3月1日は初めて緩和ケアに行った日です。
娘と赤ちゃんと夫と私。予約表には「家族と一緒に」と書いてあったのでこれくらい揃えばいいかしら?
診察室に入って、まず「わあ~」と歓声が上がりました。白色の診察室がピンクに染まったような感じ。
歓声が上がった理由は、娘が抱っこしてきた赤ちゃんです。
医療従事者の皆さんが赤ちゃんに群がり「可愛い~」「何か月ですか」と、まずは赤ちゃんとご挨拶。
緩和ケアの診察室でこんな和やかな風景が広がるとは。。
乳腺外科のO医師の対応が納得できないのと、なぜ納得できないかと言えばきちんと説明がされていないから、と話しました。覚えていないのですが「もう会いたくない」とも言ったような。。
(緩和ケアでは、思ったことを全部言ってみよう!)
緩和ケアのU医師は「元の先生(20年前の主治医)に予約を取りなおしてみようか」と、提案をしてくれました。
「でも、勝手に顔を出さなくなったくせに再発しちゃって、今さら会わせる顔がないんです。」
それも理解したうえでU医師は、元の主治医の予約を取るために格闘してくれました。
元の主治医は、予約がなかなか取れない状況で2か月先しか空いていませんでした。
U医師は、
「それでは良くない。これだけまだ自分のことが全部できているのに、何かあるはずだ。2か月待たせることはできない。」と、更に直接、元主治医に電話をかけて直談判してくれました。
どれだけ頼んだか・・「もういいです。2か月待ちますから」と心の中で叫んでいました。
結果、U医師は無理やり3週間後に予約をねじ込んでしまいました。
いいのかなぁ、知~らない
でも良かった、うれしい。
そして、この日からレトロゾールが処方され、無治療から解放されました。
無治療からの解放は、心を軽くしました。
何もできないと乳腺外科のO医師は言っていたけれど、やることあったじゃん!と言いたい。
緩和ケアとは何をするところなのか、初めて知りました。
以来、他の医師に話しづらいなと思うことは、緩和ケアのU医師に相談することにしています。
この3週間後、呼吸器外科で入院したのですが、U医師は毎日病室に顔を出してくれました。
優しい先生です。
赤ちゃんパワーすごい。
生きる力そのもの。
一つ一つの仕草に「アタチ、生まれたの、いっしようけんめい生きてるの」と言っているようです。
生きるってこういうことなんだ。
生きることに純粋だから愛されるんだなぁ。