桜のお花見はほぼ終わって、
最近は少し雨が多いです☔
昨年の12月、父が退院してきてから、
生活スタイルがかなり変わりました。
事故前までは、父は自分で買い物や炊事など出来ていたのですが、
4ヶ月の入院で筋力が落ち、
(事故直後は寝たきりでしたが、その後はしっかり入院中もリハビリもしていただいていました)
室内で歩くのも手すりをつたって、
それでもバランスを崩して倒れてしまう
ことがあったり、
トイレが間に合わず、
リハビリパンツを汚したときに、
自分でうまく着替えられなかったりと、
身体的な介助が必要になりました。
また、認知症や理解力の低下もあり、
薬の管理ができない、
ひとりで外に出るのは危険など、
これまで出来ていたことに、
声かけや見守りが必要になりました。
というわけで、弟と私で、なるべく
ひとりにさせないようにというのが、
12月から大きく変わったことです。
それに伴って、
歯科助手のパートも週2に減らし、
その曜日はデイケアへ。
これも大きな変化のひとつです。
それで、最初の雨の話に戻るのですが、
弟は瓦の職人なので、
雨の日は仕事が休みになります。
そうすると、
私の自由時間が増えるのですが♪☔️
ただ、予報通りにいかないことも多く、
事前に予定を組むのが難しいところも
あります。
弟も、父の入院から今年の2月頃までは
父優先にしてくれていたので、
仕事が溜まっていたのと、
今年は新規の仕事も多いようで、
雨の日は見積もりに行ったり、
また、消防団や地元の通り会、
お寺の行事などでも忙しくしています。
(昨年の浸水後のボランティアからお寺さんと交流もあるようで)
子どもの頃から人見知りしない性格で、
一緒にスーパーに行くと、
レジの方4人とも仲良くなっていたり、
知り合いにもよく遭遇したりして、
おかずや野菜をいただくことも多く、
周りの方によくしていただいていて、
本当にありがたいです。
弟は独身ですが、孤独ではなさそうだなと、ほっと嬉しくなります![]()
父も「人がいいし、料理もうまい」と、
よく弟のことを褒めています。
それを聞いて、私も「ごもっとも」と思える、嫉妬もしないのは、異性だからというのもあるのかもしれませんが、
やっぱり、私にもよくしてくれているからだと思います。
退院して3ヶ月くらいは、
常に誰かがいるようにしていましたが、
最近は身体的にもだいぶ安定してきて、
認知症も前よりは良くなってきました。
「お昼前には行けるからね」と伝えておくと、大丈夫に。
(波があって、日によっては電話が2回ほどかかってくることもある)
勝手に火を使ったり、ひとりで外に出歩いたりすることもなくなり、
少しずつ時間を作れるようになってきました。
ここ数年は、
義母の肺がん〜余命宣告、腰椎圧迫骨折。
父の大腸がんと腰椎圧迫骨折、交通事故。
そしてモモのリンパ腫など、
急に対応しなければいけないことが続き、
そのたびに生活スタイルを変えざるを
得なかったり、
周りの方にご迷惑をかけてしまうことも
ありました。
ですが、悪いことがきっかけの変化も、
ことごとく良い方へ変えられているので、
本当にありがたいです。
よく、事故や災害、病気などで
「どうして神様はこんなことを…」と思うようなことが、
ニュースでも身の回りでも起こりますし、
以前は私もそう思っていたかもしれませんが、
信仰の視点に変えられてきたので、
今はそれは神が行っているのではなくて、
サタン(悪霊)であると、、
私はそれで合点がいっています。
サタンだとか書くと不安をあおるようで、
あまり書きたくはないのですが、、
知ることは防御になるということで、
少しだけ。
弟の交友関係の中でヨガの告知をしてくれたり、父も「大丈夫だよ〜待ってるよ〜」と応援してくれて、
ありがたい限りです。
ここからは私の学びの時間のbssまで、
ただ聞いてるだけよりも、
書きながらの方が確実に集中して聞けるのと、
公開するとメモ書きレベルを推敲するので、
私の記憶に残りやすいんですよね。
祈りのすすめ2(前半)
はじめのうちは、異言で祈ることに
慣れない方も多いと思います。
祈りの重要性を頭でも理解することで、
実行しやすくなるという事で。
〜異言の祈りの効果〜
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」
朝の15分、祈る時間をおすすめしています。
神とのコミュニケーションを取る、
大切なひとときです。
一人で静かに祈る時間は自由であり、
またどこか孤独を感じることもあるかも
しれません。
けれど、孤独と孤立は違います。
一人で祈っていても、神が共におられる。
その中にある時間です。
⑥ 異言による浄化
異言によって、自分自身を清めていくことができます。
以前、タクシーの運転手さんが、道に動物の死骸を見て、数珠を取り出し念仏を唱えている姿を見たことがありました。
「こうやって浄化するのだな」と感じたのと同時に、他にも塩で清めるなど、世の中ではさまざまな方法で行っています。
相撲も神事として捉えられ、
土俵を塩で清めますね。
ただ、霊的なものを物質で沈めるというのは、少し難しい面もあるのではないかとも感じます。
もちろん、物には物の役割がありますが、
私たちは、特別な道具を必要とせず、
いつでも、どこでも、自身の祈りによって浄化することができます。
小さな祈りの声でも大丈夫です。
その祈りによって、
私たちは聖別されていきます。
「キリストの己を捨て給ひしは、水の洗いをもて言によりて教会を潔め」
エペソ書にあるこの御言葉。
水の洗いとは洗礼のこと、
言によってとは聖霊を受けて異言を語ること。
水と霊について語られている箇所です。
また教会とは水と霊を受けた者の集まり。
食事のときも異言で祈り、
食べ物を聖別し祝福していただく。
その恵みに感謝をささげる。
これを、
自分自身で行うことができます。
⑦ 自分が知らないことのために祈る
祈っていると、「何か祈らされている」と感じることがあります。
それが未来のことなのか、
誰かのためなのかは分からなくても、
心に平安が訪れるまで、
落ち着くまで祈ることをオススメします。
これは、頭では理解できない、
知性を超えた祈りです。
一般的には、言葉や思考で祈ることが多いですが(黙祷も含めて)
それとは別に「霊の祈り」があります。
このことはクリスチャンの中でも
あまり知られていないように感じます。
聖霊によって祈るとは、異言で祈ること。
「異言を語る者は自分を造り上げる」
異言を語るとは
聖霊によって祈ることであります。
(途中まで)
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