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私が人間として敬愛する 伊東昌美さん
「あの」小笠原和葉さんの本を送ってくれました。
作者とイラストレーターのサイン入り!!!(涙)
ありがとう、昌美さん!!!

 サインいりだよっ!!!キャハハ


和葉さんのPBM(Presence Break-through Method)講座うけたいんだけど
その前にこれを読めて嬉しい!!
昌美さんのイラストが、またとっても親近感かもです。


この本は科学者でもいらっしゃる和葉さんが
覚悟をもって「分かり易く」かかれたもの。
(↑ ・・・というのを、どこかで読んだ気もする)
この覚悟は、科学の世界にいたことがあるものなら
ものすごいものだと分かると思う。


・・・で、わたしのことを書こうと思ったのです。
(本の感想はまた、今度・・・)


私はその「覚悟」が中途半端になってたなぁ、と思った。
私のみてた世界は和葉さんとは逆でミクロの世界。
(いまじゃ自虐ギャグになってるが、医学の前は物理学を学んでみたかった)


もしかするとこの表現は
皆さんには「?」となってしまうかもだけど
最小単位に近い世界は 宇宙より広い のです。
(その感覚を「見に」いつかカミオカンデに行きたい私キャハハ

(スーパーカミオカンデ。)


その宇宙より広い「ちいさいもの」の世界。
この矛盾する言葉のものと対峙したときに
チラ見する この世界の成り立ちの世界 を和葉さんは宇宙にみたんだろうな。
(この「チラ見」はもしかしたら いろんなところで感じられるんじゃないかと。
  これまで 私が「同じコトを指して言ってる」、と思ったのは
  数学を極めてた人と物理を極めてた人でした。)


精神世界、霊性の世界は科学を否定しないのに
科学は どうしてそれらを「ないこと」にするのだろう。
自分のなかに 両方をうけいれて深めたい自分がいるのに気付いてから
次なる私の「壁」はそこでした。
(あ、私のいた医学という科学世界は否定されがちだけどね。
   一方で「医学」をする人の中にはこれらの重要性を説く人が沢山居る)



生命という神秘は
どちらかから「だけ」なら説明しうる というものではないと思う。


私は身体と病気 という入り口から
現在 言葉にされていない「実体とみえないもの」をつなぐものを
ぼんやりと手探りで捜して来ました。
探したからといって どうなるというものでもないけれど
驚いたのは みえないもの(気持ちとか想いとか精神とか霊性とか)が
結局は それらを橋渡しする大事な要素だったということ
(そして 言葉で表現するのは簡単ではないし
  科学者として、医師として、「覚悟をもって」言及する怖さも実感してる)



そしてもっとビックリするのは
私のもっているはずのない知識、でも「知っている」知識が
ふとしたときに手渡されているんだなぁ ということ。
それをずっと否定してたときは気付かなかった
多分 沢山のひとが「あたりまえに」それらの叡知を手渡されている。



もちろんね 
常に自分を振り返り エゴになっていないかとか
適当なことを言ってないか とか
「おかしいひと」になってないかとか
それは凄くだいじなこと。



そのバランスをいつも 一生懸命探してる。




何してる人ですか、って言われて
いつも「えーっと・・・」と言葉に詰まっているけど
ちょっと分かった。
私は「ホントを探している」
片手オチのいくつかの説を繫ぐ「ホント」



そんなことが この本の中の
分かり易くて染み入る言葉を読んで
自分のなかで出てきたよ。


私は つなぐ人だとしってたけど
人同志を じゃなかったのかもしれない。
つなぐものは 今相反する、といわれる世界を、なのかもしれない。