか。

「切れ」について弟子の土芳の『三冊子』を通して、芭蕉はこう語っている。

「切字なくても切るる句あり」
またそれは切れ字を用いていても切れていない場合もあることも意味する。
「発句の事は、行て帰る心の味也。たとへば『山里は万歳遅し梅の花』という類也。『山里は万歳おそし』といいはなして、『梅は咲り』という心のごとくに、行きてかへるの心、発句也。ーーーー先師も『発句はとり合物と知るべし』と言へるよし」

切れによって、違う二つをひとつの句の世界で味あう妙、それが俳句の要のひとつのように思う。

だいぶ昔に書いたが、修正しないことにした。



今回、今まで五月雨式に書いていた野村喜和夫論をひとつにしようと思った。というのは、彼は、現代詩界(もしあるなら)で良く発言し、良く『現代詩手帖』に評論を書いていることがわかったからだ。そして、本質的にわたしと考えるところと違いがあると思うので、それをまとめておこうと思った。


私は、34年ぶりに手に取った『現代詩手帖』2011年7月号で、野村喜和夫氏の発言に驚いて、野村喜和夫氏の名前を知った。

その時の巻頭座談会での発言であるそして、私は下の文章を書いた。
・・・・・・・・・詩に道徳はいらないけど、書き手は、読み手がいるということを忘れてはいけないと思う。それが詩人のモラルだと思う。今回、座談会の野村氏の発言に疑問をもった。野村喜和夫氏が、「(今回の震災に対して)日本ではナショナルな方向に出るんです。『みんなで一つになろう。』とか。・・・・・詩はそれに対しても抵抗体として存在しなくてはいけないという思いがぼくなんかにはあります。・・・・・」と話しだし、討論は、「抒情」がモラルと結びつき、抒情がない詩が排除されてきた・・・・・・という方向に向かっている。多分、戦前の日本抒情派と同じ過ちを犯すのではないかと怖れているし、言葉を楽しむ詩に自信を持てないために、ある種の被害妄想に陥っている気がする。・・・・・・・そして、おとなしい詩人を想像していた。


それが、思潮社の『詩の森文庫』に『現代詩作マニュアル』という名で、多くの先輩たちと並んで書いているのを見つけ、早速読んでみた。


Ⅰ.言語学の言葉と詩の言葉


『現代詩作マニュアル』についての感想は、『言語学の言葉と詩の言葉』(http://ameblo.jp/tomolitessay/entry-11430518376.html )に書いた。


・・・・・・・・『現代詩作マニュアル』は、新しい詩の読者のために、新しい詩の書き手のための本である。そこには、曖昧性、アナノジー、イメージ、隠喩と換喩、エクリチュール、リズム、シニフィアンとシニフィエと、技術的な説明と詩論を読む時に知っておくことが必要な言葉の説明がある。詩人が、詩論で言葉を扱う時、言語の専門家ではないという遠慮からか、哲学、言語学の専門家の理論をそのまま適用することが多い。ソシュールであり、フランス言語学的文学論である。だから、エクリチュール、シニフィアン、シニフィエ、が溢れて来る。

そして、フランス語を並べて、作者は「詩の言葉」について、何かを述べた気になる。下の野村喜和夫氏の『現代詩作のマニュアル』の一節のように。 ・・・・・・・・

「そういえば、『天才とは自在に取り戻された幼年のことである』とフランス近代詩の祖ボードレールは言いました。さすがにすごい直感です。言葉はシニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の不可分な一体であり、かつ、それは恣意的な結びつきでしかないというのがソシュール以来の常識ですが、・・・・・・」(『現代詩作マニュアル』)


しかし、そこには、詩の言葉については何も述べられていない。言葉一般についての説明である。言語学としては、ソシュールの言葉はある程度正しい。しかし、哲学に来ると、Aさんが言う「鳥」と、それを聞いたBさんが思う「鳥」は、「鳥」というイデアとしては同じだが、全く違う鳥をイメージする、どうして「鳥」というイデアが人間に共通に理解できるか、が問題になる。この段階で、ソシュールの「不可分な一体」が崩れる。それが詩になると、Aさんの詩では「鳥」は「死を待つ不吉な烏」であり、Bさんの詩では「幸運を運ぶ白鳥」であるということがある。ここでは、シニフィアンとシニフィエの一体は完全になくなり、作家の世界の特別な「何か」を表現するものになっている。その「何か」が詩人の言葉を選ぶ時の思いである。しかし、その部分は消え去り、言語学の説明で終わる。これが、かれの現代詩理解の障害、鮎川信夫氏、吉岡実氏、荒川洋治氏等の理解に誤りがあるのは、この言語をラングとしてひとつの意味を表すととらえるところと、そのことによる詩の読解力の問題だと思う。このことは、既に『野村喜和夫論①ー④』で説明した。


Ⅱ.野村喜和夫氏の戦後史の捉え方


また、野村喜和夫氏の『現代詩作マニュアル』に書かれている戦後史の捉え方に、とても強い違和感を感じた。そのことについては、下のように書いた。


・・・・・・・・戦後詩を荒地派から考えるという一般的な捉え方をしている。しかし、そこにこういう文章がある。「それにしても、戦後の日本現代詩の出発がこのような(荒地派の詩)暗い基調に覆われていることには、あらためて驚かされます。社会一般のムードとしては、当然のことながら復興に向けて次第に明るさを取り戻しつつあったのですから、「荒地」派のペシミズムとその社会的孤立はいっそう際立つといえましょう。・・・・詩は時代を映すだけではなく、時代に対して、隠れている部分をあからさまにすることでノーを表現することもある。まさに、荒地派は、戦前のモダニズムと抒情派が戦争賛美の作品を書いたことへの、同じ詩人としての苦悩があった筈である。それは、荒地派の評論を読めば一目瞭然である。
黒田喜夫、谷川雁の紹介の後、吉岡実によって「(詩は)みずからの豊穣な未知の領土を自覚するのです」とある。そこで、荒地派の呪縛から解放されたと著者は考える。


さて、吉岡実氏の何が次の時代を作る新しいものだと考えているのだろう。吉岡実氏の特徴は、そのシンボリズムであって、思想ではない。『現代詩作マニュアル』(http://ameblo.jp/tomolitessay/entry-11430513753.html )


その後、清岡卓行、大岡信たちの時代を通して、天沢退二郎、鈴木志郎康での作品について、ミシェル・フーコーを引用しつつ、「出会いの場を言語以外にもっていないという詩作の原理的基盤を主張しています。イメージから言語へ。そう、詩はついに、みずからを組み立てる素材であり、あるいは自らの肉体そのものである言語を問題にしはじめているのです。」とある。そして、それが、渋沢孝輔、入沢康夫等によって、飽和点に達する。
その後は、荒川洋治『水駅』を例として詩の通俗化についに語っている。こうである。「荒川洋治は戦後の生まれであり、もちろん戦争は知りません。だから、『国境』も『復員』もフィクショナルなものにすぎず、戦後詩の第一世代がもちえたような体験的リアリティとは無縁です。」
そして、2001年になって著者自身を含む詩人たちが「通俗化とは別の方途、いうなれば吉岡実の死をひとつの始まりとするような詩のあらたな歴史を模索しています」となる。
ここで感じる問題は、荒川洋治の言葉を、通俗化と断定してしまったことでしょう。というのは、著者がその後の頁で、ほぼ同じことを詩の作成方法としてあげているし、いっているからである。・・・・・・・・・・


野村氏の言葉は荒川氏と同じところにいて、違うのは、荒川氏が言葉の世界でまとめ、野村氏はまとめきれない時があるほど感覚がはいってしまう時があるという感じがする。



Ⅲ.野村喜和夫氏の感性


私は、野村喜和夫氏の感性について、詩集『ZOLO』を例に、次のように書いた。


・・・・・・・・・この詩集(『ZOLO』)は始まりから最後まで、交われぬ人と人の姿である。あるいは、書き手が、話し手に選んだ虫とその虫を見る人間の姿、強姦する男と女の関係、死体と生きている人の関係、抱き合う男と女の関係、恋人とその恋人を追う男の関係、死者となる自分と生きている自分の関係、である。

一か所だけ、「男」の心がなごむところがある。それは、『平行の生』で、からだが骨が灰になって壊れて行く「男」と同じであろう。書き手の野村喜和夫氏が無意識に話し手に重なってあらわれていると考えてよいだろうと思う。

すれ違う霊柩車の死者が語るところからである。

「・・・・・しばらくこの光のなかにとどまり、この光をあなたと共有してどこが不都合なのでしょうか。

私は、あるいは妻も、心のなかで手を合わせ、するとその姿勢のまま、名状しがたい平安のなかに捉えられてゆくような気がした。その平安のなかでは、すべては許され、宥められ、融けてひとつの流れとなり、誰か意地の悪い者がナイフでその流れを切り分けても、すぐにまた傷のないひとつの流れに戻ってしまう。人生は永遠よりほんのすこし短いだけだ。・・・・・・・・・」(『光の成就』)

このことばに無理をさせず、自然に語るのが、多分、野村喜和夫氏の言葉の感性だろう。この『ZOLO』では、巻頭の『春の戴冠』で、バスの隣の席に座る女の子の描写、最後の『死者の砂』で死んだ母の最期を探す場面の表現、とかにあらわれている。これは、作者の感性が現れ、作者が、意識・無意識に関わらず、残したものである。私は、意識的に残したと思う。さもないと、詩集全体が冷たくなりすぎるのだ。

詩集と関係ないことだが、私の野村喜和夫氏という人は、最初『現代詩手帖』から受けた印象と、あまり違わないと思う。詩人の性質、感性は上のような素直な詩文にあらわれる、常識的社会人だと思う。それを、時にエキセントリックなほどに激しい言葉を使う詩人に変えるのは、野村氏にとって、現代詩の世界の要求に答える方法ではないだろうか。これは、想像だが、多分当たっている。そのことは、野村喜和夫氏の過去の詩作品から、考えてみたいと思う。


「私たち、芥をちりばめて狂い、

芥を

ちりばめて狂い、


ーーーおお空の息口、


春めき、ふぞろいな、

空の息口、ふぞろいな、

この土地の不思議なひだ、

浮浪川、

自生するままにそこに、私たち、芥をちりばめて狂い、


ーーー藁の女神は春スキー、


風が立ち働く、

記憶の輪がふわっとふくれる。


ーーー藁の女神は春スキー、

・・・・

このくるめきの奥はふかく、涼しく、

最後に

むなしさが輝度を得る。」(私たち、芥をちりばめて狂い・・・・)


この、多分三十歳前後に書かれた詩が、今の野村喜和夫氏の詩の感性と知性をそのまま表している。

リフレレィンを変化させながら使い、詩の場を作る。中原中也の抒情詩に近い。そしていて、そこに特別な個性を与えるための「不老川」、感性で選んだ言葉だが、あたかも知性が選んだように置かれている。ここは那珂太郎だ。そして最後の一行「むなしさが輝度を得る」、素直なままの感性を知性で表そうとした作者の気持ちが分かる。大岡信詩の一行と言われても納得する。これが、作者が達することができた80年代の詩である。

私は、野村喜和夫氏の言葉との関係は、もともと素直な感性によるものであり、それは今も変わらないと思う、『ZOLO』を読み返してそう強く思った。確信に近い。それを、野村喜和夫氏は、彼が考える「知性の言葉」に変えて行った。今回、散文詩のために変えきれなかったところが、長く残ってしまった。行分け詩なら、次の行でごまかせるが、散文詩でそれを行うと構成が崩れてしまう。それが、『ZOLO』の数か所にあらわれた。もしかすると、意識的に表したのかも知れないが。そして、それは、荒川洋治氏の感性と似ているのである。

詩人の感性が、ひとつの世界にいる時、その感性のあらわれ方は似てくる。もしかしたら、詩集出版社経営と大学講師と、現代ではあまり変わらない世界かもしれない。それよりも詩に違いを出すのは、詩人の個性的な感性であり、個性的な知性かもしれないと思っている。(『野村喜和夫論③ー知性と感性ー』(http://ameblo.jp/tomolitessay/entry-11458917359.html )


Ⅳ.野村喜和夫氏の言葉の選択


ところが、思潮社『野村喜和夫詩集』の評論、エッセイを読んで、『散文センター』を読み進めているうちに、私の判断と違って、野村喜和夫氏は、すべてを強い確信、通常よりも異常に強い確信で書いているのだろうと思った。『散文センター』の文章は、日本の詩人向けでもないし、一般の読者向けでもない、フランス文学とフランス言語学の先生、あるいは野村氏に教わる学生向けの本として書いたのだろうか、と思ったのである。カタカナの専門語の多さ、日本語の言語学用語の、一般の文章の中での独特の使い方、フランス語を学んだ私も、どの意味で使っているのだろうと悩みながら読み進めた。

すると、とても単純な事を回りくどく、専門用語で書いているというのが分かる。


つまり、野村喜和夫氏の批評の言葉は、大学で知性によって身に着いた言葉で、生活で感覚に身に着いたものではないのではないか、と感じられてくるのである。そして、詩の言葉もそうでないだろうかと感じるのである。


ひとりの人間が、批評を書き、散文詩を書き、行分け詩を書くと、どうしても語彙がかぎられているので似たところはでてくる。しかし、言葉と言葉の関係、言葉のつなぎ方は、散文と行分け詩ではまるで違ってくる。


しかし、野村喜和夫氏の場合、散文の言葉をあちこち抜いていくと散文詩になり、散文詩から言葉をもっと抜くと行分け詩になると思われる。


まず散文である。

「私は都市が好きだー都市的な感性とか、都市生活者のルサンチマンとか、そういう内面化されたレベルでの話ではなく、もっと、何というか平たいレベルにおいて。たとえば、少年の私はよく都市の地図を描いた。何かの年鑑のようなものに、たしか全国の県庁所在地の都市の地図が載っていたのだったが、その四十何通りものさまざまな都市の姿態のヴァリエーションに触発された、子供っぽい空想のままの、そしてあらゆる命名に先立つ架空の都市の地図。まず、鉄道を走らせるのだ、あるいは川をうねらせるのだ。そしてそのどこかの仮の中心ーあくまでも仮の中心であって、それは都市が形をなすにつれてずれたり、飛んだり、複数になったり、あるいは消滅してしまったりするーを設定して、そこから少しずつ網の目状の道路を書き込んでゆく。というか、ジグソーパズルのように、まずいろんな形の多角形を隣接させ増殖させていって、その隙間がおのずから道になるようにするのだ。・・・・」(イントロダクションあるいは女/都市/断片)


散文詩にしてみよう。

「都市が好きだー都市的な感性とか、都市生活者のルサンチマンとか、内面化されたレベルとか、ではない。何というか、平たい、平たいレベルにおいて。たとえば、都市の地図を描く、年鑑のようなものの、全国の県庁所在地の都市の地図の、四十何通りもの、さまざまな、都市の姿態のヴァリエーション、そのヴァリエーション。空想の地図、あらゆる、命名に先立つ、架空の都市の地図。鉄道を走らせる、川をうねらせる、どこかの仮の中心ーあくまでも、仮の中心、都市が形をなすにつれて、ずれたり、飛んだり、複数になったり、あるいは、消滅してしまったり、網の目状の道路を書き込む。ジグソーパズルのように、そう、パズル、いろんな形の、多角形、増殖させて、隙間がおのずから道になるように、・・・・」


行分け詩にしてみよう。

「都市が好きだ

都市的な感性

都市生活者のルサンチマン

内面化されたレベル

そんなものではない

平たい、平たい、そう平たい

レベルにおいて

たとえば

都市の地図を描く

年鑑のようなもの

全国の県庁所在地

その都市の地図の四十何通りものさまざまな都市の姿態

ああ、ヴァリエーション、ヴァリエーション

空想の地図

あらゆる

命名に先立つ、架空の都市の地図

鉄道を走らせる、川をうねらせる

どこかの仮の中心ーあくまでも、仮の中心

都市が形をなすにつれて、ずれたり、飛んだり、複数になったり

あるいは

消滅してしまったり、網の目状の道路を書き込む

ジグソーパズルのように、そう、パズル、いろんな形の

多角形

増殖させて、隙間がおのずから道になるように、・・・・」


できるだけ野村喜和夫風にしたつもりである。


ここで私が示したいのは、もし野村喜和夫氏の散文がかれの自然の感性と知性によって書かれているなら、彼の詩もそうであるということである。ー入沢康夫氏の言葉で語るなら、書き手、話し手、言葉の関係として、散文も詩も変わらないということだ。現実に、私が上で行ったのは、言葉を間引きしただけである。


つまり、野村喜和夫氏は眼に入る(頭に浮かぶ)言葉を、ゆっくり書くと散文になり、飛ばしながら速く書くと行分け詩になる。動きの速さの違いが、散文と詩の違いになっており、言葉と言葉の繋がりを選択していくという詩にとって重要な部分は、日常の選択の仕方と変わらないのではないかと思うのである。それが、詩のようになるのは、日常の言葉の選択が、非日常性をもっている、つまり非常識的な選択を行っているからではないだろうか。ここで私が思い出したのは、多動症の子供が私の本棚の本に触りながら、早く移動するときと、ゆっくり移動する時の感じである。野村氏の活字にするための言葉の空間を早く移動すると詩で、ゆっくり移動すると散文になると感じたのである。


ただ、『ZOLO』の散文詩は、何処にも特徴のないエッセイあるいは日記のようになっている。それが、自然な野村氏の日本語で、批評を書く時の日本語が、自分のまわりの専門語から選択するので、言葉と言葉の関係が非日常的になるのではないかと思っている。

(つづく)


(2013.02.14)








前回、『野村喜和夫論③ー知性と感性ー』で、私はつぎのように書いた。


「私は、野村喜和夫氏の言葉との関係は、もともと素直な感性によるものであり、それは今も変わらないと思う、『ZOLO』を読み返してそう強く思った。確信に近い。それを、野村喜和夫氏は、彼が考える「知性の言葉」に変えて行った。今回、散文詩のために変えきれなかったところが、長く残ってしまった。行分け詩なら、次の行でごまかせるが、散文詩でそれを行うと構成が崩れてしまう。それが、『ZOLO』の数か所にあらわれた。もしかすると、意識的に表したのかも知れないが。そして、それは、荒川洋治氏の感性と似ているのである。」


二人の詩集を読むと、それがさらに強くなる。お二人からは、どんな読み方をしているんだと叱られそうだが、そうだから仕方ない。


Ⅰ.野村喜和夫氏と荒川洋治氏の重なるところ


重なるところと書いたが、無意識的に似ているところである。

①散文詩が物語になってきた。

②感性で詩を書きはじめ、コントロールするが、そこに知性を必要とする言葉を入れる。

③詩は、まとめ方は違うが、二人とも感性でまとめる。


①物語になってきた散文詩


今回『ZOLO』の散文詩は、物語あるいはエッセイである。しかも、言葉のフィクション、暗喩を使わない、直接的な感覚の表現である。


「・・・・・しばらくこの光のなかにとどまり、この光をあなたと共有してどこが不都合なのでしょうか。

私は、あるいは妻も、心のなかで手を合わせ、するとその姿勢のまま、名状しがたい平安のなかに捉えられてゆくような気がした。その平安のなかでは、すべては許され、宥められ、融けてひとつの流れとなり、誰か意地の悪い者がナイフでその流れを切り分けても、すぐにまた傷のないひとつの流れに戻ってしまう。人生は永遠よりほんのすこし短いだけだ。・・・・・・・・・」(『光の成就』)


こうした直接的な感覚の表現、多分、野村氏の生来の感性であろう。素直な表現、あるいは、感性を抑えて書くといっても良い。


「私は人妻を組み敷いて、残りの着衣をはぎ取ってゆく。上体を縛ってあるので、あっという間に下半身むきだしだ。それから自分のズボンのベルトをはずす。そのとき、ふと眼を落すと、人妻の腹が波打っていることに気づいた。強姦において、たまさか女がエクスタシーに襲われることがあるにしても、しかし、いくらなんでもまだ早すぎる。だとすれば、笑っているのだ。・・・・・」(『速度の虜』)


いずれも、言葉は、日常会話の言葉の枠を出ない。誰でも理解できる意味(イデア)で書かれている。つまり、詩の言葉としては、初歩の使い方ということになる。(初歩というのは、悪い意味ではない。感覚で言葉を選んで文章を作っているという意味である。判断の仕方は次回にまとめて書きます。)


どうして、そうなったか。二つの理由が考えられる。

①散文詩で、行分け詩のような喩の使い方、言葉の意味、音、イメージ、詩人が持つ個人的感性で次の言葉を選択すると、散文として読みづらい、ということである。昔、入沢康夫氏が『ランゲルハンス氏の島』を発表した時も、物語の不可解さはあっても、読むのに悩まないように、言葉はひとつの幅の中で選択された。

②荒川洋治氏は、言語芸術の垣根を取り払いたいと言っているが、野村喜和夫氏の散文詩は、無意識的にそれを試みた。よって、作品は、エッセイとなり、短い物語小説となった。


物語を語る詩という意味では、荒川洋治氏の『心理』の書名に選んだ『心理』は、すぐれていると思う。丸山眞男を登場させながら、子犬(多分、詩人を象徴する)の目を残している。


散文詩が物語を取り込むこと。極端に言うと、小説を取り込むこと。・・・・・それは本当に意味ある事だろうか? という疑問が残る。


五十年前、入沢康夫は、散文詩について次の三点を注意として挙げている。

①語り手が物語を語りつづけるのは良くない。

②非現実性をもつべきである。

③物語の叙述となってはよくない。


この真偽は理性では分からないが、詩を書く理由を考えると、①②③がないならば、小説に任せるべきであるということであろう。

今回の『ZOLO』に感じる不満は、このことだろう。エッセイ、あるいはショート・ストーリーになっていると云う事だろう。


それを、荒川洋治氏は『心理』でなんとか避けている。詩として、その努力の意味があるかどうかは別で在る。それは、これからの作品を読まないと分からない。今は変わりゆく途中だと考えるべきだろう。


Ⅱ.感性と知性


荒川洋治氏は、IQという言葉を使って、「知性で書く」詩人を表現した。正直、野村喜和夫氏の評論を呼んで、大学の先生の講義かな??それとも研究発表かな??と思った。読み手をあれだけ無視できるのはしあわせである。詩の作品に出てくる科学専門用語や古語もIQの高い人が書き、IQの高いひとを読者として想定していると思う。


しかし、同時に荒川洋治氏も、古語、日常会話に用いられることがない、それどころか文学の世界でもまれに使われる言葉を、詩に用いる。彼自身、大辞林を開きながら詩を読む読者をそうていしているのだろうか。


この、言葉に対する感性は、あるいは知識の使い方を、読み手に要求するところは、あらわれ方が違うけれど、そっくりである。


つまり、多分現代詩を代表する二人は、読み手に、考えることだけでなく、学ぶことを要求しているのだと思う。


これは、1970年代詩人の残したものだと思う。


隠喩の組み合わせ、隠喩の連続が、作者の混乱した精神を表現すると誤解した、1970年代からの現代詩が屈折したひとつの点だと思う。


どうして、あの時代、素直な言葉にならなかったか。あるいは、読み手が考え込まないと理解できない作品になるしかなかったのか。または、意味を軽く読みとばし、速度と感覚で感じる詩になるしかなかったのか。朗読詩だけでなく、多くの詩がそうなった。


詩とは分かりづらいものになった。知性がコントロールした荒地派とも違う、それ以前の感性がコントロールした詩人たちの作品とも違う、どちらもコントロールを拒否する作品が産まれた。一時的に、セックスの感覚をそのまま書きとめる女流詩人がはやったらしいが、全体の流れはコントロールを失った。その頃の女流詩人の作品は最近初めて読んだので、別に書きたい。今は、多くの詩人が、詩の言葉が作る世界を、理性でも感性でもコントロールしなかった、あるいはできなかったということだ。そのことが、読み手に、考えること、書き手と同じように感じることを厳しく要求し、一時的に膨れたと思える詩の読み手が、その後去って行ったと思っている。


Ⅲ.感性が乱す知性


その頃の詩をふりかえってみよう。


「私は人妻が手淫していた

私は老婆が手淫していた

私は女性労働者が手淫していた

私は人妻が手淫していた

私は牛乳びんが手淫していた

私は時計が手淫していた・・・・・」(『月』鈴木志郎康)


日本語文法を壊しながら書かれている。言葉の規範が壊れると、詩が壊れる。一回っきりの実験でしか成立しなし詩である。こういう規範が壊れた詩を、読み手は、何度も読み直し、新しい実験を楽しもうという意欲を長く持続できないのではないだろうか。当時、読んでいても、そう思った。


「火照る土地に生えそろうハガネの林で

傷ひらく正午ふかくわたしは

失楽にひえた薄い口をしめ

熟れきった泥土にもぐる色蛇ににる

・・・・・・・・」(『死顔』清水昶)


「てにをは」の助詞を壊すことは、詩の崩壊で、なすべきではないと、確か大岡信詩が書いていた。そうだろう。


また、清水昶氏の作品のように、喩の言葉から、作者の中で想像される言葉をかいして喩に繋がる詩がふえたのだが、それは、読み手を想定しない、あるいは、作者と似た言語感性をもった人々を想定して書かれたのではなかろうか。すると、読み手の数は最初から少なくなる。私自身、自分の作品がそのようになっていくのを感じた。たくさんの物体を貼り付けるので、画面の意味は「哀しい混乱」になるコラージュ作品のようになる。しかし、書き手は、自分の向かっている世界を、感じることや考えることで書きとめているので、細くともひとつの繋がりを感じる。読み手は、違う存在であるので、イデアの繋がりが感性の繋がりと一致せず、途中でぶつぶつきれているように感じる。


書き手の感性に近い読み手は、その次の詩集を手にするだろう。しかし、これだけ、書き手の詩人の個性的な感性が言葉を選択して繋いでいると、その感性に合わない人は、途中で脱落してしまう。


私は、1970年代、詩人はその感性に対するコントロールを知性が失ったと思う。


そして、その後1980年代の詩人が現れるわけだが、その感性に対して知性でコントロールしようとしたのが、例えば荒川洋治氏であり、野村喜和夫氏であるように思う。


次回、その知性と感性、考えることと感じることについて考えたいと思う。


(2013.01.30)


5年前に書いたので、それから野村喜和夫氏の作品は変わっているかもしれない。しかし、本質的なところは同じだろうと思うので、手を加えないことにした。



前回、野村喜和夫氏の『ZOLO』について書いていて、下のように終えた。そして、その思いは別のところへと拡がっている。


「・・・・・・・

今、私は、現代詩の次の道を決めて行くには、野村氏の場合は、下の詩の感性を大切にすることだと思う。その先がどう開けて行くかは不明だが。


「こうして私たち、

私とそのかたわれたち、


互いに互いの影をうばうようにして、

すすむ、


ときに、

かさなり合うことがあっても、


朝のほそい高みで、

誰のでもない祈りのかたちとなるため、


ふたつの息をかさねて、

かさねて、


そこをひとすじ、

笑いがつらぬくようにするのだ、

・・・・・・・・・・・・」(『宙の武勲』)


ここだけ読むと、荒川洋治氏と似ていないだろうか。


今、私たちの詩は、男と女のことを書くしかなく、言葉でどのように飾ることができるかという、とても狭い橋の上にいるのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」(野村喜和夫論②ー『ZOLO』に見る書き手ー)

http://ameblo.jp/tomolitessay/entry-11457893396.html


私は、前回、野村喜和夫氏と荒川洋治氏は、ひとつの紙面の表と裏から書いているような錯覚を覚えたのだ。野村喜和夫氏は、荒川氏が書かない冷徹さを強調し、知性「的」な言葉を駆使する。荒川洋治氏は、野村氏が書かない(あるいは、その真面目な知性のゆえに、書くことを憚ってしまう)女々しいところを書く。


しかし、二人が書いているのは、男と女のことしかないのではないかとおもったのである。


Ⅰ.詩のテーマの知性について


詩のテーマが主題とされて書かれた評論となると、プロパガンダ詩か、戦争賛美詩かどうか、抒情詩かどうか、生と死しかないのではないだろうか。そして、抒情詩が取り上げられる時、それは、詩が何を書くかではなく、抒情的に書くかどうかという問題として取り上げられてきたと思う。


萩原朔太郎と春山行夫の間の抒情と書き手の感情の問題、自由詩と定型詩の問題、民衆詩と技術の問題、まとめすぎかもしれないが、戦前の詩の評論のやり取りの中で、レトリックについてでなく、詩を書くこと、詩の形式と意識の問題、詩の意味についてなされた議論はこれくらいしかなかったといってはいいすぎだろうか。


ただし、ひとつ「荒地」がスタートしていたのである。


戦後、荒地派は大きい波を作った。個人と社会、国家の関係、生きることと死ぬこと、生活することと詩を書くこと、それをある詩人は抒情的に、しかし、多くが知性を駆使して書いた。


私は、荒地派の詩が主流となり、次の世代、大岡信、清岡卓行、吉岡実、鈴木志郎康、天沢退二郎、石原吉郎、北川透、入沢康夫、飯島耕一、これらの詩人が、荒地派のように、「人の生きる意味と状況」を直接的な言葉で書かなくても、同じ感性が流れていた。・・・なぜ、こうなんだ、なぜ、こうして生きるんだ、そして、その中でこれが快楽だ・・・・と書く歴史的な流れにあったと思う。


そして、私たちは、それが知性だととらえた。


その後、70年代後半、80年代にあらわれた詩人にとっては、その、かれらにとっては虚構のようになった「知性」を詩を書くときにどうするのか。机からおとしてかくすか? 吉増剛造たち朗読詩人はそうしたと思う。


原稿用紙の左に置いておき、ときどきはさみこむか、それが野村喜和夫氏のグループだと思っている。知っているが、裏返し、知らないふりをしながら、行間に読みたい読者は読めるようにする、それが、荒川洋治氏のグループだと思っている。


Ⅱ.作品の近似性


これだけあらく詩の歴史や、詩人の方向性を見ていくと、先ほど、野村氏の作品に荒川氏を思い出させる詩行が発見され、前の時代の詩人の作品との間でも似ているのが見つかる。


「水道管はうたえよ

御茶の水は流れて

鵠沼に溜り

荻窪に落ち

奥入瀬で輝け

サッポロ

バルパライソ

トンブクトゥーは

耳の中で

雨垂れのように延びつづけよ

奇体にも懐かしい名前をもった

すべての土地の精霊よ

時間の列柱となって

おれを包んでくれ

・・・・・・

名前は土地に

波動をあたえる

土地の名前はたぶん

光でできている

・・・・・・

それみよ

瀬田の唐橋

雪駄のからかさ

東京は

いつも

曇り」(『地名論』)


「・・・・・・・

『患者は何よりも主体である』

と言う医者の言葉は正しい

少年よ きみの

『内部はひじょうに複雑骨折した

人体』

であると同時に

『障子にはられた

白紙が宇宙に風を起す』

ビビビーッ ビビッし鳴る

少年よ きみは

『物の厚さ

球や穴の直径を計る器具』

ノギスのようなもので

肉や愛を計る

・・・・・・・・・・・」(『金柑譚』)


上の二つは80年代詩人の作品ではない。前者が大岡信の作品で、後者が吉岡実の作品である。前者は荒川洋治氏の作品の精神と似ており、後者は野村喜和夫氏の作品の精神と似ている。前者は、「瀬田の唐橋/雪駄のからかさ」のダジャレの使い方まで似ている。後者は、「肉や愛を計る」と節の最終行で、書き手の感性が現れるのも似ている。


私は、最近、お二人の詩をまた(荒川洋治氏のは30年以上前『水駅』を呼んでいたが)読み、何冊か随筆・評論を読んで、荒川洋治氏は詩の世界から知性を排除したようにいわれ、野村喜和夫氏は、詩の世界に実感できない知性の言葉を持ちこんで書いている(私も、野村氏の批評を読んで、そう思うが)と、批判されているのが良く分かった。そして、二人とも、互いに相手をそのように思っている事を。


しかし、今回『ZOLO』の中に、荒川洋治氏を見たと云うのも事実である。

私は、二人は、二卵生双生児かもしれないと思ったのだ。


そして、荒地派の後、詩のレトリックは詩人の感性でいろいろと変わってきたけれど、詩の中の知性と感性はさほど変わってきていないと思った。

特に、荒地派以後の詩人の作品を読み返して、ここ四十年、詩の世界はさほど変わっていない。変わったのは、荒川洋治氏が、「詩はIQで書くのをよしましょう」と言い、そうする詩人がおり、野村喜和夫氏のようにそれに反発する詩人がいる、というくらい何もなかったと言ってよいのではないだろうか。


現在、野村喜和夫氏の批評を読んでいるので、その件はまた次の機会に書きたいと思う。


Ⅲ.野村喜和夫氏の感性


私は、野村喜和夫氏の感性について、前回、次のように書いた。


・・・・・・・・・この詩集(『ZOLO』)は始まりから最後まで、交われぬ人と人の姿である。あるいは、書き手が、話し手に選んだ虫とその虫を見る人間の姿、強姦する男と女の関係、死体と生きている人の関係、抱き合う男と女の関係、恋人とその恋人を追う男の関係、死者となる自分と生きている自分の関係、である。



一か所だけ、「男」の心がなごむところがある。それは、『平行の生』で、からだが骨が灰になって壊れて行く「男」と同じであろう。書き手の野村喜和夫氏が無意識に話し手に重なってあらわれていると考えてよいだろうと思う。


すれ違う霊柩車の死者が語るところからである。

「・・・・・しばらくこの光のなかにとどまり、この光をあなたと共有してどこが不都合なのでしょうか。

私は、あるいは妻も、心のなかで手を合わせ、するとその姿勢のまま、名状しがたい平安のなかに捉えられてゆくような気がした。その平安のなかでは、すべては許され、宥められ、融けてひとつの流れとなり、誰か意地の悪い者がナイフでその流れを切り分けても、すぐにまた傷のないひとつの流れに戻ってしまう。人生は永遠よりほんのすこし短いだけだ。・・・・・・・・・」(『光の成就』)


このことばに無理をさせず、自然に語るのが、多分、野村喜和夫氏の言葉の感性だろう。この『ZOLO』では、巻頭の『春の戴冠』で、バスの隣の席に座る女の子の描写、最後の『死者の砂』で死んだ母の最期を探す場面の表現、とかにあらわれている。これは、作者の感性が現れ、作者が、意識・無意識に関わらず、残したものである。私は、意識的に残したと思う。さもないと、詩集全体が冷たくなりすぎるのだ。

・・・・・・・・・・・・詩集と関係ないことだが、私の野村喜和夫氏という人は、最初『現代詩手帖』から受けた印象と、あまり違わないと思う。詩人の性質、感性は上のような素直な詩文にあらわれる、常識的社会人だと思う。それを、時にエキセントリックなほどに激しい言葉を使う詩人に変えるのは、野村氏にとって、現代詩の世界の要求に答える方法ではないだろうか。これは、想像だが、多分当たっている。そのことは、野村喜和夫氏の過去の詩作品から、書いていこうと思う。・・・・・・・・・


この感じはかわらない。


「私たち、芥をちりばめて狂い、

芥を

ちりばめて狂い、


ーーーおお空の息口、


春めき、ふぞろいな、

空の息口、ふぞろいな、

この土地の不思議なひだ、

浮浪川、

自生するままにそこに、私たち、芥をちりばめて狂い、


ーーー藁の女神は春スキー、


風が立ち働く、

記憶の輪がふわっとふくれる。


ーーー藁の女神は春スキー、

・・・・

このくるめきの奥はふかく、涼しく、

最後に

むなしさが輝度を得る。」(私たち、芥をちりばめて狂い・・・・)


この、多分三十歳前後に書かれた詩が、今の野村喜和夫氏の詩の感性と知性をそのまま表している。


リフレレィンを変化させながら使い、詩の場を作る。中原中也の抒情詩に近い。そしていて、そこに特別な個性を与えるための「不老川」、感性で選んだ言葉だが、あたかも知性が選んだように置かれている。ここは那珂太郎だ。そして最後の一行「むなしさが輝度を得る」、素直なままの感性を知性で表そうとした作者の気持ちが分かる。大岡信詩の一行と言われても納得する。これが、作者が達することができた80年代の詩である。


私は、野村喜和夫氏の言葉との関係は、もともと素直な感性によるものであり、それは今も変わらないと思う、『ZOLO』を読み返してそう強く思った。確信に近い。それを、野村喜和夫氏は、彼が考える「知性の言葉」に変えて行った。今回、散文詩のために変えきれなかったところが、長く残ってしまった。行分け詩なら、次の行でごまかせるが、散文詩でそれを行うと構成が崩れてしまう。それが、『ZOLO』の数か所にあらわれた。もしかすると、意識的に表したのかも知れないが。そして、それは、荒川洋治氏の感性と似ているのである。


詩人の感性が、ひとつの世界にいる時、その感性のあらわれ方は似てくる。もしかしたら、詩集出版社経営と大学講師と、現代ではあまり変わらない世界かもしれない。それよりも詩に違いを出すのは、詩人の個性的な感性であり、個性的に知性かもしれないと思っている。


Ⅳ.知性と感性


書き手の自分のものになっていない知性、読み手が自分のものとしていない知性の言葉は、詩の表現の中で使うと、「浮く」あるいは「浮いて感じる」。これは、書き手と読み手の共有する言語のイデアの世界である。同じことが、舞台で為されると、観客は大笑いする。そのイデアを分からずに使う馬鹿らしさと、イデアがずれている可笑しさに。(最近、赤テントを観に行ったが、観客が笑わない時がある。つまり、そのズレに気づかないのである)


詩でも同じことが起きているのではないだろうか。書き手が理解してズレを出しても、読み手が気づかない。あるいは、書き手がズレを感じていないことも。


知性と感性について、次回は一般的な問題として、詩の中での働きについて考えたい。


(2013.01.28)














前回、『野村喜和夫論①』で私は、『速度の虜』と『他者の泉8』についてこう書いた・・・・・・私が、疑問に思ったのは、「欲望のままに、少女の尿を浴びていると、顔は、尿とともに、押し流されてしまう」ということは、その前の14行の言葉を必要とするほど、大切なテーマか、ということである。また『速度の虜』は五ページに渡る散文詩だが、「詩は速度への愛である」というテーマは、五ページの感情のこもらないホラー映画のような強姦シーンは必要か、ということである。

『速度の虜』のテーマの一文以外の言葉、また『他者の泉8』の三行以外の14行は、どちらも、書き手と話し手が分離されておらず、話し手が一方的に語りつづけてくる。そこに感情をはさまないように、あるいは、意識して感情を捨てた映画フィルムか日記のように。


これも書き方のひとつ、技法であるとは言えるだろう。しかし、わたしには、書き手が言葉にたいして礼儀を尽くしていないように思える。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・言葉は道具である。しかし同時にイデアである。イデアであるということは、人類が積み重ねた、あるいは発見し普及した理念である。それを、どのように書き手が扱うか、というのは、人形浄瑠璃師が人形をどう扱うか、演奏家が楽器をどう扱うか、舞台俳優が舞台道具をどう扱うか、と同じように観客である読み手に見えるのだと思う。また、陶芸師は土を生き物として扱う。画家は絵の具を自分の一部のように扱う。人形浄瑠璃師は人形を生きている人間のように大切にする、演奏家、舞台俳優、陶芸師、画家しかり。なら、詩人が、言葉を大切にしないなら、それなりの作品になってしまうのではなかろうか。・・・・・・・・・・・・『野村喜和夫論①ー詩人と言葉ー』



http://ameblo.jp/tomolitessay/entry-11455131946.html


自分の詩が言葉に礼儀を尽くしているかと訊かれたら、難しいですねとこたえるつもりだ。


しかし、へたな私の詩は、下手であるがゆえに、読んで言葉を嫌いになる人は少ない。頭を使わなくて良いし、楽だし、読み手が「これなら、わたしも書ける」と思うのではないかと思う。


私はそれで良いと思う。私が、今、自分の詩に求めること、書くときに配慮するのは下のことである。あるいは、ほとんど配慮していないではないかと言われたら、もともと繊細さが欠けているので、配慮できていないかもしれませんと答えざるを得ないが。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、現在、詩について下のように考えている。

①読者が言葉を好きになる詩が良い。

②限られた読者を想定するのでなく、全人類へむけて書く方が良い。

③読んで言葉の歓びを感じ、人と言葉の不思議を多くの人が感じることができる方が良い。

④高尚低俗という基準は、言葉への姿勢にあり、言葉やテーマにはない。

⑤いろいろな詩の形(段変え等)があるが、本質的に、改行詩と散文詩、そのふたつとその組み合わせだけで良い。読み手は、形式は単純な方が楽である。・・・・・・・・・・・・・・『野村喜和夫論①ー詩人と言葉ー』


Ⅰ.何を、誰に向けて書くか


詩は、書き手が、話し手をかいして語るが、何について書くか?あるいは、心的状態なら誰について書くか?


書き手は、話し手の眼と口をかいして、書き手自身が見た、感じた世界を、それが現実のものの場合も、虚構の場合も、希望する場合も、嫌悪する場合も、描いている。ある場合は愛着をもって、ある場合は冷たく、冷酷に、残酷に、描く。


今回、『ZOLO』を読んで感じたことは、明確であった。



①読んで、言葉をすきになり、詩を読もうと思う人はどの程度いるだろうかと、疑問に思った。初めて詩集を手にした人が、もっと読んでみようと思うだろうかという疑問である。

②読者は、野村喜和夫氏の詩の仲間、大学の教え子に限定して想定して書いたのだろうか、と思った。詩を読みなれていない人は他の詩を読めば良いのであって、野村喜和夫氏の詩を呼んで楽しめるように特別な専門性を身につけてから、『ZOLO』は読めば良いのだろうか。

③読んで、読者は歓びを感じるだろうか。人と言葉の不思議を感じることができるだろうか。不可解さを感じるのではなかろうか。あるいは、その不可解さこそ、作者が目的としているところだろうか。


簡単には、野村喜和夫氏は、誰に読んで欲しくて、何のために書いたのだろうかという疑問である。


「カオ、

カオ、カオ、


ふれている空気は、誰彼の生へと至るか、

その生を守るために、


べつの誰彼を抹殺する、

へと至るか、


むしろどうしたらひとりきりでいられるか、

ひとりきりでたとえばNO WAR、


と叫べば、

そのひびきにまじれ気はないだろうに、


・・・・と女はいう、

私はひとりきりにはなれないから、


女の穴に、

べつの骨灰を注ぎ込む、

・・・・・」(『平行の生』)


「平行の生」、交わることのない生。ひとつ、女とのセックス以外の交わりの他には。それが「男」の生である・・・・というのが話し手、書き手の観る世界だろう。


この詩集は始まりから最後まで、交われぬ人と人の姿である。あるいは、書き手が、話し手に選んだ虫とその虫を見る人間の姿、強姦する男と女の関係、死体と生きている人の関係、抱き合う男と女の関係、恋人とその恋人を追う男の関係、死者となる自分と生きている自分の関係、である。


一か所だけ、「男」の心がなごむところがある。それは、『平行の生』で、からだが骨が灰になって壊れて行く「男」と同じであろう。書き手の野村喜和夫氏が無意識に話し手に重なってあらわれていると考えてよいだろうと思う。


すれ違う霊柩車の死者が語るところからである。

「・・・・・しばらくこの光のなかにとどまり、この光をあなたと共有してどこが不都合なのでしょうか。

私は、あるいは妻も、心のなかで手を合わせ、するとその姿勢のまま、名状しがたい平安のなかに捉えられてゆくような気がした。その平安のなかでは、すべては許され、宥められ、融けてひとつの流れとなり、誰か意地の悪い者がナイフでその流れを切り分けても、すぐにまた傷のないひとつの流れに戻ってしまう。人生は永遠よりほんのすこし短いだけだ。・・・・・・・・・」(『光の成就』)


このように、ことばに無理をさせず、自然に語るのが、多分、野村喜和夫氏の言葉の感性だろう。この『ZOLO』では、巻頭の『春の戴冠』で、バスの隣の席に座る女の子の描写、最後の『死者の砂』で死んだ母の最期を探す場面の表現、とかにあらわれている。これは、作者の感性が現れ、作者が、意識・無意識に関わらず、残したものである。私は、意識的に残したと思う。さもないと、詩集全体が冷たくなりすぎるのだ。


そして、私は不思議になるのだ。


読みづらい、難しい詩は、野村喜和夫氏の詩を読みなれている限られた読者へ向けて、作者が意識して書いていると思わざるを得ない。そして、私は野村喜和夫氏は自分自身の知性、特に、死を考える知性にむけて、詩の形態で書いた。それなら、読みなれている読者は読める。


しかし、他の読み手のことは考えなかったのだろうか?と。


詩集と関係ないことだが、私の野村喜和夫氏という人は、最初『現代詩手帖』から受けた印象と、あまり違わないと思う。詩人の性質、感性は上のような素直な詩文にあらわれる、常識的社会人だと思う。それを、時にエキセントリックなほどに激しい言葉を使う詩人に変えるのは、野村氏にとって、現代詩の世界の要求に答える方法ではないだろうか。これは、想像だが。そのことは、野村喜和夫氏の過去の詩作品から、書いていこうと思う。


Ⅱ.読み手を限定することと知性が書くこと


上に書いたように、私は、野村喜和夫氏は、自分の知性で作り上げた詩人「野村喜和夫」が、読者を、野村喜和夫氏を読みなれたファン、批評を書く批評家、同じ詩人へ向けて書くように、書いていると思う。あるいは、そこにしか道はなかった。


これは他の詩人もそうでないだろうか。なぜなら、読み手がそこにしかいない。批評する人もそのなかにいる。


感性の自由を知性で塞ぎ、言葉を知性的に見えるように書く。評論は、知性がない詩をほめない、特に荒地派の批評家は、知性がシャープであり、その評論に褒められるには、知性をあふれるほど注ぐしかない。荒地派の後、知性を感じさせる詩人がいない、知性と感性を語る批評家がいない、その中で若い詩人たち(当時30歳前後)が、詩の方向をきめていったのである。・・・・それが現代詩の問題のひとつではないだろうか。


私は、この難しい知性による詩がこんなにも増えているとは思わなかった。1980年頃から30年少し、全く現代詩の雑誌も詩集も手にしなかった。その間に、詩の雑誌に載っている詩は、知性の固まり、正確には、知性の切り分けに感性の香辛料をかけた詩になっていた。


その理由を、私はこう考えている。


荒地派・・・・野村喜和夫氏は、「荒地派」が詩の社会的な感性を暗くしたと書いているが・・・・が、戦前から、生きることを知性的に捉えて来た。たとえ、書く詩が抒情になっている場合もあるにしても。そして、その後、詩人は、知性の向かう先を失った。詩だけではない、小説も、絵画も、評論も、知性の向かう先を失っていた。


そこで、二つの流れができた。


≪言葉の知的・専門的使い方の流れ≫

ひとつの流れが、言葉の技術と専門性(知性)で、専門的な工芸品を制作する流れとなった。それが、野村喜和夫氏のグループである。その方向性を、言葉のシンボル性を徹底的に使う技術で進めた吉岡実の方向に定めた。


知性がむかう対象がなくなった、しかし、批評は知性を要求した。このことがポイントである。野村氏の「荒地派」への弱い嫌悪感は、知性的詩であることを強く要求されることへの拒否感ではないだろうか、と考えている。


≪言葉の感性で書く流れ≫

もうひとつが、言葉の感性、修辞をどのように用いるかと進んだながれである。荒川洋治氏を中心とするグループの流れである。


この二つの流れが現在のながれである。


時代の詩人にとって、芸術家にとって、知性が向かう問題が見えなくなった。政治的に、学生運動が終わり、それまで政治に向かっていた知性は行き場をなくした。また、荒地派の詩人たちも、1980年をすぎると、その知性と感性をいっしょにむかっていく方向を失っていったように思う。


朗読、宮沢賢治等過去の詩人の研究、他分野(文学史・心理学・物理学)を取り込むことで詩人は、知性の逃げ道を作っていったのではないだろうか。そこから逃れようとしたのが、野村喜和夫氏や荒川洋治氏の流れのように思える。


そして、その結果、読み手は限定され、書き手はその限定された読み手を想定して書くようになり、さらに、ひとりひとりの詩人の詩を読む読み手は限定されていった。


それが、現在の現代詩の中心となる詩人の状況ではないだろうか。昔、思潮社が初版に何部刷っていたかはしらない、現在の数も知らない、しかし、必ず減少しているだろう。


野村喜和夫氏の『ZOLO』について、書き始めて、視点がずれていった。


今、私は、現代詩の次の道を決めて行くには、野村氏の場合は、下の詩の感性を大切にすることだと思う。その先がどう開けて行くかは不明だが。


「こうして私たち、

私とそのかたわれたち、


互いに互いの影をうばうようにして、

すすむ、


ときに、

かさなり合うことがあっても、


朝のほそい高みで、

誰のでもない祈りのかたちとなるため、


ふたつの息をかさねて、

かさねて、


そこをひとすじ、

笑いがつらぬくようにするのだ、

・・・・・・・・・・・・」(『宙の武勲』)


ここだけ読むと、荒川洋治氏と似ていないだろうか。


今、私たちの詩は、男と女のことを書くしかなく、言葉でどのように飾ることができるかという、とても狭い橋の上にいるのかもしれない。



(2013.01.27)