これから記す内容は、新婦(なんと私!)が実際に披露宴で読んだ両親への手紙です。
私の育った環境や両親のこと、私の人となりがわかると思います
たまたまパソコンをいじっていて、この手紙を発見したのです。
私が「父の日イベント」を開催している訳や、これから立ち上げる新projectは、 ここが根底にあるんだなぁと、読み返して改めて感じました。
内容も長さも前代未聞なので、長編連載でお楽しみ下さい。
9年前、私が34歳の時に書いたお手紙です
私は今まで7~800件の披露宴司会を担当しました。おひらき前には必ず両親への手紙を読むシーンがあります。
自分なら恥ずかしいから読まないなぁと思っていましたが、年齢を重ね その思いが変化しました。
恥ずかしいことに、私は両親に対して一度も感謝の気持ちを述べたことがありませんし、手紙を書いたこともありません。
今日はかけがえのない皆さんの前で、素直な気持ちを述べたいと思います。
私は父が公務員、母が自営業の普通の家庭に育ちました。
小学校から帰宅すると必ず母がいて、夕方5時半には父が帰ってきて、家族みんなで晩ご飯を囲みました。
父は手先が器用で私達兄弟が遊びながら学べるように、ことわざカードや算数の計算カードなどを手作りし、晩御飯のあと皆で遊んだ記憶があります。
週末は父が作るお好み焼きが楽しみだったし、テレビで吉本新喜劇を見るのが習慣でした。
母は自宅で子供服のお店を営み、毎週月曜日は仕入れに出掛け、家事も仕事もパワフルにこなしていました。
小学校中学校時代は勉強も教えてくれたので、私が数学好きで社会科が苦手なのは母の影響です。
周りの友達は両親が共働きで鍵っ子も多かったけど、帰宅すると必ず母がいる環境はなんだかホッとする毎日だったと思います。
そんな中、どうしても許せないことが一つありました。
パソコンに残っていた、この手紙(長すぎるからパソコン使ったんだよね
)。
披露宴2~3日前にボロボロ泣きながら綴っていて、仕事から帰宅した夫がその姿を見てビックリしはった記憶が……
懐かしいなぁ。
「
人生を美人にしよう」
宮田智子でした。