胸水を抜いて経過観察のための6日間の入院。
コロナ禍のためお見舞いは禁止。
当事者の私も個室から出ることは感染防止のために禁止。
3日間毎日のPCR検査。
救急担当の医師から言われてこれは相当やばいんだと思った言葉があります。
「朝起きずに冷たくなっていることもありうる状況なんだよ」
当時のメモを見返すと、「まあいいや。それも運命だ。今まで充分生きた。思い残すことはない。」
などと書いてあります。
確かに乳がん体験後はおまけの人生と思って生きてきました。
漠然としていたその日が具体的になっただけのことです。
土曜日に入院し、月曜日に循環器外科と呼吸器外科の医師がやってきました。
心臓を守る膜(心嚢膜)に水が溜まっていて、膜に余裕がないため心臓がうまく動くことができない状態だよと、とても分かりやすい説明です。
思うように息が吸えないのも、心拍数が多いのもそれが原因だったのです。そして、血圧は異常に低い。
午後に心膜の水も抜くことになりました。
病室に仰々しくレントゲンやエコーの装置が運び込まれ、さながらちょっとした手術室になっていきます。
昨日から何本局所麻酔を打たれたことだろう。ほんとに痛い。
管を挿入するときはもっと痛い。
ぐりぐりと管が容赦なく入ってくるイヤな感覚と痛み。
水はピンク色かと思っていたら静脈血のような赤黒い色でした。
医師たちは私のお腹の上で和やかにお喋りをしながら手を動かしています。・・聞こえるんですけど。
「ガン性だね」
「うん、そうだね」。
そうか、ガン性だからきれいなピンクじゃないのか…など想像しながら、ひたすら痛みを堪えました。
その数か月後に他の病院で胸膜癒着術という処置をすることになるのですが、
それまではいつも息苦しく仰向けで寝ることができませんでした。
あの息苦しさが襲ってくるかもしれないと思うと、退院後もゆっくりとしか歩けず、
とにかく酸素不足にならないように気をつけていました。
かすれ声も相変わらずで、特に短い言葉「うん」「ふうん」などは息しか出ません。
このまま会話ができなくなっていくのかもしれないと覚悟していた頃です。
入院していた総合病院は、今まであまり良くない印象を持っていましたが、
今回の件で3人の医師とたくさんの看護師さんにお世話になりました。どの人も優しくてテキパキと、説明も分かりやすくて、実際に関わると違うものだと思いました。
*今は違う病院に通っています。
今から思うと呼吸器クリニックの先生の紹介が早かったのも運が良かったです。
感謝です。