これは、

単なる生活習慣によるものと思うのですが、


起きていられない程

早い時間から眠くなって、


布団に入った途端に爆睡して

5時前には早く目が覚める日があると思えば、


遅くまで起きてても眠くならなくて、

そして朝なかなか起きれない、


これが交互まではないけどやってくる。

なので書き起こしは、

いつも、早く目が覚めた日にするのが殆ど。


寝ながらヘッドホンして書いてると、

モモが気付いて起きてくるので、


「ごはんはまだだよ〜」と寝室から出すと、

8時過ぎまでは大人しく待っててくれます。


過ぎるとドアをホリホリ催促が始まる。



最近は夜の9時になると 

誰より早く 

暗い寝室に寝るスタンバイをしてて、

アラームのように正確です。 

(ベッドには上げずいつもの野菜かごにイン)


朝、今日もモモが無事で感謝です〜

の祈りのパートのときには、


たまたまなのか、

何かを感じているのかは不明ですが、

その時は足元にアゴを乗せてくるので

それは癒される時間であります。



前置きからいつも長めでお願い



前回は飛び級で上級の最新の回をしたら、

ボリューミーで2回に渡りました。


私的にも要約ちょいハードでした。


また、初級のつづきに戻ります。

上級の後だとシンプルに感じます。


bss初級②神のみちびき

〜トンミムとウリム〜



人の話は語られない部分があります。
それは、
その人にとっての常識の部分。



みな常識の上に立った話をしているので、そのベースの部分は、
あまり語られる事なく表に出て来ない。



お互いの常識の元に話をしているけど、
全く違う考え(常識)を持っていると、
話が通じなくなるのですが、


信仰は聖書という共通しているものがあり、これは、我々だけでなく、世界中の人に読まれてる物。


また信仰が無い方にも、 
生活の中に用いられていたりします。


それは主にキリスト教国だと思われますが日本にも早く聖徳太子の時代には入ってきていて、


現在の法律や普段使う言葉などの元に
なっていたりします。


聖書を知る事で世界中の人と、
信仰のある無しに関わらず、
話が出来る(もっと理解できる)
ようになると思います。



常識=大前提、根拠、という風にも
言い換えられますが、


礼拝では、あまりこの部分の話は、出来ないのでベースの部分を、お伝えしようと思っています。




世の中人をみると、瞑想しているという人も多いですし、私もお勧めされる事があります。それも良いのですが、、


また、インプットが重要、アウトプットが重要、などとも言われますが、


最も今大切な事は何かと言うと
(あくまで私牧師の考えですけど)


インプットよりも、アウトプットよりも、

イレース(=消す)

頭の中を削除していく作業が重要だと思います。



坐禅がそれに近いかもしれませんが、坐禅でもなかなか消しきれないと思います。


異言で祈る事は、
頭をイレースする為にベストだと思います。





神の導きを知ることは、自分にとっての
最強の道を知る事になるのですが、


それを知るための方法が、多くの場合、
間違って蔓延しているので、分からない、見えないという事になっている。


まず、基本的な神の導きは、

「進め」なのか「とどまれ」なのかという、腹に与えられるシグナルを見出すこと。


実行して、試行錯誤しているうちに、そのシグナルが見えてくるようになります。


心の問題にしても、物質、経済、産業についても、これさえしっかり把握出来れば、必ず豊かになっていきます。

あらゆる領域においての神の導きを知る事ができる。



旧約聖書の時代(紀元前)は、国の存亡の為に戦争に明け暮れていた。


この戦いを、するべきか、止めるべきか、また、国の政について、


その事を神に問う方(予言者とか祭司)が特別に存在していた。


その時に、
トンミムとウリムという言葉があった。


これは、2つの石、白い石と黒い石。
あるいは木の棒のようなものであったと言われる。


(ハリーポッターの賢者の石はこれをモチーフにしているようですが)


この石によって神にお伺いを立てていたようです。


聖書を調べて分かってきた事は、その、
トンミムとウリムの石の扱い方が分かっている祭司はとても限られていた。


しかし、今の時代はその方法で神が導く
という事はありません。


今(紀元後)(イエスが天に上がった後)はそれより更に優れたものを神が与えた
時代で、


それが聖霊によるはらに与えられる神のともしび・シグナル。


今は特別な祭司や予言者でなくても、
神の導きを知る事が出来る時代。



前回のまとめ



感情や感動は信仰とは別の領域。

感情や感動が豊かなのは良いことですが、区別する。



感情は浮き沈みを繰り返すもの、喜怒哀楽の爆発的なエネルギーを生み出しますが、


そのエネルギーは一時的で長続きしないのも特徴です。(感情は人間のはら以外から来るもの)


逆に愛や信仰は持続していくエネルギー。


恵まれていないのは、感情でそう思ってるだけで、我々は常に祝福されているのです。





パウロはキリスト教を世界に広めた事で知られていますが、


元々は、イエスキリストを十字架にかけたユダヤ人と同じグループにいて、


イエスが天に昇って行った後、

残された弟子や教会を攻撃していた一人でありました。


ところが、その後は神の啓示により、
教会側について、
かつての仲間とは敵となっていった。





エルサレムはイエスが十字架にかけられた場所ですが、


パウロは、エルサレムよりもう少し北に
あるアンテオケに拠点を置いて伝道を
始めた。


エルサレムにはパウロの命を狙うユダヤ人がいた。


アガポという予言者は、アンテオケから
エルサレムに行くのをとどまるように、
パウロに助言したが、


その時、パウロは自分の腹の中のシグナルを持っていて、「進め」という事を聖霊によって知っていたので、助言は聞き入れなかった。




これは、我々の日常にも当てはめられる事で、周りの方がいろいろな助言やアドバイスを下さる事もあると思いますが、


最終的に決断するのは自分自身で決めるという事。先の事は誰にも分からない。


自分の人生の方向性を決めるときに重要なのは、自分のはらの中のシグナル。


信仰の世界はこの霊の部分なので、この感覚に繊細になってしっかり養っていって欲しい。




パウロのときも、パウロ以外の全ての人は止めましたし、その中に予言者という人がいたとしてもそれを聞く必要はない。(予言者とは牧師の事も含まれる)


これが大原則です。


アドバイスを聞く事自体は良い事ですが、それを決断するのは自分自身。


アガポも聖霊が言ってる事なのに?となりますが、これも聖書をよく読んでいくと、


アガポは、エルサレムに上らないように、とは一切言って無いんです。


行けとも行くなとも言ってない。

「エルサレムに行けば縛られる」

とだけ言っている。


アガポは事前に心の備えとして助言を
与えている。


それを聞いた周りの人が慌てふためいて、それを止めたのです。





聖霊を受けた人々の教会は各自自分で導きを確認出来るので、


紀元前の頃のようにいちいち予言者に
確認していく必要は無いのです。


今は旧約よりも、より、素晴らしい時代、良き契約の元にある新約の時代にいるので(今だに旧約だという時代錯誤している宗教もありますが)



それぞれ自分の内にあるシグナルを見ていく。そして、自分の感情とも区別する。


体の五感でも、頭の三感でもなく、腹の二感を見ていく。


それは頭から離れた方が見えやすい。



牧師を通じて神が導きを与える事はあるし、否定してる訳ではありません。


ただ、牧師に導きを求める事に間違いがある。(求めていないのに導きが与える事はあります)



求めるのは祈って自分自身に対してのみ。


以上でした。


最近は礼拝でも、

自分で直接神に尋ねるオススメの話とか、


この初級でも「はらのシグナルを探る」

テーマがメインだったので、


ここに来て初めてくらいに、

自分でも試してみてます。


進めなのか止まれなのか。


それが、

いきなり人生の大きな決断のものは、

経験が無さ過ぎて無理なので、


誰かと会う?とか、〇〇してみる?とか、

どっちを選んでも大丈夫そうなことから、

練習してくのも良いそう。


これが、今ところ全く分からない




ただ、はらを感じる事は感覚的に分かる。

それと頭を空にする事イレースも割と出来る。(ただし今それは一人の時に限る)


頭を空にするのは至難の技ですとか、 

坐禅していてもそれは難しいとか、  

周りでも、ぼーーっとするのが出来ない、

と聞くのですけど、、


そっか〜難しいのか〜びっくりという感覚。


わたしがよく例えに自転車を使うけど、 

自転車も乗れるようになると、

なんで乗れないのか分からない。


それは頭で理解してるのでは無くて、

実践してコツを掴むしかないので、

言語化が難しい。そんな感じかな。


この部分にそのシグナルの感覚が来るだろうな〜というのは何となく分かる。そこ止まり。


そんなマニアックな事をやってたりしてる。


といってもそんな事は日の3分程、

あとは世俗的なものにまみれてます。


そういえば金曜ロードショーで3週連続、

ミッションインポッシブルをやってましたけど、


とくに2は現代の予言だった?

みたいな製薬会社の闇的なはなし。


薬を売るためキメラを開発して、

キメラに感染して24時間だったかな?

抗ウイルス剤を注射しないと死に至る。


莫大な利益を生み出すキメラを

消滅させるのがイーサンのミッションでした。



今は東京都知事選もニュースの話題ですが、

あまりニュースでは語られない事を、

アナウンサーの笠井さんがブログで

お伝えされてました。




その他にもYouTubeなどでは、テレビなど表には出ない事も伝えられています〜リアルが1番怖いかも。と思う今日この頃なのでした。




あ、、世俗まみれの話にもなりましたが、


祈りながらはらでシグナルを感じるのは、

全くまだ分からないけど、


祈りが働いてるな〜という体験はあって、

ブログには書いてきてる事ですが、


分かりやすいとこだと、 


モモが医療の常識の範囲を超えて

今生きてること。(昨年の6月の時点でも、たまたま、驚異的な状態だと主治医より)


他には、義母も肺癌が進行してきてて、

あとは進行を抑えるために、

抗がん剤が期限・回数の制限なく必要。 

余命は今年5月。だったけれど、


今は9ヶ月程抗がん剤はストップして、

経過観察中。

治癒はしてないけど数値的に落ち着いてる。


とか、夫が明け方に酷い咳が1週間続いてて、

陰の祈りで翌日ピタッと止まったこと。


とか、友人のお姉さんが腎臓の数値が悪くて、もう入院の予定だったけれど、

電話で一緒にお祈りしてから、

入院をしなくて良くなったとか。


パッと思い出してそのくらい、


それは、たまたまと言えばたまたまですけど、最悪な事態を免れた、たまたまな経験は割とあって、


でも、たまたまと、受け流すよりも、感謝ーー笑い泣きと思って、ひとつずつ大切に受け止めた方が普通に自分も嬉しい。


人も同じで、やってくれるのを当たり前だと思ってる人には、だんだんやってあげたくなくなるもので、、


喜んでもらえると、どんどん、フォローしたくなるものですよね。


人は神と似せて作られているとの事なので、その辺は似たような感覚かもしれませんね〜ハート




yoga menu一覧



《公式LINE》

お問い合わせ/お申し込みは こちらより