これは、9年前34歳の時に新婦(なんと私!)が実際に披露宴で読んだ両親への手紙です。
私の育った環境や両親のこと、私の人となりがわかると思います
「父の日イベント」を開催している訳や、これから立ち上げる新projectは、 ここが根底にあるんだなぁと、読み返して改めて感じました。
内容も長さも前代未聞なので、長編連載でお楽しみ下さい。
最初から読まないとわかりにくいと思うので、こちらから読み進めて下さいね
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私は両親を尊敬していなかったので、ずっとつっけんどんな態度をとってきました。
OLを辞めMCの世界に転身すると告げたとき、将来を心配し反対した両親ですが今では応援してくれています。
やると決めたら、周囲に反対されてもやる私。
苦しい時も泣き言は言いたくないので、親に仕事のことを言ったり相談することはほぼありませんでした。
相当心配だったと思います。
プライベートも荒れた時期があり、心配した母は手紙をくれました。
その手紙も読んだら余計に腹が立ち、私は破って捨てました。
「自分の人生は自分で決める、ごちゃごちゃ言うな!」と言った私に、母は「子供の人生は、親の人生でもある。」と目を真っ赤にして言いました。
当時は「なんて重いことを言うのだろう。」と思っていましたが、今はその意味がわかる気がします。
それだけ子供思いの両親なのです。
父は夫婦で旅行に行っても「家で子供が待ってるから早く帰ろう」と言うそうです。
私達子供からすると「子供もいい大人だし、もっとゆっくりしてくればいいのに。」と思うのですが…。
自分がこの年齢になり、わかったことがたくさんあります。
3人兄弟を大学まで行かせてくれたこと、愛情を持って育ててくれたこと、ずっと陰ながら支え応援してくれたこと、感謝しています。
席次表に載っている左端のセピア色の家族写真は、小学校の家庭科の教科書にのりました。
家族団らんの素敵な写真です。
自慢していい家族だと思います。
やっと子供達みんなが巣立ちました。お父さんお母さんのおかげです。
これからはお互いにいたわりあい、思いやりを持って過ごして下さい。喧嘩は極力せんといてな。
そしておばあちゃんを大事にな。
私は現在産休中ですが、出産後めどがついたら司会者として復帰予定です。
自分が結婚・出産・子育てを経験することにより、披露宴の司会ももっと深みのある味が出せると思います。
誇りの持てる仕事に就けて良かった。
母は小さい頃から「悔しかったら、なにくそと思って頑張りなさい。」と教えてくれました。
それが私の中でずっと活きています。
MCの世界に飛び込んだ直後「司会なんて絶対なれない。無理だ。」と言った人を、絶対見返してやると思いました。
現場でいっぱい怒られて泣いて、でも「なにくそ」と思い頑張りました。
華やかな世界と思われがちですが、決してちやほやされてきたわけではありません。
今ではイベントや式典司会、ナレーターも披露宴司会も、自信を持って務めることができます。
怒ってくれた人や、周りの先輩・友人、仕事を指名でくれるクライアントさん、応援してくれる両親に感謝です。
披露宴では、私達に内緒でサプライズがたくさんありました
生い立ちVTRは、夫の会社の社員が勝手に私の実家に行ったみたいで、
両親に写真をもらってきて作ったらしい
夫も昔の写真見て泣いてたなぁ。
手作り感満載のあったかいVTR、ほんまにありがとう。
さて、手紙の内容ね。
やーーーっと、ちょっとだけ感謝という言葉が出ました。
まぁ、えらそうでむちゃくちゃな困った娘です。
でも昭和な「なにくそ根性」は根付いており、
これは本当に母のおかげ。
そして、個人的な考え方だけど「自分の人生は自分のものだ」と思う。
夫も長男に向かってよく言う。
「お前の人生はお前のもんや。自分で決めろ。」と。
私も賛成。自由に生きて~
はぁぁぁ
「
父の日イベント」開催してますが、私は決して見本になるような人間ではありません
40歳を過ぎた今でも、両親に全然優しくできないしね。
今でもつっけんどんにしか話せない。
私が仕事の時は、いつも子供達の面倒みてもらってるのに。
優しく孝行できる日はくるのかなぁ。
いつまで反抗期なんやろなぁ。
でも。こういう根底があるからこそ「父の日イベントやりたい」と思ったんだろうなぁ。
両親に自分の稼いだお金で、数年後に海外旅行でもプレゼントできたらいいなぁと思う。
いや、ちゃんとそれは実現するはず。
それまで元気に仲良く待ってろコノヤロー。
「
人生を美人にしよう」
宮田智子でした。