歴史上、一番自分責めやすい世界に生きてる | 【心と才能の専門家】さぁ、人生を豊かにしよう!

心に罪悪感をずっと持っていて、自分が悪いんだと責めてしまう、そんな心屋的なドМちゃんたちとはまた違う社会全般と歴史の話

 

僕たちの心じゃなくて、社会の在り方の変化も、自分を痛めつけている原因になっているというのでそれが面白かったのでご紹介。

 

社会の変化

歴史をさかのぼると、僕らの社会は神様とか宇宙とか自然の力などを崇拝していました。

 

日本でも南無阿弥陀仏って唱えて、極楽浄土にいこうとしてたけどもはや熱心な仏教徒じゃないと言うこともないですよね。

 

もっというと近代以前は、教会や寺社が大きな力を持って権力をふるっていました。カノッサの屈辱とか習いましたよね?僕は忘れてましたけど(笑

 

宗教改革以後その力が弱まって、絶対王政の王様たちに権力が移り、市民革命や社会契約論を経て、僕らに人民主権という形で権力が移譲されてきました。

 

 

その中で、社会制度が平等になっていくにつれて、個々人の力が求められるようになりました。

 

個人主義

特権階級がいなくなり、差別がなくなり自分の力で何でもできる。

 

失敗するのは努力が足りないからだ。成功したのはそのひとが頑張ったからだという実力主義と個人主義が台頭してきました。

 

こと、現在の先進国は個人主義の全盛といった感じで、最初はガレージでパソコンを作ろうとしていたオタクのビル・ゲイツを取り上げては、誰でもああなることができるといったふう

にです。

 

こうしたように人生への期待値が非常に高まっていて、しかもそれを多くの媒体が煽ったりします。

こうなれば幸せだとか、30代でこんなスキルがあって当然とか、女子の結婚についてだとか。

 

この煽りも、おおよそお金儲けるためのマーケティングだったりするんですがね。

 

こうした実力主義を信仰している人ほど、高まった人生への期待値と今の自分とのギャップに苦しんだり、やらかした失敗が重くつらいものになってしまうようです。なんせ、全部自己責任で片づけてしまう時代ですから。

 

実際多くの不確定な要素に左右されているはずなのに、結局自分のせいと解釈されてしまうし、何よりもそれを感じて責めてしまうのが自分自身というのがつらいところですね。

 

昔は『おお、神よ』とか『神様の思し召し』とか言ってみたり、階級制度のせいにしていればよかったのに、まあ苦しむひとが増えて当然だなって感じ。

 

責めやすい世で

とはいえ、世捨て人になるわけにはいかず、自分を責めてしまいやすい今の社会で生きていくわけですから、自分大事にしましょうねっていう毎度の話になるわけです。

 

ちなみに、これは社会の話であって個人の話ではないです。どの時代にも自分を責めたくてしょうがない人がいて、そのあり余る罪悪感で他人を刺激して責めさせていたでしょう

 

そういうひとはを相手にするのが、僕らのお仕事ですね。はい